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逆襲するさらりーまん

ーやっとこさ英検1級、通訳案内士試験合格。しかし英語の道は長い。基本的にやり直し英語+その時々に思うことなど。-

イギリス EU離脱

2016年06月26日 19時30分53秒 | 一般的英語学習

K今日は梅雨の合間の晴れで、真夏並みに暑くなりました。

金曜日にイギリスのEU離脱か否かの賛否を問う国民投票の結果が判明しました。

ここ数か月イギリスの国論を2分し、残留派のコークス議員の殺害まで引き起こした事案ですが、結局僅差で離脱派が勝ちました。僕は前日の木曜日に夜中の1時頃までインターネットラジオでBBCを聞いて、残留派が勝つことを確信していましたが、僕と大方の人々の予想に反し、離脱派が勝利し、残留を主導してきたキャメロン首相は辞任することになりました。世界の金融市場は残留を予想していただけに、株式市場も金融市場も大混乱をきたしています。

僕が思うに、EUの理念は素晴らしいのにも関わらず、重要な決定事項は『EU官僚』と言われるブリュッセルのEU本部にいる高官だけで暗黙裡に密かに決められ、イギリスの庶民にまで重要事項の決定プロセスが伝わっていなかったため、特に庶民層の間にEU不信を招いた結果が国民投票に反映したのだと思います。

また、キャメロン首相も、YESかNOか、という2者択一ではなく、色々なオプション(例えばEUに残留するにしても、離脱派が懸念している移民流入の問題はこういう手を打つ、などの)を提示すべきでしたが、最後までYESかNOかの選択枝しかない国民投票にまで加熱させてしまい、結果として国家の内部を2つに分断してしまった責任は重いと思います。もっとも議会で不信任案が採択される直前まで居直り続けたどこかの国の知事とは違い、潔く辞意を表明したのは立派だと思いますが。

EU離脱そのものよりも、自国民どおしが両極端に反目しあうようになってしまったことの方が問題だと思います。もともとイギリスは、United Kingdom の言葉のとおり、4つの国の連合王国です。もともとEU残留に賛成であったスコットランドと北アイルランドが、ウエールズとイングランドから分離したいと言い始めないか、心配です。それでなくてもスコットランドは自治独立の意識が高く、かなり以前からUnited Kingdom から分離したいと言っているのですから。また北アイルランドは長い間たびたび独立を求めてのテロを繰り返し、つい最近ブレア首相の時代になってようやく収まったばかりですが、また独立の機運が再燃するかもしれません。イギリスが空中分解しなければよいのですが。

さて、話は変わり、今日は、最近日曜日に恒例となっている、テソーラスハウスのプライベートレッスンに行ってきました。(今日で7回目です。)今日のテーマは下の写真の『Time』のモハメド・アリの記事を宿題として読んできた上で、『モハメド・アリはなぜ偉大なのか?』というものでした。

記事とは言っても、今回は20ページ以上あり、しかもアメリカ特有のカジュアルなやわらかい表現がたくさん出てくる、ニューヨークタームズでアリが22歳のころから取材を続けている記者が書いたいわばアリの伝記で、”解読”に非常に苦労しました。わからない単語だけでも100以上ありました。

この記者はアリの素晴らしいところだけを伝えているのではなく、だらしないところや女好きなところも包み隠さず事実を書いているので、この記事だけではアリが偉大だ、ということは出来ません。

が、やはりタイトルを奪われる度に再チャレンジし、3度ヘビー級の世界王者になった稀有のボクサーですし、アトランタオリンピックでパーキンソン病に侵され、身体はぶるぶる震えながらも公衆の面前に姿を現し、聖火台への最終点火者になったことは、同じような病気で苦しむ人に勇気を与えたのではないか、と僕は話しました。

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英検1級・通訳案内士はほんの英語の初級者?

