岡田ジャパンのパラグアイ戦、いい試合でしたね。決勝トーナメントまで行けたのが、奇跡のようなのに、パラグアイ戦も事実上のドローで、よく戦ったと思います。
今日は往き帰りの電車の中で『Pass 単』を愚直なまでにリスニング。
『TIME』 を10ページ 読みました。
岡田ジャパンのパラグアイ戦、いい試合でしたね。決勝トーナメントまで行けたのが、奇跡のようなのに、パラグアイ戦も事実上のドローで、よく戦ったと思います。
今日は往き帰りの電車の中で『Pass 単』を愚直なまでにリスニング。
『TIME』 を10ページ 読みました。
今日は通勤の往き帰りの電車の中で、『Pass 単』のリスニング。
会社の昼休みに、今日も『つけ麺』をすすりながら、『TIME』 4 ページ。
なぜかつけ麺とTIMEは相性がいいようです。
通訳案内士の試験が2か月後となってきましたが、過去問を見直す程度で、この試験に特化した大した試験対策もありません。(していません。)この試験は年に1回だけですが、(昨年受けて、4科目のうち、日本史と日本地理だけ合格だった。)試験内容というより、日本文化の紹介の要素があり、個人的な指向とあっているので、状況が許せば、合格するまで、毎年受け続けます。
『Pass 単』はアマゾンの書評をはじめ、巷の評判はさっぱりです。が、僕は特にパート1の単語は、英検の試験だけでなく、英字新聞や、TIMEでも頻出しており、全部覚えるのはなかなか大変ですが、パート1だけでも完全にモノに出来れば、色々な英文やどのような英語の試験でも、かなり応用が利くと思います。(出来れば全パート、モノにしたい。)
今日は『TIME』をもう少し読んで寝ます。。
昨日金曜日は、朝まで岡田ジャパンのデンマーク戦を応援して、会社にいって帰宅したらヘロヘロで、パソコンを開く気になれず、今日、英検1級の結果をウエブで確認しました。
サッカーもビジネスも同じですが、現実は現実として、しっかり受け止め、自分の中に落とし込まないと、次への進歩がないので、公表しますと、
63点(不合格A、113点が満点、合格最低点は77点 )でした。
受験者の皆さんには、ウエブで発表される前に、”自己採点”でだいたいあたりをつけている(だいたい、というのはエッセイの得点は自己採点出来ないため)方もいるようですが、僕は、最近受けたあらゆる試験で”自己採点”したことが一度もない人です。(年を食って修羅場をくぐってきたたビジネスパーソンとして、すっかりふてぶてしくなっていて、こちらは7,500円、映画だったら、4~5本も楽しめる対価を払っているので、セクションごとの点数も知らせるのが英検協会の仕事だろう、と思っていますので、詳細が郵送されて来るまで待ちます。)ただ、6月24日の記事で書いた”エッセイ”がどう評価されたのかは、知りたいところです。マークシートの部分は自己採点出来るので、総得点から、マークシート部分の得点を引けば、エッセイの得点は出るのですが、問題冊子(英検では問題冊子は持ち帰れる)に解答をマークすることも上記の理由でしておらず、この2週間に仕事から岡田ジャパンの決勝トーナメント行き決定まで、色々あったので、選択枝の何番にマークしたのかは全ては思い出せません。
まあ、全体的な感想は、今回1級受験は初めてですが、過去問に比べて僕の得意(と自分では思っている)の読解問題が難しく(合格最低点も過去より低いですが)そこで躓いてリスニングの先読みも全くできなかったのがあまり得点できなかった直接の原因だと思います。詳細が郵送されたら、しっかり”現状分析”してみます。
ただ、日本では受験の合否やテストの得点、偏差値などに慣らされているせいかもしれませんが、どうも合否や点数の結果のみこだわり過ぎる人、深刻になりすぎる人が多すぎる気がします。英検やTOEICの結果は、その人の全人格、人間性にいささかの影響も与えるものではありません。
学校を卒業して、10年ぐらいブランクがあって、英語の学習を再開した直後の人がTOEIC を受ければ、おそらく300点~400点ぐらいだと思いますが、それが900点以上の人と比べて何らかの問題があるわけではありません。
大切なのは、個々人のレベルに応じた目標を持ち、次回は350点、あるいは450点になるよう、前を向いて歩くことだと思います。そういう人の英語は、たとえ流暢ではなくても、通じやすいです。英語ネイティブの地域の人は、(特にアメリカ人は)前向き思考の人が多いので、共感を得やすいからです。
