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逆襲するさらりーまん

ーやっとこさ英検1級、通訳案内士試験合格。しかし英語の道は長い。基本的にやり直し英語+その時々に思うことなど。-

今年も大変お世話になりました

2012年12月31日 23時17分45秒 | 日記・エッセイ・コラム

今日もお昼すぎまでしこしこと年賀状をかいていましたが、早いもので今年もあと残すところ 2 時間ほどになってしまいました。

英語の目標については、昨年の 12 月 31 日に書いた、英検 1 級、TOEIC 950 点越え、通訳案内士試験合格は、今年は英検 1 級にはなんんとか合格しましたが、TOEIC 950 点越え、通訳案内士試験合格は来年に持ち越しです。(といっても通訳案内士の試験は 1 次試験が 8 月末、2 次試験は次の年の 1 月、最終合格発表は 2 月なので、合格目標達成は再来年になりますが。)

英語の短期的目標は上記のとおりですが、最終的には、ネイティブの 7 割ぐらいの比率で、読み、書き、聴き、喋ることが出来ればと考えています。(何年かかるかわかりませんが。。) 

ネイティブの 7 割の読み、書き、聴き、喋ることが出来るということは、ネイティブの言ったり、書いたりしたものと、こちらの言ったり、書いたりしたことが 0.7 X 0,7 = 0. 49 で、ようやくネイティブと 50 % (半分)ぐらいわかりあえるということです。もちろんネイティブがゆっくり話してくれたり、こちらの言うことを遅くでも我慢してくれれば、ネイティブの書いた文章をゆっくり読んだり、こちらがゆっくり書いたりすればお互いの理解率はもう少し上がりますが。。

また、来年は米国公認会計士の勉強も出来る限り進めたいと思います。

また、ライフワークというか一生学んでいきたいと考え
ているものは、絵画や演劇などのパーフォーマンス・アートも好きですが、世界(日本も含む)の近現代史です。(間口は広いですが。)

なんといっても健康が一番ですので、健康に留意しながら、出来るペースで進めます。

来年もよろしくお願い致します。

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今頃年賀状書き

2012年12月29日 22時03分36秒 | 日記・エッセイ・コラム

今週は仕事がめちゃくちゃ忙しかったですが、今日から 1 月 6 日まで、会社もようやく休みです。

それでも入院中の母を見舞ったり、色々用事はありますが、年賀状は仕事が忙しいのと、母に万一のことがあってはと、今日まで書いていませんでした。

年を取ると年賀状を出す人数も増え、これから約 150 枚書かなければなりません。

今時はメールで年賀状ですが、昔世話になった上司などは、メールも読めないと思いますので、ハガキに手書きの年賀状になります。

インターネットで、ABC ニュースを聞きながら書いています。休み休みに書いているのでたぶん 31 日までかかると思います。

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英語嫌いだったが、また TOEIC IP を受ける

2012年12月24日 23時34分09秒 | TOEIC

今日はクリスマス・イブです。

立川の伊勢丹の地下の食品売り場にケーキを買いに行ったら、すごく混んでいました。


来年の 1 月 21 日の TOEIC IP テストを受けようかどうか、迷っていましたが、よほど 特別な事情 (急な出張、冠婚葬祭など)がない限り、受けることにしました。

語学としての英語そのものは、クリエイティビティなものでも、オリジナリティのあるものでもありません。そういう意味では僕が現在牛歩のようにゆっくりやっている米国公認会計士の勉強も同じです。

英語も、会計・財政も、1 ヶ月経ったら、もっと便利な独創性のある新しい文法体系や会計原則に代わってしまう、ということはありません。

もしそうだとすれば、半年前の英語の知識だけでは、コミニュケーション出来なくなりますし、会計原則が毎月変われば、財務諸表など作れなくなり、過去との業績比較も出来なくなってしまいます。

もし、文法に変化がなくても、英語で小説を書く (もちろん僕は書けませんが)、ということになれば、クリエーティビティもオリジナリティもあるかもしれませんが。

語学としての英語は、先人が作ったものの模倣、模倣すなわち暗記が主体だなと最近考えるようになりました。なにも新しい言葉を創るわけではありません。

暗記だとすると、『 認識する時間 X 回数 』です。2~3 年会っていない人の名前を忘れることはありますが、毎日会っている家族や同僚の名前を忘れる人はいないでしょう。