2016年06月18日 21時10分51秒 | 一般的英語学習

今日はまだ6月の中旬というのに、恐ろしく暑い日でした。

世の中、舛添知事の辞任に伴う都知事選挙や参院選挙やイギリスのEU離脱か否かの国民投票を前に、ワサワワと騒がしくなってきましたが、僕の方は一日家に籠り、しこしこと明日のテソーラスハウスでのプライベートレッスンに備え、”予習”をしています。

ネイティブと対等とはいかなくても、そこそこ張り合えるだけの議論をするのは本当にキツい。

僕は一応海英語圏の海外在住5年(シドニーに駐在)、英検1級と通訳案内士とTOEICは(最近低迷していますが)過去5回900点を超えたことがありますが、決して謙遜ではなく、その程度の実力ではとてもネイティブとはディスカッション出来ません。

傲慢に聞こえるかもしれませんが、2分ほど一方的にスピーチして、2,3質問に答えるだけの英検1級の2次試験や、通訳案内士の2次試験などは言わせていただければ楽なものです。

仕事面では使う語彙の範囲が決まっているので(たいていは業界の専門用語)英語で不自由することはありませんが、ネイティブとデフリーにディスカッションするにあたり、まず僕に一番不足しているのが語彙数です。今僕が保持している英語の語彙数はせいぜい1万語程度ですが、この程度ではまったく歯が立ちません。英語は数ある世界の言語の中でも異常に語彙数が多い言語です。

ほぼ日本人から成り立っている日本と異なり、イギリスのもともとの原住民のケルト人が現在の北部ドイツやデンマークあたりに住んでいたアングロ人、サクソン人に乗っ取られ、さらにアングロ・サクソン人も中世のノルマンコンクエストのころには現在のフランスやベルギーに住んでいたノルマン人に乗っ取られたりと、さまざまな民族と言語がいりつ乱れつして出来たのが現代英語なので、やたら同義語 (synonym) が多い。暇な言語学者が調べたところ、現在は使われていない死語も含めると、英語の語彙は1億語(!)もあるそうです。しかも、発音と綴りとはほとんど一致しないので、新しい単語を覚えるのは一苦労です。

大体そこそこ教養のあるネイティブと仕事以外の話を議論するには、2~3万語は必要です。しかもイディオムも覚えなければならない。いつもネイティブとディスカッションする時にはこれが日本語ならばもっとうまく言えたのに、と悔しい思いをしますが、厳しいテソーラスハウスのJohnは日本語はペラペラなのに一切日本語は受け付けてくれません。

まだまだ道は長く、自分の実力のなさに、暗然としますが、明日のディスカッションの予想されるテーマは『結婚のあり方』で、monogamy や infidelity など難しいキーワードは仕込んでおきます。

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テソーラスハウス プライベートレッスン5回目

2016年06月12日 19時54分49秒 | 一般的英語学習

今日は蒸し暑い一日でした。

さて、今日もテソーラスハウスでプライベート レッスン。毎日曜日の午後3時からプライベートレッスンを受けるようになって、はや5回目になります。日曜日、若者でごった返す原宿駅から人波をかき分け、場違いな中高年おやじが歩いて10分ほどの、ちょうどJR原宿駅と渋谷駅の中間にあるテソーラスハウスに向かいます。10分歩いただけで今日は汗だくだくです。

わずか50分ほどのプライベートレッスンですが、マンツーマンですので、最低25分は(実際は僕が40分ぐらいしゃべり、講師のJohnは10分ぐらいなのですが)英語でしゃべり続けなければならないので、非常に疲れます。50分で一日仕事をしたより疲れる。

また僕が『出来るだけ厳しく指導してほしい。』と言ったがために、まるで先日亡くなられた蜷川幸雄さんのダメ出しのように、不自然な表現があるとその都度止められ、ダメ出しされます。

レッスンの進め方は、これも僕から提案したのですが、前週に『TIME』最新号の中からJohnが記事を選び、僕が翌週までにその記事をしっかり予習して、翌週その記事のサマリーを僕がスピーチし、その後、その記事について、Johnとディスカッションする、というものです。(しかし、ネイティブと英語でディスカッションしても、かなうわけがない。いつも自分の言いたいことの20%も言えません。)

今日のトピックは、先週決めた『TIME』の記事の中のカバーストーリーの南シナ海の領土問題です。大体5~6ページの記事を”予習”すると、知らない単語が20ぐらい出てきます。これもよせばよいのに僕がJohnに知らない単語が出てきたら、英英辞典で調べるようにする。と言ったものだから手間は大変です。また、記事について英語でディスカッションするには、Johnにかなわないまでも相当なネタを英語で用意しておかなければならないので、わずか50分ほどのレッスンでも、”予習”に大体10時間ぐらいかかります。

いい年こいてなんで自らこんなしんどいことをやらなければならないのだろう、と思いながらレッスンからの帰りに渋谷の街を歩いていたら、参院選で選挙活動をしている元行政改革・金融担当大臣の渡辺善美氏にバッタリ出くわしてしまった。中高年のよしみ(シャレではない)でつい『頑張って下さい。』と握手してしまいました。。。。