僕の場合は、英語の学習を続ける目的は、6月17日の記事で書きましたが、『自己満足』を求めてです。では英語についてどういう状況になれば自己が満足できるのか、というと、『自分と違った価値観を持っている、ある程度教養のある英語ネイティブの、その人にストレスを感じさせなほどのほぼナチュラルなスピード(70%のスピード)で、相手の言うことや書く文章が理解でき、かつ僕の言うことや文章も伝えることが出来、それによってお互いの知識、考え方、価値観を広げることが出来る』状況です。
ネイティブの手加減が入らない時のナチュラル・スピードの表現のすさまじさを骨身にしみて経験していますので、その70%程度のスピード(逆に70%以下のスピードでは、手加減、加工されているので、真に自然にコミュニケートしているとは言えないでしょう。しかし、100%というのは、一生かけても無理です。)でも、これは夢といういか野望といっていいほどの目標設定で、英検1級でもTOEIC 990でもぶっ飛ぶと思います。逆に言えば、英検1級でもTOEIC 990 でも 920でもその実践の世界では、それほど関係ありません。(やや負け惜しみかもしれませんが。。)
10年前の、5年間の海外駐在直後はそれにもう少しで手が届きそうな自覚体験があり、ですから僕個人のやり直しの英語の学習の究極目標としていますが、英語は、日本人にとって伸ばすことはおろか、維持管理することすら大変難しい言語で、現在はこの体たらくになっています。仕事でも時折ネイディブ相手に英語を使う場面もありますが、いつも消化不良のような歯がゆい思いをしており、『自己不満足』状態です。
英検1級については、個人的には、6月24日の記事で書いた、エッセイ以外は、上記目標に向けてのビルドアップに役立つ、英語での思考持久力も含めた良問ぞろいだと思います。ネイティブも色々な人がいますが、ある程度教養のある人ならば、1級程度の語彙、表現はよく使います。
TOEICも意義はあると思いますが、すべてのレベルの受験者が同じ問題のため、上級者レベルの人は、満点もしくは高得点を取るのが目的化しているような気がします。僕の場合は、自分のレベルが著しく落ちていないか、レベルチェックにのみ、利用しています。
通訳案内士の試験は、試験の要件が、僕のベクトルにあっている、という個人的好みです。
英検1級は必ず再挑戦しますが、英語の地力、実力が短期間でそう上がるものではないのもよく分かっていますので、今年の10月に受けるか、来年の1月か、あるいはもっと後かはまだ決めていません。
最後に、今まで本棚に積んでいるだけで、読んでいなかった、『英語をやっていて本当によかった。 (WAC 文庫 吉越 浩一郎 著)』を読みました。著者ご本人が長く海外ビジネスに携わっていたので、具体的な実例も交えながら、分かりやすく書かれており、特にビジネスで英語を使う方には、示唆に富んでいると思います。興味のある方は読んでみて下さい。
今日からまた英語学習記録です。。。のはずが。。
昼休みに『つけ麺』をすすりながら、『TIME』 3ページ。
ワールド・カップ特集で、アメリカでもベッカムが来たりして、サッカーが盛んになってきた、という記事でした。そうしたら本当に予選リーグを1位で突破しました。
通勤の往き帰りにポッドキャストのABCニュースを録音したものをのリスニング。
帰宅して、学習しようと思ったのですが、明日未明3時半から、岡田ジャパンとデンマークとの決勝トーナメント行きをかけた試合があります。外国の開催で日本が決勝トーナメントに行けるチャンスは、僕の生きているうちには来ないかもしれない。。。
僕は英語をやっているのに、あるいはやっているからこそ、パトリオット(愛国者)です。愛すればこそ、要求も厳しくなるのですが。。小兵の日本人が、大男のデーニッシュと対峙する、という構図も好きで、もちろん観ます。
ということで、今日はもう寝て明日3時20分に起きます。
今日は英検1級 エッセイ問題の所感です。
英検1級の問題は、巷で難しすぎる、といわれている語彙・イディオム問題も含めて、出来が悪ければ、『私が悪うございました。出直してきます。』とシャッポを脱ぐようなものばかりですが、エッセイ問題だけは、僕にとっては(?)という感じです。
ご存じの方も多いと思いますが、英検1級のエッセイ問題は、『排出ガス規制に反対か賛成か?』などといったテーマに6つのキー・ワードが与えられ、そのうち3つを用い、イントロ、コンクルージョンも含め、3つ以上のパラグラフで英文を書く、というものです。
まず、200語程度で、イントロ、コンクルージョン、3つのキー・ワードを使うというシバリがあると、ほとんど自分の信条を語るわけにはいきませんね。ほとんどテンプレートのようになります。500語ぐらいで、3つのキー・ワードもなしで配分時間は60分ぐらいにならないものでしょうか?
