暖かくなったと思ったら、寒さが逆戻りして、気温の変化が激しいですね。こういう変化を繰り返して、だんだん春になっていくのでしょう。
さて、また前回の記事から 1 週間経ってしまいましたが、前回の記事の続きです。
中東 10 か国出張の前夜、目が爛々としてほとんど眠れませんでしたが、飛行機に乗り遅れては大変と、かなり早く成田空港に行きました。
当時 (1987 年)の成田空港はまだ第一ターミナルしかない小じんまりした空港で、羽田空港はまだ国内線専用でした。
当時、中東に入るには、南回りしかなく、僕はまず香港にいって、そこでトランジットしてバーレーンに入るルートを選びました。
当時の香港の空港は、ビルの間を 90 度旋回して着陸しなければならない、啓徳 (カイタック)空港しかなく、一説によれば、腕に自信のあるパイロットが、どうすれば自分の技量を披露できるか試すために、着陸しがいのある空港でした。(日本の伊丹空港と状況は似ています。)
香港でのトランジット・タイムは 8 時間あり、初めての海外旅行で興奮していた僕は、8 時間も空港でウダウダしているのはもったいない、ということで、香港の市街に出ることにしました。
列など全然並ばない、雲霞のように人が集まっているパスポート・コントロールをようやく抜けて、空港の外に出ました。
香港といえば、100 万ドルの夜景だろう、と思いこんでいた僕は、バスの乗り方などまるで分からないので、空港の外に並んでいる ”的士”と書いてあるタクシーに乗り込み、”Victoria peak, please." と運転手に言いました。
僕の乗ったタクシーは、九龍サイドから、地下トンネルを抜けて、香港サイドに入っていきます。しかし、かなり長い時間走っても一向に peak らしきものは見えてきません。
さすがにおかしいな、と感じた僕は、『 ビクトリア・ピークに行きたいんだ。夜景、夜景。』とカタコトの英語で運転手に言いました。5 回ぐらい言い続けたあと、ようやく運転手は、『 ああ、Victoria peak. Victoria park かと思ったよ。』としらっとしています。おそらく、ボラれたのだと思います。
ようやく、『 ここだよ。』とタクシーの止まったところの外を見ると、古ぼけたケーブルカーの乗り場があるだけです。またボラれてはたまらないと思った僕は、『 ここはどこ? 』と訊くと、運転者は、『 俺が来れるのはここまでだ。あとはこのケーブルカーに乗って、peak に登るのだ。』と言い残して、かなり沢山の香港ドルを受け取って、タクシーは走り去っていきます。
さて、古びたケーブルカーの停車場にポツンと一人残された僕は、それでもここまで来て peak に登らないのはバカだと思い、ケーブルカーに乗ろうとチケットの販売窓口に行きましたが、次の発車まで、30 分以上もあります。
仕方がないので、ぽつんと一人、30 分あまり、ケーブルカーの発車を待ちました。
ようやくケーブルカーがゴトゴトと不気味な音を立てて発車します。(後で聞いた話ですが、そのケーブルカーの路線は、出来て 150 年ほど経ち、いつブチ切れてもおかしくないが、不思議なことに、今まで一度も事故を起こしたことがない、とのこと。)
ようやく、ケーブルカーが peak に着きました。空港を出てから、なんだかんだで 2 時間経過しています。ケーブルカーを降りてしばらく歩くと、眼前には、香港の 100 万ドルの夜景が広がっています。香港に来たら誰でも見る観光地ですが、初めての海外旅行で、自分一人でたどり着いた(?)ので、その美しさはひときわ感動的でした。 10 年ほどあとで、ニューヨークのエンパイア・ステートビルからニューヨークの夜景を見ましたが、この時の香港の夜景の方が、ずっと印象的でした。
当時の香港はまだ英国領で、Victoria peak には、英連邦からの観光客が沢山来ます。僕も、カナダから来た母娘と知り合いになり、写真を撮ったり、撮られたりしました。『 香港の後はどこへ行くの ?』 と訊かれたので、『 バーレーンやエジプトやヨルダンやクウェートやサウジアラビアやシリアやUAEやオマーンなどです。』 と答えると、驚いたように、へえ~っという顔をされ、”Take care of yourself." とマジで心配そうな顔で言われました。
しかし、昨夜ほとんど寝ていないにもかかわらず、初めての海外旅行ですっかり興奮している僕は、その時はその意味するところを理解していませんでした。
その母娘とは、お互いの住所を交換し、後で写真などを送りあいました。
その時感じたのは、日本人は礼儀正しい民族だが、気軽に挨拶したり、言葉を交わすのは、自分の利害関係がある人か、親しい人だけだな。一方欧米(加豪も含む)の人は初対面の人とも、今までなんの利害関係も面識もない人でも、気軽に声を掛け合い、親しくなってしまうのだな、ということです。個人差もあり、どちらがいいとかは一概に言えませんが。
帰りは、またケーブルカーに乗り、peak を下りて香港のダウンタウンに出て、街を歩き回りました。peak から見ると、香港の街は近代的でしたが、街に出て一本路地を入ると、鳥かごに入った鶏が生きたまま売られていたり、豚足が吊るされていたり、湯気がもうもうと立つ屋台がズラリと並んでいたり、活気に満ちていて、刺激的でした。
帰りはさすがに当時は香港には九龍サイドに空港が一つしかなかったので、タクシーにボラれることもなく、無事に空港に帰ってきました。
キャセイ・パシフィック航空のバーレーン行きのフライトまで、あと 1 時間半でした。
ーまたまた長くなりましたので、続きは次回書きます。ー