今日のブログは英語学習でも米国公認会計士の話題でもありません。
ちょっとカタイ話題ですが、少々お付き合い下さい。
明日は総選挙ですね。全く最近の政治の貧困を見ると時間を割いて投票場に足を運ぶのも馬鹿らしくなります。若い人ほどそうだと思いますが、そうは言わず、とにかく投票にだけは行きましょう。
日本の政治の貧困の根本的な問題は、若くて優秀な人が政治家だけにはなりたくない、と思い、他の職業を選ぶことにあります。なりたい職業のベスト 10 に政治家が入ることはまずありません。将来ああいう風になりたい、という政治家のロールモデルがいないことも原因の一つです。もともと優秀な人が政治家になっていないので当然かもしれませんが。
日本で政治家というと私利私欲、二枚舌、嘘つきという最低のイメージが付きまといます。
だからこそ体調不良で勝手に政権を投げ出した人が再び某党の総裁として、選挙戦で無責任な発言を繰り返すのでしょう。(他の先進諸国ではそんなことは許されないですが、また優秀でも政治家を志す人も多いですが、ここでは触れません。)
日本は他の国と比べ、劣っているどころか、治安の良さや助け合いの精神、勤勉さなど優れた慣習、文化を持っている国ですが、政治が貧困なために他国から必要以上にひどい国だと思われています。
社会や世情が不安定になると、国家は右傾化する傾向があります。第二次世界大戦前のドイツや日本がそうですね。都知事を途中で辞めて某党の親分になった某氏の発言を聞くとまさにそんな感じです。もちろんしょっちゅう領海や領空を侵犯されると僕も腹を立てないわけではありませんが、だからといって、石油自給率 0.5 %以下、食糧自給率 40 %以下の日本が、核を保有し、周辺諸国と事を構えて生きていけると本気で考えているのでしょうか?国民の生命と財産を守るのが政治家の第一義であるはずなのに、無責任としか言いようがないですね。右傾化と愛国者は根本的に異なります。かつての特攻隊や大和の水上特攻と同じ発想の一時の感情的な右傾化で国民の生命を脅かすのはやめて頂きたいですね。同じ 『 持たざる国 』でもシンガポールと日本の国家戦略とは大違いです。
右傾化と愛国者の違いとして、今日はチャフラフスカの話を取り上げます。
チャフラフスカと言えば、僕より一回り年長の方にはアイドル的な絶大な人気があります。解説する必要もありませんが、東京オリンピックの女子体操個人総合と平均台、跳馬の金メダリストリストです。僕も白黒 TV で当時の映像を見た微かな記憶があります。ちなみに冬季札幌オリンピックのアイドルはジャネット・リンでした。この人の記憶はカラーで鮮やかに残っています。
最近 『ベラ・チャフラフスカ もっとも美しく 』(文春文庫 後藤正治 著)を読みました。2006 年に印刷され、初版しか印刷されていないので、ベストセラーではありませんが。
チャフラフスカについては、現在の中高年のアイドルでありながら、その後の数奇な人生はあまり知られていません。
が、彼女ほど欧州の現代史に翻弄されたゴールドメダリストはいないと思います。
時は東京オリンピックから 4 年後の 1968 年のメキシコ オリンピック。チャフラフスカは すでに 26 歳になっており、当時としても体操選手としての盛りは過ぎていましたが、それでも 当時のチェコスロバキアのオリンピック代表に選ばれます。
しかし、メキシコ オリンピック の一ヶ月前にチェコの民主化運動、いわゆる、『 プラハの春 』に危機感を持った当時のソ連は、武力をもって制圧に乗り出します。結局チェコの民主化運動は旧ソ連の武力で鎮圧されてしまいます。
チャフラフスカは、オリンピックに向けて懸命にレーニング中でしたが、ソ連軍のチェコ侵入のニュースをラジオで知り、すぐに公の場から姿を隠します。チェコの民主化の精神を謳った 『 2000 語宣言 』の署名者の一人であったため、ソ連軍に捕まれば、制裁を受けるかもしれないからです。奥深い森林の中に身を隠し、設備の整った練習場にも行くことは出来ないし、コーチも受けられなくなります。