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モハメド・アリの死

2016年06月05日 19時41分09秒 | 日記・エッセイ・コラム

関東地方も今日(6月5日)梅雨入りしたようです。

”伝説のボクサー”の一人、モハメド・アリ氏が6月3日、アメリカ・アリゾナ州で亡くなりました。74歳でした。昨日はCNNもBBCもずっとそのニュースを流していました。

若い人は彼の現役時代を知らないと思いますが、それまで大男のケンカの殴り合いのようであったヘビー級のボクシングを”蝶のように舞い、蜂のように刺す”(Float Like a butterfly、sting like a bee)と呼ばれた、華麗なフットワークと鋭いジャブのテクニックで、ヘビー級ボクシングの世界を変えた人です。

1960年のローマ オリンピックでライトヘビー級の金メダル、プロに転向してからは1964年にヘビー級世界王者のソニー・リストンをKOし、ヘビー級世界チャンピオンになりますが、持ち前の大風呂敷の発言(俺は偉大だ、俺は世界の王様だ。次の試合ではOOラウンドであいつは必ずマットに這いつくばる。)などで、『ホラ吹きクレイ(イスラム教に改宗前の彼の名前はカシアス・クレイ)』などと呼ばれ、同時代の人たちからは、好悪両方の目で見られていました。その後、当時アメリカで沸き上がりつつあった公民権運動を強く支持し、またベトナム戦争への徴兵も拒否したことから、禁固5年と1万ドルの罰金刑を言い渡され、無敗であるにも関わらず、ヘビー級王者の資格も剥奪され、ボクシング選手としては致命的な3年以上のブランクを経て、合衆国最高裁で無罪となり、1971年ヘビー級王者のジョー・フレージャーに挑みますが、15ラウンドまで戦ったものの、判定負け。

その後、1974年にザイール共和国(現コンゴ共和国)の首都キンシャサで、ジョー・フレージャーに代わって世界チャンピオンになっていたジョージ・フォアマンと世紀のタイトルマッチを行います。このあたりから僕は現役時代の彼の映像をはっきり見た記憶があります。この試合は全世界に放映されました。

キンシャサの試合は、僕もテレビで見ましたが、全盛を過ぎたと思われていたアリが、以前の蝶のように舞うフットワークも使わず、ロープを背にして防戦一方のように見せかけ、フォアマンに打たせるだけ打たせておいて疲れさせ、8ラウンドに一発パンチでフォアマンをマットに沈めるという衝撃的なものでした。今でも『キンシャサの奇跡』として語り継がれています。

ただ、それだけですと、ただの名選手に終わったのですが、僕の記憶に鮮明に残っているのは、1996年のアトランタ・オリンピックで彼が聖火台の最終点火者に選ばれたことです。僕はオリンピック・フェチなので当時開会式もテレビの生放送で見ていましたが、聖火台への最終点火者は誰にも知らされていませんでした。ソウルオリンピックで3個の金メダルを取った名スイマーのジャネット・エバンスにトーチが手渡され、その次に手渡される最終点火者は誰かと世界が見守る中、引退後、パーキンソン病を患い(ボクサーとしてハードパンチを受け続けたのが発症の原因とされる)見た目にも身体が震えているモハメド・アリが登場し、聖火台に点火しました。

こう言っては何ですが、普通聖火台への最終点火者は、誰がみてもかつてオリンピックで活躍した、”優等生的・模範的”な、国民的ヒーローが選ばれますが、彼のような好悪の評判が分かれる、また波乱万丈の人生を送ってきた人、しかもパーキンソン病で点火もままならない人は選ばれないものです。当時の実況アナウンサーも驚いていましたが、僕も久しぶりに見るアリの姿に少なからず驚きました。

聞けば、かつてのオリンピックの金メダリストであるだけでなく、引退後の彼の社会的メッセージが評価されてのことだそうです。

また、ローマオリンピックで取った金メダルは、その直後に帰国して立ち寄ったレストランで、人種差別的な扱いを受けたため、川に捨てたということで、アトランタオリンピックで再度金メダルを授与されました。IOCも粋な計らいをするものだな、と当時の僕は思いました。

彼はその後も人種差別撤廃のメッセージを発し続け、晩年の2005年にはホワイトハウスに招かれ、アメリカの文民では最高の栄誉である、Presidential Medal of Freedom を受けました。

現代史を駆け抜けた一人の偉人が、また一人世を去りました。


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