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逆襲するさらりーまん

ーやっとこさ英検1級、通訳案内士試験合格。しかし英語の道は長い。基本的にやり直し英語+その時々に思うことなど。-

TOEIC IP テスト結果報告

2013年03月28日 22時43分48秒 | TOEIC

まだ “食わず嫌いを変えられないか?の記事は続きますが、先日受験した TOEIC IP テストの結果が郵送されて来ました。テスト結果は今まで良くても悪くても全て公開してきましたので、報告します。

リスニング     495 点
リーディング  440 点
合計      935 点
でした。Toeic1

いままで、915 点が最高点でしたので、一応自己ベスト更新ですが、相変わらずリーディングがぱっとしません。

アビメを見てみてもよく分かりません。

リスニングでは Part 3 とPart 4で最低 2 問ずつ間違えていると思いますので、それでも 495 点というのは、その間違えた 4 問が難易度が高かったのでしょう。
リーディングのアビメはどのPart がどのアビメの項目かはアビメの項目が、2つ以上のPart に跨っているものもあり、よく分かりません。アビメと各 Part 別の得点について、詳しく説明している方もいますが、僕には今一つよく分かりません。

ただ文法問題 ( Part 5 と 6)が特に悪いということはいえそうです。徹底的に文法問題をやれば、目標の 950 点越えも可能かもしれません。

6 月末までは米国会計士試験の学習、7 月から 8 月末までは通訳案内士試験の日本地理と日本歴史の学習をしますので、TOEICはまた10 月か11月頃に再度挑戦したいと考えています。

Toeic2

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食わず嫌いを変えられないか? その6

2013年03月23日 10時58分50秒 | 旅行記

さて前回の記事の続きです。

カイロからアレキサンドリアに向かう砂漠の一本道で、代理店の社長のベンツのタイアがバーストし、派手に 2 ~ 3 回スピンして、スペアタイアもジャッキも積んでいないので、他の車が通るまで、待つしかありません。

幹線道路ではなく、砂漠の中の裏道なので、中々車は通りません。

・・・・ 1 時間半ぐらい待ったでしょうか? ようやく 4 駆のピックアップ・トラックが通りかかったので、道路の真ん中に出て、手を振って止まってもらいました。

社長はなにやらアラビア語で、ピックアップ トラックの運転手と話しています。

どうやら、ピックアップ トラックに積んでいるスペアタイアを売ってもらったようです。

どう考えても社長のベンツとピックアップ トラックのタイアのサイズは違うはずなのですが、そんなことはお構いなしです。

ピックアップ トラックにはジャッキも積んであり、運転手もベンツのタイア交換を手伝ってくれました。

ようやく再出発出来ることになりましたが、そんなこんなで、もう太陽も西に傾いています。

社長は、『 インシャーラ 』 (アラーの神のおぼしめすまま、という意味らしい。)と言いながら何食わぬ顔で、ベンツを運転しています。

アレクサンドリアに着いたのは、夕方近くでしたが、この街は騒々しいカイロと違って実に美しい街でした。地中海風に民家の壁は鮮やかな赤や青で彩色されています。

ここへ来るまでのタイアのバースト事件は忘れてしまいました。

カイロへ戻るのは、さすがに車で戻るのはこりごりだったので、飛行機にしました。エジプト航空の国内線です。これがまたひどく機体は 25 年ぐらい経っていそうです。タイヤはほとんどすり減っていて、それこそバーストしそうです。

また、通常ハイジャック対策などで、コックピットへの扉は閉まっているのですが、大きく開け放たれていて、パイロットが新聞を読んでいるのが目に入ります。

しかし、中東へ来てまだ 2 日しかたたないのに、もう少々のことでは驚かなくなっていた僕は、まあいいか、とあまり気になりませんでした。

次はクエートとヨルダンに向かいました。クエートは当時からオイルマネーでリッチな国で、特に印象には残っていません。

ヨルダンは色々あるのですが、長くなりましたのでまた次回書きます。

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食わず嫌いを変えられないか? その5

2013年03月15日 21時35分38秒 | 旅行記

花粉と黄砂と PM 2,5 が飛び交っていて、花粉症持ちの僕にはつらい季節です。

さて、またまた前回の記事の続きです。

エジプトの代理店の社長に 『 ピラミッドを見に行こう。』 と言われ、二つ返事で、行こう、行こうと答え、車でカイロの市街を抜けて、ギザに向かいました。

それにしてもカイロの市街の喧騒ぶりはすごいですね。車線もあってないようなもので、あちこちから他の車が割り込んできます。この街で車を運転するのは相当のドライブテクニックが必要です。