ある対策本には、『英語の試験なので、自分の信条や意見など関係ない。キー・ワードも自分が賛成でも、反対に関係するキー・ワードの方が、書きやすいならば、それらを選べばよい。』と書いてあります。
ん、と思うのはこの点で、エッセイというからには、自分の思うところを書くべきで、信条を曲げてまで書きやすい方で書くべきではないと思うのですが。。。いずれにせよ、200語ではパターンしか書けず(パターンすら忘れたので書けませんでしたが)これでは英文パターン・プラクティスだと思うのですが。そもそも言葉とは自分の言いたいことがあってはじめて、文字や音声になるのであって、エッセイ、というからには言いたいことと違うのにパターンだけ整っていてもしょうがないと思うのですが。。。
こう言うと『負け惜しみを言うな。理屈をこねるな。お前はどうしても英検1級をクリアしたいという、執念がない。』と叱られそうですが、書きにくくても自分の考えに合ったキー・ワードを選んでしまう僕です。。。
このような、自分勝手流、わがままな英語学習はまだまだ続きます。
硬派な記事はこれまでで、次回からはまたナンパな学習記録に戻ります。
昨日の岡田ジャパンのオランダ戦、大健闘しましたね。
ワールド・カップに隠れて注目度はいまいちですが、全米オープンゴルフで、遼くんも頑張っています。
前々回、前回の記事のとおり、僕は英語の効用について是認論者です。
(ところが、僕と同世代のオヤジ世代の人には否定論者、そもそも英語アレルギーの人が80%ぐらいいるのですよ。是認論者は少数派です。さすがに20代の若い人はそんなことはないと思いますが。)
ところで、『週刊 東洋経済』『週刊 ダイアモンド』はおやじさらりーまんの『日刊 ゲンダイ』『夕刊フジ』のようなもので、時々記者が取材に来ます。
『週刊 東洋経済』の6月19日の楽天の三木谷君(実業界では僕の方がかなり先輩なので、”君”です。)の発言(正確にはインタビュー記事)などは、英語の必要性については、『日頃から僕が思っていることをよくぞ言ってくれた。』という部分もあり、留飲が下がる思いです。が、企業社会全体ではまだまだ否定論者が多いので、結構波紋を呼んでいます。三木谷君はオーナー社長なので、言いたいことが言えるという面もあります。
今日は、英検1級のエッセイ問題の所感を書く予定でしたが、ちょっと変更して、英語とグローバル化について、この、『週刊 東洋経済』の記事について思うことを書いていきます。(難しいことをいう、うるさいオヤジ、といわれないように、こういう話は、ごく時たまにだけ、にしますが。)
僕は、英語の必要性については、積極的な肯定論者ですが、国際化を超えてグローバル化(地球規模化)ということまでになると、三木谷君の発言は(?)という思いで、やや注意することが必要と思います。
英語が出来る、ということは、グローバル化の必要条件のうちの一つ、きっかけの一つではありますが、十分条件、絶対条件ではありません。
僕の考えるグローバルである、という”定義”は、『地球規模で普遍的に価値をもつ。』ことで、英語が出来さえすれば、グローバルというのであれば、英語ネイティブの英米加豪人は、すべてグローバル人となります。
しかし、僕の個人的体験では、これらの地域には、極めて偏狭で排他的ナショナリスト、レイシスト、コーランも通読しないうちから、異教というだけで頭ごなしの反イスラム主義者、軍事制圧行動大賛成の軍産複合体推進主義者、など、現在あるいは近未来のグローバル・スタンダードからほど遠い人たちがうじゃうじゃいます。
(もちろん、グローバルでフェアな人も大勢います。)
前にも書きましたが、マリナーズのイチローは英語があまり流暢ではありませんが、彼の野球技術は『地球規模で稀有な価値』があるので、僕はグローバルだと思います。
また『クロサワ監督』の作品のほとんどが日本語で製作されていますが、『地球規模で人々を感動させることが出来た。』ので、グローバルだと思います。
三木谷君は、親の仕事の関係で、米国で2年間初等教育を受けた”短期帰国子女”で、帰国後に社会人になってからもHBS(ハーバード・ビジネススクール)に通っていたからか、英語(米語)=グローバル という偏向が強いように思います。
