前回ブラジル出張の記事の続きを少し書きます。
4月16日に日本を出発して、ニューヨーク JFK空港まで飛行機で約13時間、JFK空港で4時間トランジットでまた飛行機でサンパウロまで10時間、合計27時間の移動(しかもエコノミーで!)は海外旅行ズレしている僕でも相当キツかった。
行く前は、JFK空港のトランジットは2時間もあれば十分と思っていましたが、昔はトランジットの場合は出国のパスポートコントロールも荷物検査もなく、搭乗口を移動する程度の簡単なものでしたが、昨今の一連のテロ騒動で、出国のパスポートコントロールはもちろん、その前にCBP(Customs and Border Protection)の自動認証機で指紋とパスポートをスキャンし、顔写真を取り、その情報のプリントアウトを持って、またパスポートコントロールの列に並ばなければなりません。
JFK空港の夜、しかも土曜日の夜に到着したので、アジアやヨーロッパからの到着便が多く、自動認証機の前は多くの人だかりで、プリントアウトを出すまでに、2時間ぐらいかかりました。
それからパスポートコントロールの列に並び、カルーセルでスーツケースを受け取った後、こんどはスーツケースの検査、それを経てようやく出国出来ます。要するにアメリカ入国であろうと他の国へのトランジットであろうと、一旦アメリカに足を踏み入れたら、威信をかけてテロは逃さないぞ、という構えのようです。
15年前にブラジルに出張した時より、よほど不便になっています。
僕は人やモノや金の流れが自由に行き来出来るようになればなるほど、経済や文化は活性化、発展していくと考えています。(ちょうど戦国時代の織田信長の楽市・楽座のように。)
欧州ではEUの設立の意義は欧州内で人やモノや金の流れを自由化することで、個々の国ではなく、欧州全体を活性化・発展させようということであったはずです。
賛否両論ありますが、最近ISISとシリア等からの難民に起因して、EU加盟国間のボーダーが高くなりつつある印象を受けます。(ベルギー・フランス間のボーダーが甘いから昨年11月のパリの同時多発テロが発生したんだ、また、今年の3月のブリュッセルでのテロが発生したんだ、という考えです。)
米国は15年前の2001年9月1日の国家のセキュリティの威信を根底からあざ笑うかのような同時多発テロ以来、ボーダーのセキュリティを強化してきましたが、それに加えて今回のパリ、ブリュッセルのテロでのさらなるセキュリティの強化(というより意地になっているような過剰さ)を体感してみると、なにか世界はボーダレスの発展とは逆の自国の国益だけに向かっているような気がして、残念です。
ただ、ほとんど同時にJFKに到着して、同じようにセキュリティー・チェックに数時間並んだ、エール・フランスでパリから来た人達は、パリのテロの経験からか、少し話してみましたが、全く文句も言わずに粛々と長い列に並んでいました。
サンパウロについてからの大統領の下院の弾劾決議に伴うデモなどの様子は前回書いたとおりです。
4月18日、19日はサンパウロの関係会社と打ち合わせし、20日は、サンパウロからブラジル南部にあるポルト・アレグレに行きました。ここも15年ほど前に行ったことがありますが、あまり記憶に残っていません。
ブラジル最南端にある州のリオ・グランデ・ド・スール州の州都で、人口140万人、ポルト・アレグレはポルトガル語で「陽気な港」と言う意味で、港で栄えた都市です。
ブラジルもここまで南下すると熱帯のような暑さはなく、外観は写真のように美しい港湾都市です。またブラジルというとポルトガルからの移民が多いと思われがちですが、この都市はドイツやイタリヤからの移民が多く、ほとんどヨーロッパ的です。
しかし、ブラジルの都市はサンパウロもリオ・デ・ジャネイロも遠くから見ると皆非常に美しいですが、この都市もまた、裏通りに入ると怖いところが沢山ありますので気は抜けません。
20日はその日のうちにサンパウロに戻り、翌日21日夜にサンパウロからロサンジェルスにまで飛行機で13時間かけて飛び、ロサンジェルス空港で4時間30分のトランジットの間にまたいやになるぐらいのセキュリティ・チェックの後、一旦出国して、また入国審査して、ロスアンジェルスから成田まで飛行機で12時間かけてようやく日本に戻ってきました。日付変更線を越えて一日時が進むので、成田に到着したのは23日の夕方でした。
僕の数々の海外出張の中で、時差と移動時間からみて、最も厳しい出張でした。