久々に秋晴れのよい天気です。今日は57回目の僕の誕生日です。
くしくも僕の誕生日(9月19日午前2時過ぎ)に安保関連法案が参議院で可決されました。これで法律として成立してしまいます。誕生日ということもあり、僕はこの日を忘れないでしょう。
僕のブログのコンセプトは、一介のサラリーパーソンの英語学習記録ですので、政治向きの話はあえて避けてきました。今まで書いたのは約3年前のチャフラフスカの話ぐらいです。
しかし、今日の安保関連法案成立は、日本の大きな転換点ですので、書いてみます。堅い話になって恐縮ですが、少々お付き合い下さい。
僕は、純日本系の会社員でありながら、外国人と仕事をすることが多いので、前にも書きましたが、自分の意見をはっきり表明する癖がついています。(外国では自分の考えを表明出来ない者は、存在しないのとおなじこと、と看做されます。)
僕は、安保関連法案は絶対に反対です。(といっても成立してしまいましたが。)
その理由は、主に3つあります。
1、戦争決定の当事者と犠牲者は異なる。
近現代の戦争は総力戦です。昔の鎌倉時代の武士のように、戦いたい者が、一騎打ちで勝敗をつける、というものではありません。(それですと、男らしく、誰の目にも勝敗が分かっていいのですが。)
近現代の戦争は、実際に交戦を決定したもの(主に老人の政治家)と、最前線で戦う者(主に若者や一般市民)が 異なっています。交戦を決定した老人の政治家が一騎打ちでケリをつける(例えば安倍総理と習近平がリングに上がり、一対一でケリをつける)というのならば潔いのですが、近現代ではいつも戦争で犠牲になるのは、若者や一般市民です。さらには総力戦ですから、一旦戦争が始まれば、ロジスティックスが重要となり、最前線の戦場と補給部隊、補給基地、さらには兵器工場の区別なく、攻撃対象となり、一般市民が犠牲となります。
2、国民の民意を反映していない。
日本では事実上参議院は機能していないので、最終決裁権のある衆議院だけを考えると、前回の衆議院選挙 (昨年12月)での投票率は、52.66 %、そのうち、今回の安保関連法案に賛成した、自民、公明、次世代の党の得票率の合計は、51.34 %です。日本の場合、小選挙区制と比例代表制が混在していますので、得票率=議席数ではありませんが、分かりやすくするために、衆院選での有権者の政党支持率を計算すると、 投票率 52.66 % X 3党の得票率 51.34%=27.3 % しかなりません。有権者の約4分の1の民意しか反映されていないわけです。20 歳未満の非有権者まで考えるともっと民意の反映は小さいと思います。
最も、今の若い人は、例えば、20歳代の投票率は、わずか32.58 %と、三人に一人も選挙に行かないわけですから、もし選挙に行かないで、文句だけいう人がいれば、片手落ちのような気がします。
海外では、投票率が80%を超えないと当選を無効とする国もありますし、具体的には僕の駐在していたオーストラリアのように、国政選挙と憲法改正のような国民投票は国民の義務とされており、正当な理由なく投票しないと罰金刑(20豪ドル)が課せられます。投票の義務化はメリット・デメリット双方ありますが、結果としてオーストラリアの投票率は90%を超えています。これですと少なくとも民意は反映していると思います。
3、安倍首相および米国の戦略が信用出来ない。
近現代の日本史を少し学べば分かることですが、安倍総理の祖父の岸 信介は、太平洋戦争前に日本の一般国民を戦争の苦しみに導いた国家指導者の一人でした。米国主導による戦後の東京裁判は勝者が敗者を一方的に裁いたもので、かなりいい加減なものでしたが、そのいい加減さを割り引いてみても、倫理的に国民に謝罪すべき戦犯の一人です。本来ならば余生は自宅で謹慎しているべきでしょう。
それが、 米国の反共政策により、公職追放も解かれ、総理にまでなった人です。
もちろん、祖父が倫理観に欠けていたからといって、孫は別の人格ですから、全部悪いという訳ではありませんが、安倍総理は、祖父を目標として、それを超えたい、と明言しているのですから、そのメンタリティーは祖父と同じです。
また米国は世界の平和と自由と正義を守る盟主として戦うなどと、耳障りのいい言葉を口にしています。しかし、米国は今まで数々の戦争を(自国以外)で行ってきましたが、僕の知る限り、米国が『世界の平和と自由と正義』を守るために戦争したことは一度もありません。全て米国(自国)の国益、利権を守り、増やすためです。太平洋戦争しかり、ベトナム戦争しかり、イラク戦争しかり。。。
その米国だけの国益、利権のために、集団的自衛権の行使という名目のもと、ポチのように追従したり、手先に使われるのは決して日本の国益とはならず、ましてや世界の平和と自由には全く貢献しません。
が、米国のお蔭で戦犯を免れたり、戦後の復興に米国は色々支援したので、米国に物申せる政治家、官僚は少ないのでしょうね。
3、憲法9条に対しては違憲だか、憲法解釈の問題ではない
憲法9条に対し違憲かどうかは、近頃政治家のみならず、憲法学者や元裁判官、自称コメンテーターに至るまで、様々な人が色々な解釈を披歴しています。 憲法9条の2つの骨子は、戦争の放棄と陸海空その他の戦力を保持しないことですが、どこからどう憲法9条の文章を解釈してみても、自衛隊は陸海空合計23万人の兵力と近代的装備を持つ戦力ですし、集団的自衛権の行使については戦争そのものです。
最初から憲法違反は明白です。もっとも僕は自衛官や防衛大学校出身にも友人がおり、彼らと話してみると本当にピュアな心で日本のことを考えている人が多く、また災害活動などで非常に貢献しているのはご存じのとおりです。
僕は自衛隊が悪いとかいいとかの話ではなく、憲法9条に関しては違憲だ、と言っているだけです。
ごく最近になって、国民の民意が反安保関連法案寄りの風向きだから、憲法の番人である最高裁に告訴する、という憲法学者などがいますが、そもそも自衛隊が設立されて50年以上経過している訳ですから、違憲だと考えるのであれば、50 年前に正々堂々と告訴すべきなものを今頃になって違憲だなんだかんだと言って告訴すると騒ぐのは胡散臭い気がします。
近年文化や価値観、国際情勢は急速に変わっていますので、公布より 69 年間も 同じ条文の憲法を後生大事に持ち続けていること自体が異常であり、時代にそぐわない条文を削除したり、時代に合わせて追加したり、曖昧な文言の条文は分かりやすく書き換えたりするのは当然のことだと思います。
しかし、その憲法改正手続きは、国家の主権者たる国民による国民投票によるべきと考えます。その手続きも踏まず、議員の数にものをいわせて、強引に可決してしまったのはおかしいと考えます。
堅い、硬派な長い文章を書いてしまいましたが、また次回からは英語学習記録に戻ります。