『週刊 東洋経済』にある、執行役員は2年以内にTOEIC 750点なければクビ、という記事も、なぜ彼が敬愛して価値を認めているHBSのマスター・ディグリーではなく、TOEICなのか、またなぜ950点ではなく、650点でもなく、750点なのか、よく解りませんし、オリジナルな企業を創業した彼にしては、オリジナリティがなく、一般的な”偏向”に追従している感じがします。案外楽天は海外が極めて弱い(というか基盤も確立していない)ので、海外で急いで利益を上げるために、とりあえず英語が使える人間が欲しい、という底の浅いことだけのことかもしれません。
また、社内の英語の公用語化についても、最も早く実現しようと思えば、HQ(ヘッドクオーター)を英語ネイティブの英米加豪か、もしコストが高いというのであれば、マレーシア、ベトナムあるいはルーマニアなどビジネスでの英語化が進んでいる地域に移転すれば済む話です。(もっともそれだけでは多国籍企業になるだけで、まだグローバル化したとは言えませんが。。)彼はオーナー社長なので、その程度のことは自分で簡単に決定できるはずです。
さらに、中学の英語の教師をみんな英語ペラぺラな人に変えてしまえ、という発言も、英語ペラペラな状態がどういう能力、状況か解りません。”短期帰国子女”の彼が帰国後通った中学では、彼のイメージの”英語ペラペラ”な英語の先生ではなかったかもしれないが、現在では、三木谷君に言われるまでもなく、生徒の英語の運用能力向上のため、日々奮闘している英語の先生もたくさんいらっしゃいます。
また、過去のことでも、僕の個人的体験では、手前味噌ですが、意外なことに、海外で外国人に『あなたの英語は文法が正確で素晴らしい。』と褒められることも多く、中学、高校では、あまり“英語ペラペラ”の面白い授業ではありませんでしたが、しっかり英文法や語法を教えて頂いておいてよかった、と思っています。
三木谷君が個人的にどのように思おうと、個人の自由ですが、楽天もすでにジャスダックにも上場し、さまざまなステーク・ホルダーを抱えた、すでに公器としての上場企業ですから、企業人の僕から言わせれば、中学の英語の先生も含めた、一般消費者も大切なお客様である企業の、経営最高責任者の立場で、そのような発言をするのは、極めて乱暴、軽率です。いい年をしてまだ学生時代のクラブ活動の部長のようなイケイケ感覚が抜けていないのかもしれません。
念のため、エスタブリッシュな家庭に育ちながら、あえてリスクを取って企業を創業し、創業後数年間『ドブ板を踏む』様な苦労を重ねて会社を大きくしてきた彼のバイタリティと情熱は高く評価しています。が、ことグローバル化においては、今後2年間で彼のやり方で楽天がどのようにグローバル化していくのか、じっくり見させて頂きたいと思います。
ご参考までに、同じ『週刊 東洋経済』6月19日号の72ページと73ページには、川原、脇若、西水の3氏が、グローバル化について、それぞれ含蓄のあることを書いておられます。僕の考え方は、この3氏に近いです。興味のある方はご覧になって下さい。
さて、昨日の記事の続き。英検1級エッセイ的英語 是非論です。
キー・ワードはすでに情報と、多様性を使いましたので、残るは主体性です。
(エッセイ 再スタート)
英語が出来ると、日本語で得られる40倍の情報が手に入ります。これしかない、というのではなく、生き方から、夕食のメニューまで色々選択枝があるのは、いいことです。僕は、法を犯したり、人に迷惑をかけるのでなければ、自分の生きたい生き方が出来、(それで認められ、食べていける)社会が最も幸せな社会だと思います。
しかし、日本語で得られる情報の40倍もの情報の氾濫にアクセス出来るようになると、逆に選択枝がいっぱいありすぎて、『自分はこれが好きなんだ。』『これで行くんだ。』という主体性がないと、あれこれ迷うことになります。多様性の中でこそ、主体性がないと、自分を見失う可能性があります。