しばらく行くと遠くの方に、4 角錐のピラミッドが 3 つ見えてきました。生まれて初めて見る本物のピラミッドに少し興奮しました。しかし、近づくにつれ、非常に臭い。馬かラクダの糞があちこちに散らばっています。

ピラミッドも、遠目に見ると、きれいな方錐をしていますが、近くで見ると 2 m 程の高さの岩のごつごつした積み重ねです。建てられた当時は、そのごつごつを埋めるため、大理石が貼られていたそうです。

 

登ろうと思いましたが、岩を二つぐらい登って、諦めました。

ラクダにも乗りましたが、ラクダはかがんでいると背が低く見えますが、人を乗せて立ち上がるとずいぶん高く、怖くなりすぐ降りました。糞の匂いが強く、とてもロマンチックなものではありませんでした。

ピラミッドを見た後、カイロ博物館に行きましたが、有名なツタンカーメンの黄金のマスクなどがセキュリティも甘く、無造作に展示されていました。

次の日、またいい加減な時間にやってきた代理店の社長は、『 アレキサンドリア の俺のお客さんを訪問しよう。』と言ってきました。

好奇心の旺盛な僕は、これも二つ返事で、『 行こう。行こう。』ということになり、社長の白いベンツに乗りこみました。

カイロからアレキサンドリアは 200 km ほど離れていたと思いますが、砂漠の一本道を時速 160 km ぐらいの猛スピードで、砂煙を上げながらベンツは走っていきます。

その時、パーンという音がして、ベンツが2 ~ 3 回スピンし、砂漠の中に止まりました。タイアがバーストしたのです。周囲が木も何もない砂漠の一本道だからよかったようなものの、もし木立があれば、激突して僕はこの世にいないでしょう。後で考えるとぞっとしました。

しかし、社長は、こんなことはよくあるのか、平然として、他の車が通るのを待とう、と言います。『 おいおい、スペアタイアもジャッキも積んでいないのかよ。』と思いましたが、実際積んでいません。

砂漠の一本道は通る車も少なく、1 時間ぐらい待っても車は通りません。後できいた話では、カイロからアレキサンドリアは高速道路もあるが、社長は私に砂漠の景観を味あわせようと、わざと砂漠の道を選んだようです。

ーーー長くなりましたので、続きはまた次回書きます。----

 

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食わずぎらいを変えられないか? その4

2013年03月09日 00時21分10秒 | 旅行記

急に暖かくなってきましたね。

さて、また前回の記事の続きです。

香港見物を終えて、啓徳(カイタック)空港に何とか戻ってきた僕は、バーレーン行きのキャセイ・パシフィック航空の受付カウンターで、チェックインしました。

いよいよこれからは中東です。キャセイパシフィックは、当時シルクロードかキャセイと言われていて、中東へ入るには、最も便利でした。

確かに、定刻に出発し、定刻にバーレーンに到着しました。もう夜中の 1 時近くです。暗いため、景色は全然見えません。通算 30 時間ぐらいロクに寝ていない僕はさすがに眠たくなりました。しかし、まだ大仕事があります。トランジット・ビザを空港内で申請して、今夜のねぐらのホテルまで行かなければなりません。

バーレーンへの入国は、48 時間以内の滞在であれば、空港で申請すれば、トランジット・ビザが出ます。

眠いのを我慢してトランジット・ビザを取得し、ようやく空港の外へ出ました。夜中で真っ暗だったので、外の景色がどうなっているかはわかりません。

ホテルへの移動は、料金メーターのないタクシーに、最初に払う金額を交渉して乗り込み、ホテルにチェックインして、死んだように眠りました。

・・・翌朝、目が覚めて窓の外を見てみると、外は沖縄のような透き通った海です。
沖には木造の漁船もちらほら見えます。ペルシャ湾はタンカーの通り道なので、結構汚染されていると思っていましたが、当時のバーレーンはほとんどビルのない、漁村でした。