『 認識する時間 X 回数 』は具体的には、印象に残る方法で時間をかけて記憶し、それを何度も繰り返すことです。

しかし、よく言えば、好奇心旺盛、悪く言えば、飽きっぽく、忍耐力のない僕は、昔からこれが一番嫌いだった。

大学受験の時には、当時、そして今でも、大学の入試問題は、日本史、世界史などの ”暗記科目”はもちろん化学や数学や物理でさえ、ほとんど暗記かパターンを覚えていれば正解が出せるので、暗記すればいいだけでした。

ところが、飽きっぽく、すぐに退屈してしまい、忍耐力のない僕は、大学の入試試験の勉強に余り意味を見いだせませんでした。(というよりほとんど受験勉強しなかった。)英語も”暗記科目”でしたので、当時は大嫌いでした。数学や物理や化学も嫌いでした。唯一好きだったのは”暗記しなくて済む”現代国語”と、嫌いではなかったのは”暗記科目”ですが、もともと好きだった世界史と日本史だけでした。

クリエーティビティやオリジナリティの快い言葉の響きに惑わされ、大学受験の時期も、小説を読んだり、演劇を観たり、映画を観たりばかりしていました。

今になっての後知恵ですが、大学入試試験程度の暗記は、四の五の言わずに覚えるべきだったかもしれません。そもそも大学入試の”暗記科目”の日本史や世界史は、歴史学ではありませんし、数学も学問ではなく、数学の解答ドリルです。

学問の場合は、もともと正解が定まっていない事象を、自分で仮設を立ててそれを検証していく想像力と創造力と独創性と膨大な労力と時間が必要で、こうなるとほとんど 24 時間、メシを食っているときも、寝ているときも一日中考えているような状態になります。しかし、無から有は生まれないように、基本的な暗記部分の土台がなければ、突然のひらめきや飛躍はないと言っていいでしょう。

広い世界には、いきなりこの暗記部分をスキップして、あるいは極めて短い時間で通過する天才的な人もいます。

ゴルフで、いままでクラブを握ったこともないのに、生まれて初めてゴルフコースに出て、ハーフを 40 台で回る人がいます。あるいは、普通の人が 10 年かかる ”暗記部分”をわずか 2 ヶ月程度で覚えてしまう人もいます。僕のようなゴルフの才能もない凡人はハーフを 40 台で回れるようになるまでには、2 年くらい練習場に通って、退屈な練習を反復しなければなれません。(なれなかった。)

こういう人たちは、僕が面白くない、時には苦痛さえ感じる ”暗記部分”もあっという間に通り越して、すぐに応用や創造や独創の世界に入っていきます。しかし、誰もが IPS 細胞を創り出せるわけではありません。

凡人以上に凡人の僕は、自分が嫌いな基礎的暗記部分でも、すぐに通過する才能はまるでないので、もともと嫌いなだけに、なにかシバリを入れないと、すぐに忘れてしまいます。

TOEIC もスピードに慣れるという条件はあるかもしれませんが、基本的に暗記の範疇です。要するに知っているか、知らないか、覚えているか、忘れたかにつきます。

ですので、苦手な暗記部分をなんとか楽しく (?)、伸ばせ、ドキドキしながら味わえるツールとして、受ける日にちによほどの用事がない限りは、年に 1 ~ 2 回は取り入れようと思います。

TOEIC 受験が自分へのクリスマス・プレゼント、とまで言えればいいのですが、まだまだ受けること自体は、正直それに伴う暗記と反復練習を考えると、実は少々重荷ではあります。

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右傾化とチャフラフスカ

2012年12月16日 02時55分31秒 | 日記・エッセイ・コラム

今日のブログは英語学習でも米国公認会計士の話題でもありません。

ちょっとカタイ話題ですが、少々お付き合い下さい。

明日は総選挙ですね。全く最近の政治の貧困を見ると時間を割いて投票場に足を運ぶのも馬鹿らしくなります。若い人ほどそうだと思いますが、そうは言わず、とにかく投票にだけは行きましょう。

日本の政治の貧困の根本的な問題は、若くて優秀な人が政治家だけにはなりたくない、と思い、他の職業を選ぶことにあります。なりたい職業のベスト 10 に政治家が入ることはまずありません。将来ああいう風になりたい、という政治家のロールモデルがいないことも原因の一つです。もともと優秀な人が政治家になっていないので当然かもしれませんが。