人間は通常言語によって自分の思考や意見を他者に伝えます。(通常、というのは、表情やボディ・ランゲージなどによって自分の考えを伝えることが出来る場合もあるからです。)逆に言語によって思考や意見に影響を与えることもあります。
日本語は、立ち位置のあいまいな、暗黙の、行間の含みや余韻のある言語です。
あいまいな、というのは、日本語には、過去完了形も現在進行形もありません。未来形もないといっていいかもしれません。現在進行形をあえて日本語に訳出しようとすると、『~しているところだ。』という普段使わない妙な表現になってしまいます。時間軸があいまいなのです。また、主語と目的語がなくても、あるいは、あいまいでも成立する場合もあります。『古池や 蛙飛び込む 水の音』というのは、実際に昔、東大の入試の英作文に出題されましたが、主語が蛙なのか、水の音を聞いている『自分』なのか、よくわかりませんね。目的語も『蛙』を主語とすると、古池に飛び込んだので、古池が目的語か、あるいは、『自分』が主語ならば、蛙が飛び込んだ水の音がthat 節以下で目的節になるのか、主体と客体が非常にあいまいです。
あいまいだからこそ、日本語独特の余韻があるのですが、非常に英訳しづらいですし、英訳した瞬間、余韻の世界は消えてしまいます。外国人がこの文化というか芸術を理解しようと思えば、まず日本語をしっかり勉強してもらう以外なさそうです。
暗黙の、というのは、今思い出しましたが、ファンだった『フーテンの寅さん』の決めゼリフ、『それを言っちゃあ、おしめえよ。』も、欧米人であれば、『それをいっちゃあ、おしめえよって、ディスカッションから逃げるのか?ちゃんと説明してくれないと、解らないじゃないか!』と反論されそうです。が、別に寅さんのファンでなくても、日本語ネイティブの世界では、暗黙のうちにこの決めゼリフに納得してしまうのです。
日本語が主体と客体があいまい、時間軸があいまい、暗黙の了解が多い、というのは、自分の立ち位置を明確にしなければならないディスカッションやディベートには不向きな言語だということです。日本人が外交も含め、議論下手、といわれ、議論が、すぐに『俺の意見に反論しやがって。あいつは俺のことを嫌いなのか?』などと、妄想が膨らみ、感情論になってしまうのも、この辺にも原因があるのではないか、と思います。かなりな英語の使い手になると、日本語で議論するより、英語でやる方がやり易い、と言います。(僕はまだその境地に達したことはありませんが。)
一方、英語はあいまいさのない(あいまいさを許さない)、おのずから立ち位置をはっきりさせ、暗黙の了解が少ない言語だと(僕は個人的に)思います。暗黙の了解が少ない、ということはそれだけ普遍性がある、ということで、英語が中国語に次いでこれだけ世界に普及したのも、この辺に理由がありそうです。
このような話をケベック州出身のカナダ人(英語とフランス語のバイリンガル)にしたところ、『フランス語は、時制など、英語よりずっと厳密で、だから国際条約など、重要な取り決めはフランス語で交わされる(ことが多かった。)』と自慢していました。僕はフランス語は齧った程度で、フランス語の授業はさぼりまくっていたので、よく解りませんが、時制の種類の多さなどをみると、たぶんそうなのでしょう。(『半過去』など今でもよく解りません。)
そうしますと、英語は、日本語情報に比べて圧倒的に多様な情報を得る武器になりますが、発信という面では、英語は、あるいは英語を使えるということは、多様な考え方の中から、自分の立ち位置を明確にし、自分オリジナルな主体性のある主張が出来る非常に有効な手段あるいはトレーニングになります。
したがって英語は、今後加速度的に増大していくであろう世界中の多様性のある情報を吸収し、かつ自分を見失わず、他者に追従しない主体性のある考えや生き方を醸成するための強力な武器になります。(エッセイ終わり)
・・・さて、28点満点として、採点です。
文章構成・・・・ 今回は語数の制限はないが、それにしても冗慢である。逸脱が多い。イントロ・ボディ・コンクルージョンの構成が明確に出来ていない。(減点 5点)