バーレーンからエジプトのカイロに入りました。空港からすぐホテルに行き、ホテルで代理店の社長と待ち合わせるつもりでしたが、午後 10 時の約束ですが、待てど暮らせどやって来ません。午前 11 時 45 分ぐらいになって、ようやく白いベンツに乗って代理店の社長がやって来ました。

『 遅いじゃないか  』と怒ると、『 まだ午前中じゃん。』 という返事です。どうも中東では時間感覚が、朝と昼と夜の 3 つしかないらしい。朝の約束ならば、午前中にくれば OK ということらしい。

代理店の社長が『 昼飯を食いに行こう。』 と街に出ましたが、そこいらの屋台に並んでいる魚を自分で選んでレストランで調理してもらう方式らしい。ナイル川で獲れるのか、鯉に似た赤い鮮度の悪そうな魚が並んでいます。

魚を 3 匹ほど選んで、焼いてもらい、食べました。僕は代理店とはいえ、大事な“お客様”ですから、お客様が薦めるものは、なんでも腹一杯食べるのが礼儀だと思っていましたので、その時も 3 匹をぺろりと平らげました。(後ほど、サウジアラビアで羊の脳味噌を食べさせられました。羊の脳味噌はサウジアラビアの最高のもてなしらしい。この時もぺろりと食べました。何か日本の豆腐に似た味がしました。)

3 匹も平らげたので、『 日本人で 3 匹も平らげたのはお前が初めてだ。』 と妙に代理店の社長に気に入られてしまいました。あとで聞いた話ですが、僕の前にこの代理店の社長の“歓待”を受け、同じ魚を食べた日本人は、急性赤痢になったとのこと。

僕もその晩、少し下痢をしましたが、寝込むことはありませんでした。思えばあの時が僕の体力の絶頂期でしたね。

社長のオフイスで少し商談をしたあと、『 ピラミッドを見に行こう。』 というので、待ってました!エジプトと言えばピラミッドじゃん。と思っていた僕は、『 行こう、行こう。』 と 2 つ返事で答えました。中東の旅はまだ始まったばかりでした。。。

ーーー 続きはまた次回書きます。ーーー

 

 

 

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食わず嫌いを変えられないか? その3

2013年03月03日 12時22分41秒 | 旅行記

暖かくなったと思ったら、寒さが逆戻りして、気温の変化が激しいですね。こういう変化を繰り返して、だんだん春になっていくのでしょう。

さて、また前回の記事から 1 週間経ってしまいましたが、前回の記事の続きです。

中東 10 か国出張の前夜、目が爛々としてほとんど眠れませんでしたが、飛行機に乗り遅れては大変と、かなり早く成田空港に行きました。

当時 (1987 年)の成田空港はまだ第一ターミナルしかない小じんまりした空港で、羽田空港はまだ国内線専用でした。

当時、中東に入るには、南回りしかなく、僕はまず香港にいって、そこでトランジットしてバーレーンに入るルートを選びました。

当時の香港の空港は、ビルの間を 90 度旋回して着陸しなければならない、啓徳 (カイタック)空港しかなく、一説によれば、腕に自信のあるパイロットが、どうすれば自分の技量を披露できるか試すために、着陸しがいのある空港でした。(日本の伊丹空港と状況は似ています。)

香港でのトランジット・タイムは 8 時間あり、初めての海外旅行で興奮していた僕は、8 時間も空港でウダウダしているのはもったいない、ということで、香港の市街に出ることにしました。

列など全然並ばない、雲霞のように人が集まっているパスポート・コントロールをようやく抜けて、空港の外に出ました。

香港といえば、100 万ドルの夜景だろう、と思いこんでいた僕は、バスの乗り方などまるで分からないので、空港の外に並んでいる ”的士”と書いてあるタクシーに乗り込み、”Victoria peak, please." と運転手に言いました。