日本で政治家というと私利私欲、二枚舌、嘘つきという最低のイメージが付きまといます。

だからこそ体調不良で勝手に政権を投げ出した人が再び某党の総裁として、選挙戦で無責任な発言を繰り返すのでしょう。(他の先進諸国ではそんなことは許されないですが、また優秀でも政治家を志す人も多いですが、ここでは触れません。)

日本は他の国と比べ、劣っているどころか、治安の良さや助け合いの精神、勤勉さなど優れた慣習、文化を持っている国ですが、政治が貧困なために他国から必要以上にひどい国だと思われています。

社会や世情が不安定になると、国家は右傾化する傾向があります。第二次世界大戦前のドイツや日本がそうですね。都知事を途中で辞めて某党の親分になった某氏の発言を聞くとまさにそんな感じです。もちろんしょっちゅう領海や領空を侵犯されると僕も腹を立てないわけではありませんが、だからといって、石油自給率 0.5 %以下、食糧自給率 40 %以下の日本が、核を保有し、周辺諸国と事を構えて生きていけると本気で考えているのでしょうか?国民の生命と財産を守るのが政治家の第一義であるはずなのに、無責任としか言いようがないですね。右傾化と愛国者は根本的に異なります。かつての特攻隊や大和の水上特攻と同じ発想の一時の感情的な右傾化で国民の生命を脅かすのはやめて頂きたいですね。同じ 『 持たざる国 』でもシンガポールと日本の国家戦略とは大違いです。

右傾化と愛国者の違いとして、今日はチャフラフスカの話を取り上げます。

チャフラフスカと言えば、僕より一回り年長の方にはアイドル的な絶大な人気があります。解説する必要もありませんが、東京オリンピックの女子体操個人総合と平均台、跳馬の金メダリストリストです。僕も白黒 TV で当時の映像を見た微かな記憶があります。ちなみに冬季札幌オリンピックのアイドルはジャネット・リンでした。この人の記憶はカラーで鮮やかに残っています。

最近 『ベラ・チャフラフスカ  もっとも美しく 』(文春文庫 後藤正治 著)を読みました。2006 年に印刷され、初版しか印刷されていないので、ベストセラーではありませんが。

チャフラフスカについては、現在の中高年のアイドルでありながら、その後の数奇な人生はあまり知られていません。

が、彼女ほど欧州の現代史に翻弄されたゴールドメダリストはいないと思います。

 

時は東京オリンピックから 4 年後の 1968 年のメキシコ オリンピック。チャフラフスカは すでに 26 歳になっており、当時としても体操選手としての盛りは過ぎていましたが、それでも 当時のチェコスロバキアのオリンピック代表に選ばれます。

しかし、メキシコ オリンピック の一ヶ月前にチェコの民主化運動、いわゆる、『 プラハの春 』に危機感を持った当時のソ連は、武力をもって制圧に乗り出します。結局チェコの民主化運動は旧ソ連の武力で鎮圧されてしまいます。

チャフラフスカは、オリンピックに向けて懸命にレーニング中でしたが、ソ連軍のチェコ侵入のニュースをラジオで知り、すぐに公の場から姿を隠します。チェコの民主化の精神を謳った 『 2000 語宣言 』の署名者の一人であったため、ソ連軍に捕まれば、制裁を受けるかもしれないからです。奥深い森林の中に身を隠し、設備の整った練習場にも行くことは出来ないし、コーチも受けられなくなります。

練習場 (体育館)に入れない彼女は、3週間 、一人森林の山小屋に姿を隠し、森の木々を段違い平行棒がわりに、地面に引いた幅 10 cmの平行線を平均台がわりに練習します。その時の彼女を支えていたのは必ずソ連に勝つ、という一念でした。(当時の体操王国はなんといってもソ連でしたから。) こういう相手がたとえ強大であってもめげない反骨精神は僕は非常に好きですね。

オリンピックの直前になってようやく参加を許された彼女は、メキシコ オリンピック の体操の競技場に、真っ黒なレオタード、ヘアーバンドも真っ黒の ”喪章”で登場します。『 プラハの春 』でソ連軍(ワルシャワ条約機構軍)の戦車に蹂躙されたチェコ国民に哀悼の意を示すためです。