論理的説得力・・・情報などの不定形なものに対して、なぜ英語情報が世界の40%を占めるといえるのか?エビデンスあるいは出典が明らかでない。その他もほとんどが個人的感想によるもので、客観的証拠力に欠ける。とくに最後のパラグラフのコンクルージョン(めいたもの)は論理に飛躍がある。英語の是非がテーマであるのに、文化比較論的な記述にまで逸脱している。楽天の三木谷社長が言っていることの方が、よほど説得力がある。(減点 7点)
文法、語法・・・作者は、日本語ネイティブのようで、致命的な日本語文法、語法の誤りはないと思われる。(減点 0点)
合計 16点
・・・今夜も長々とした駄文にお付き合い頂き、有難うございました。次回は、英検1級のエッセイに対する所感です。
ぼちぼち再始動とはいうものの、今日は書くほどの学習もしていませんので、つなぎというわけではありませんが、少々固い話。
昨日、僕が英語の学習を続けているのは、『自己満足』だ、と書きましたが、もう少し副産物もあります。
英検1級のエッセイ的に(パターンをご存じでない方はすみません。)書いてみます。
テーマ: 英語の習得について、是か非か。
キーワード: 情報、多様性、主体性、コスト、学習に要する時間、満足感から3つ選んで用いること。
(是、の方向で書いていきます。)
いきなりイントロもなく、ですが、世界の中で、日本語で流通している情報量は100分の1程度といわれています。英語では約40%だといわれています。やはり日本語は日本人+アルファの人しか解さないので、不利ですね。僕が学生のころから、英語はこれから重要だ、必須スキルだと言われていましたが、それから数十年たっても、状況はあまりかわりませんね。英語を使わなくも日本で暮らしていくには、何の不自由もありません。
しかし、これから10年後はどうでしょうか?ネット上で数秒のうちに情報が世界中に飛び交い、i Pod を発端にして、情報端末のツールもずっと安く、イージー・アクセスになり、今よりもさらに大量の情報が行き交うようになるでしょう。その中で100分の1の情報しか得られない、というのはやはり不利ですし、バイアスを生みます。
現在の日本の情報の大部分はTVから来ていますが、地球規模からみると非常に偏った、親米国寄りの、短期的な視聴率狙いの報道がほとんどで、見続けていると知らず知らずのうちに偏狭で、バイアスがかかったモノの見方になっていきます。短期的というのは、北京オリンピックの時は中国のチベットやウイグルの弾圧をしきりに報道していましたが、今もこのテーマを追い続けているTV番組はありません。ハイチの大地震はついこの間のことですが、もうほとんど報道されなくなりました。
親米的というのは、9/11 以来、イスラム原理主義→テロ→悪だという構造が米国とそれに追従する日本のマスコミで報道されましたが、米国がイラクを占領しても、核兵器はついに出てこず、今はアフガンで泥沼状態です。その間に多数の民間人が誤爆で亡くなりましたが、米国は一度も謝罪していませんし、日本ではイラクもアフガンも全く報道しなくなりました。
その当事者の米国や、欧州では、多種多様な議論や批判が出ており、また長期的な視点でテーマで中国やハイチの構造的問題やを追いかけたニュースや記事もありますが、日本のメディアを通して、日本語では、そういう情報に接することはほとんど出来ません。
英語ができれば日本語で手に入る情報の約40倍の情報に接することができます。
情報端末とインフラの整備により、その量は今後10年のうちに加速度的に増えていくでしょう。
偏向した情報ではなく、色々な角度からの多様性のある情報を手に入れることができます。
(少々長くなってきましたので、続きはまた明日(たぶん)。今日はキー・ワードに情報と多様性を使いました。明日は、主体性です。)
仕事もひと山越え、ぼちぼち無理しない程度に英語の学習を再始動しています。
英語は時間を開けると、すぐ忘れるので。。。
今日は8月29日に行われる通訳案内士の試験の願書を出しました。(海外出張が入って受験出来ないかもしれませんが、まず出願します。)