僕の乗ったタクシーは、九龍サイドから、地下トンネルを抜けて、香港サイドに入っていきます。しかし、かなり長い時間走っても一向に peak らしきものは見えてきません。

さすがにおかしいな、と感じた僕は、『 ビクトリア・ピークに行きたいんだ。夜景、夜景。』とカタコトの英語で運転手に言いました。5 回ぐらい言い続けたあと、ようやく運転手は、『 ああ、Victoria peak.  Victoria park かと思ったよ。』としらっとしています。おそらく、ボラれたのだと思います。

ようやく、『 ここだよ。』とタクシーの止まったところの外を見ると、古ぼけたケーブルカーの乗り場があるだけです。またボラれてはたまらないと思った僕は、『 ここはどこ? 』と訊くと、運転者は、『 俺が来れるのはここまでだ。あとはこのケーブルカーに乗って、peak に登るのだ。』と言い残して、かなり沢山の香港ドルを受け取って、タクシーは走り去っていきます。

さて、古びたケーブルカーの停車場にポツンと一人残された僕は、それでもここまで来て peak に登らないのはバカだと思い、ケーブルカーに乗ろうとチケットの販売窓口に行きましたが、次の発車まで、30 分以上もあります。

仕方がないので、ぽつんと一人、30 分あまり、ケーブルカーの発車を待ちました。

ようやくケーブルカーがゴトゴトと不気味な音を立てて発車します。(後で聞いた話ですが、そのケーブルカーの路線は、出来て 150 年ほど経ち、いつブチ切れてもおかしくないが、不思議なことに、今まで一度も事故を起こしたことがない、とのこと。)

ようやく、ケーブルカーが peak に着きました。空港を出てから、なんだかんだで 2 時間経過しています。ケーブルカーを降りてしばらく歩くと、眼前には、香港の 100 万ドルの夜景が広がっています。香港に来たら誰でも見る観光地ですが、初めての海外旅行で、自分一人でたどり着いた(?)ので、その美しさはひときわ感動的でした。 10 年ほどあとで、ニューヨークのエンパイア・ステートビルからニューヨークの夜景を見ましたが、この時の香港の夜景の方が、ずっと印象的でした。

当時の香港はまだ英国領で、Victoria peak には、英連邦からの観光客が沢山来ます。僕も、カナダから来た母娘と知り合いになり、写真を撮ったり、撮られたりしました。『 香港の後はどこへ行くの ?』 と訊かれたので、『 バーレーンやエジプトやヨルダンやクウェートやサウジアラビアやシリアやUAEやオマーンなどです。』 と答えると、驚いたように、へえ~っという顔をされ、”Take care of yourself."  とマジで心配そうな顔で言われました。

しかし、昨夜ほとんど寝ていないにもかかわらず、初めての海外旅行ですっかり興奮している僕は、その時はその意味するところを理解していませんでした。

その母娘とは、お互いの住所を交換し、後で写真などを送りあいました。

その時感じたのは、日本人は礼儀正しい民族だが、気軽に挨拶したり、言葉を交わすのは、自分の利害関係がある人か、親しい人だけだな。一方欧米(加豪も含む)の人は初対面の人とも、今までなんの利害関係も面識もない人でも、気軽に声を掛け合い、親しくなってしまうのだな、ということです。個人差もあり、どちらがいいとかは一概に言えませんが。

帰りは、またケーブルカーに乗り、peak を下りて香港のダウンタウンに出て、街を歩き回りました。peak から見ると、香港の街は近代的でしたが、街に出て一本路地を入ると、鳥かごに入った鶏が生きたまま売られていたり、豚足が吊るされていたり、湯気がもうもうと立つ屋台がズラリと並んでいたり、活気に満ちていて、刺激的でした。

帰りはさすがに当時は香港には九龍サイドに空港が一つしかなかったので、タクシーにボラれることもなく、無事に空港に帰ってきました。

キャセイ・パシフィック航空のバーレーン行きのフライトまで、あと 1 時間半でした。

ーまたまた長くなりましたので、続きは次回書きます。ー

 

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