練習場 (体育館)に入れない彼女は、3週間 、一人森林の山小屋に姿を隠し、森の木々を段違い平行棒がわりに、地面に引いた幅 10 cmの平行線を平均台がわりに練習します。その時の彼女を支えていたのは必ずソ連に勝つ、という一念でした。(当時の体操王国はなんといってもソ連でしたから。) こういう相手がたとえ強大であってもめげない反骨精神は僕は非常に好きですね。
オリンピックの直前になってようやく参加を許された彼女は、メキシコ オリンピック の体操の競技場に、真っ黒なレオタード、ヘアーバンドも真っ黒の ”喪章”で登場します。『 プラハの春 』でソ連軍(ワルシャワ条約機構軍)の戦車に蹂躙されたチェコ国民に哀悼の意を示すためです。
競技の結果は、ライバルの若いソ連のクチンスカヤを大きく上回り、チャフラフスカは個人総合、跳馬、段違い平行棒、ゆかで金メダルを取ります。(ゆかはソ連のラリサ・ペトリックと同点で優勝を分け合った。) ソ連が金メダルを取ったのは、団体総合とクチンスカヤの平均台とペトリックのゆかだけでした。
ゆかの表彰式にソ連の選手と同点で表彰台の一番高い場所に立った彼女は、ソ連国歌が流れている間中そっぽを向いている映像が今でも残っています。
メキシコ オリンピック後、メキシコで結婚式を挙げ、体操選手は引退します。他の国からは、なにしろオリンピック 2 大会連続個人総合の金メダリストですから、破格の体操コーチのオファーなどもありましたが、それらを全て断り、彼女は祖国チェコへ戻っていきます。
チェコ帰国後も彼女は長い間仕事に就くことができません。『 2000 語宣言 』の署名を撤回しさえすれば、高給の公職にも体操コーチの職にもつかせるという 、ソ連軍のプラハ侵攻以降、親ソ連となったチェコの政府当局から 40 回にも及ぶ尋問の圧力に屈せず、彼女は署名を撤回しません。したがって当時共産主義国家なら金メダルを取れば、国家的英雄として一生不自由しない生活が送れるにもかかわらず (中国では今でもそうですが)彼女は仕事にさえつくこともできません。パスポートも取り上げられ、国際電話線も遮断されてしまいます。
それでもチャフラフスカの窮状を知った当時の西側諸国からは、体操のオリンピック・コーチから CM の出演依頼まで、色々なオファーがありましたが、チャフラフスカは後に 『 外国に亡命することは一度も考えたことはありません。家族、親戚、きょうだいと別れることは嫌だったし、チェコという国とチェコ人を愛していたから。この国で私は生まれ、育ったのです。たとえ時の政府には反対であったとしても。 』と語っています。
ちなみに、モントリオール オリンピックのアイドルとなったコマネチはルーマニアからアメリカに亡命し、現在はアメリカで体操のコーチをしています。後にコマネチは、『 私はチャフラフスカほど強くなかった。』と言っています。ただコマネチは責められないと思います。当時のチャウセスク政権は社会主義に名を借りた独裁国家でしたから。
チャフラフスカにようやく春が巡ってきたのは、ソ連崩壊後の 1989 年にチェコが民主化を取り戻した時です。その時から彼女は望まれて大統領顧問になったり、IOC の委員になったり、チェコのために精力的に深夜まで仕事をこなします。
しかし、それもつかの間、家庭内の問題(息子が誤って彼女の元夫を殺してしまう。)などもあり、生来の責任感の強い生真面目な性格も災いして、それまでの心労から重い鬱病になり、現在は治療中でほとんど人とも会っていないとのことです。
・・・ チャフラフスカは人生を賭けた愛国者でしたが、決して右傾化はしていません。愛国者と右傾化の違いが何となくわかって頂けたでしょうか?
棄権せず、投票にだけは行きましょう。
政治とは、軽いものではなく、本来は幸せに人生を送れたはずの体操選手の人生までをも狂わす、重い、怖いものです。
どれもこれも投票に足る政治家や政党がなければ、『 該当者なし。』と書いてもいいではありませんか。棄権と反対表明は大きく違います。もし『 該当者なし。』 が 100 万票も集まれば、今の日本の政治家も少しは目を覚ますのではないでしょうか?