先日初めて受けた英検1級と違い、通訳案内士の試験は、今年は2回目のチャレンジです。ご存じの人も多いと思いますが、通訳案内士試験の1次は英語、日本歴史、日本地理、一般常識の4科目あり、もともと2年計画で、1年目は英語以外の3科目をクリアして、今年は英語だけに集中するつもりだったのが、昨年は英語以外に、”一般常識”だからとほとんど勉強しなかった一般常識も観光に関する問題がいっぱい出て、クリアできす、今年は英語と一般常識2科目の受験となります。(日本歴史、日本地理は昨年度合格していれば、1年間だけ免除。)
通訳案内士の試験は、日本文化に関わる部分があるので、自分のベクトルとしては一番合っていますが、日本固有の単語、『狛犬』や『観音菩薩』といった言葉の英訳を覚えなければなりません。英語のレベル全体としては、英検1級よりやややさしい、といったところで、解答が時間との戦いというほどでもありませんが、参考書もあまりなく、元来ずっと独学でやってきた僕は、通訳案内士の合格者数で有名な、阿佐ヶ谷の某スクールの教本をネット販売で取り寄せ、ちょろちょろやっています。
僕にとって、試験は試合と一緒で、刺激やモーチベーションを高めたり、学習に区切りをつけたりする効果はありますが、最終ゴールではありません。
では何のために英語の学習を続けるのかというと、『自己満足』ですね。
和と協調を大切にする日本では、自己満足、というのは、少し誤解を呼ぶかもしれませんが、それぞれ自分の人生を生きているので(もちろん一人で生きているわけではありませんが)まず自分を満足させること、というのは悪いことではないと思います。自分が自分にすら満足出来ずに、人に何かしら少しは役に立つ影響を与えることは出来ませんからね。
また、外国人は、日本人が外国のことを表面的にしか解っていない以上に、よく解っていないので、異文化コミュニケーターという大袈裟なものでなく、日本に来る外国人に多少でも日本のことを解ってもらえるだけの英語発信力は取り戻したいな、などとと思っています。(海外には日本人が未だに通常でも着物を着ていると思っている外国人はいっぱいいます。海外から見ると日本は、東のはずれの未知の”不思議の国”です。一方、僕たちも先日岡田ジャパンが対戦したカメルーンの国名は知っていても、アフリカのどの辺にある国なのか、首都はどこか、人々はどんな暮らしをしているのか、どんな文化があるのか、ほとんど知らないと思いますので、お互い様だと思います。)
ということで、まだまだ英語学習はゆっくりと続きます。
英検1級受験の後、休む暇もなく、仕事に追われていますが、昨日(もう一昨日)はワールドカップのカメルーン戦の開始が夜11時と遅かったので、最初から終わりまで全部観ました。
後半攻め込まれて、かっこいい勝ち方ではなかったけれど、何と言われようが当初の戦術にとことん徹した作戦勝ちだと思います。岡田ジャパンも、本番前の強化試合では負け続けで、カメルーン戦に負けたら監督更迭だ、とかなんとか暗いムードで本番が始まりましたが、勝つと世間のムードも盛り上がってきました。
ちなみに僕が日常仕事で交信している欧州は、ワールドカップ期間中は”開店休業”状態で、仕事になりません。日本もようやく盛り上がってきましたね。
ゴールを決めた本田は、ロシアを拠点にプレーしているので、動じないというか、度胸が座っていると思います。僕は17回ロシアに出張しましたが、ピッチの芝がめくれて土がむき出し、11月頃からはピッチが凍結してコンクリートのようなところに乗り込んでやっているので、タフさが鍛えられたのだと思います。ビッグ・マウスもあれくらいは海外ならばあたりまえ。繊細な人が多い日本人(それが良さでもありますが)の中で面白い男が出てきたと思います。
アシストの松井は、以前フランスの関係会社がスポンサーをやっていたこともあり、少しおっさんくさくなりましたが、いい活躍をしたと思います。ちょっと元気をもらいました。
『TIME』の記事もワールドカップ特集で、試合前の発行なので皮肉にもエトーが英雄的に描かれていましたが、僕もぼちぼち再始動します。