競技の結果は、ライバルの若いソ連のクチンスカヤを大きく上回り、チャフラフスカは個人総合、跳馬、段違い平行棒、ゆかで金メダルを取ります。(ゆかはソ連のラリサ・ペトリックと同点で優勝を分け合った。) ソ連が金メダルを取ったのは、団体総合とクチンスカヤの平均台とペトリックのゆかだけでした。

ゆかの表彰式にソ連の選手と同点で表彰台の一番高い場所に立った彼女は、ソ連国歌が流れている間中そっぽを向いている映像が今でも残っています。

メキシコ オリンピック後、メキシコで結婚式を挙げ、体操選手は引退します。他の国からは、なにしろオリンピック 2 大会連続個人総合の金メダリストですから、破格の体操コーチのオファーなどもありましたが、それらを全て断り、彼女は祖国チェコへ戻っていきます。

チェコ帰国後も彼女は長い間仕事に就くことができません。『 2000 語宣言 』の署名を撤回しさえすれば、高給の公職にも体操コーチの職にもつかせるという 、ソ連軍のプラハ侵攻以降、親ソ連となったチェコの政府当局から 40 回にも及ぶ尋問の圧力に屈せず、彼女は署名を撤回しません。したがって当時共産主義国家なら金メダルを取れば、国家的英雄として一生不自由しない生活が送れるにもかかわらず (中国では今でもそうですが)彼女は仕事にさえつくこともできません。パスポートも取り上げられ、国際電話線も遮断されてしまいます。

それでもチャフラフスカの窮状を知った当時の西側諸国からは、体操のオリンピック・コーチから CM の出演依頼まで、色々なオファーがありましたが、チャフラフスカは後に 『 外国に亡命することは一度も考えたことはありません。家族、親戚、きょうだいと別れることは嫌だったし、チェコという国とチェコ人を愛していたから。この国で私は生まれ、育ったのです。たとえ時の政府には反対であったとしても。 』と語っています。

ちなみに、モントリオール オリンピックのアイドルとなったコマネチはルーマニアからアメリカに亡命し、現在はアメリカで体操のコーチをしています。後にコマネチは、『 私はチャフラフスカほど強くなかった。』と言っています。ただコマネチは責められないと思います。当時のチャウセスク政権は社会主義に名を借りた独裁国家でしたから。

チャフラフスカにようやく春が巡ってきたのは、ソ連崩壊後の 1989 年にチェコが民主化を取り戻した時です。その時から彼女は望まれて大統領顧問になったり、IOC の委員になったり、チェコのために精力的に深夜まで仕事をこなします。

しかし、それもつかの間、家庭内の問題(息子が誤って彼女の元夫を殺してしまう。)などもあり、生来の責任感の強い生真面目な性格も災いして、それまでの心労から重い鬱病になり、現在は治療中でほとんど人とも会っていないとのことです。

・・・ チャフラフスカは人生を賭けた愛国者でしたが、決して右傾化はしていません。愛国者と右傾化の違いが何となくわかって頂けたでしょうか?

棄権せず、投票にだけは行きましょう。

政治とは、軽いものではなく、本来は幸せに人生を送れたはずの体操選手の人生までをも狂わす、重い、怖いものです。

どれもこれも投票に足る政治家や政党がなければ、『 該当者なし。』と書いてもいいではありませんか。棄権と反対表明は大きく違います。もし『 該当者なし。』 が 100 万票も集まれば、今の日本の政治家も少しは目を覚ますのではないでしょうか?

 



 

 

 

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次の TOEIC IP テストをどうするべきか?

2012年12月10日 20時21分59秒 | TOEIC

あっという間に季節は変わり、真冬並みの寒い日が続いていますね。

年末に、何かと気ぜわしく、バタバタとしていますが、次の TOEIC IP テストが、来年の 1 月21 日にあります。

こう忙しくでは中々準備もままならないので、受けようかどうしようか迷っています。

目標の 950 点を超えるには 2 か月ぐらいみっちり勉強しないと難しいとおもいます。
が、受ければまた何かしら得るところもあるので、7 割ぐらいは受ける方に気持が傾いています。何事も迷った時は前に進む方を選ぶようにしています。

僕の場合、弱点はリーディング、しかも、Part 7 だと思いますので、これだけでもしっかり練習しようと思います。

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