ー昨日の記事からの続きー
さて、『日本人が1人も住んでいない地域』にどうしても住もう、という確固たる覚悟ではなく、結果的にそうなってしまいましたが、住み始めたその日から、大変です。
電力会社に電話して、電気を引かなければいけない、ガスも引かなければならない。電話会社にも電話して、電話も通じるようにしなければならない。(もちろん英語で、です。しかもかなりアクセントの強い豪州英語)で何を言っているのか、ほとんど解らない。
冷蔵庫も洗濯機もないので、まず電気店に行って余ったトラベラーズ・チェックをはたいて注文して、持ってきてもらわなければならない。 (開発途上国は別にして、ある程度の先進国では、まず生きていく上で必要なのは冷蔵庫だと思います。これさえあれば、スーパーで買ってきた食料をぶち込んでおけば、当面は生きていけます。)
・・・半日ぐらいして、電気店が、でかい豪州製の冷蔵庫と洗濯機をトラックで持ってきてくれたのですが、固い木枠の梱包のまま、ポンとコンドミニアムの1階の入り口付近に置いていくだけです。(まあ、その日のうちに来てくれただけでも、今にして思えば大サービスですが。)
『えっ!据え付けてくれないの・・・』という間もなく、『チャオ!』とかなんとか言って、トラックは走り去っていきます。(日本では、据え付けまでやるのが常識ですが。。)
まず、梱包されたでかい、重い冷蔵庫と洗濯機を2階の自分の部屋まで、1人で抱えたり、ずらしたりしながら、階段を上り、自分の部屋まで運び入れて、堅い梱包を手や唯一手元にあったライターの火で炙ったりして、やっと取り外し、据え付けまでして、スイッチ・オンしてもまだ電気が来ていない。。。また電力会社に電話して、言葉が通じたかどうかわからないが、とにかく通電してほしい、と言い、ようやく冷蔵庫が冷えるようになって来ました。(まあ、電気があるだけ、いい国といえるのですが。)
その後は、当面の食糧の買出しです。こうして、シドニー初日は、景色を楽しむ余裕もなく、暮れていきました。
ライフ・ラインを確保した翌日から出社(シドニーの現地法人)したら、自己紹介もそこそこに、いきなりオージー(豪州人の愛称。蔑称ではない。)ばかりの会議です。彼ら、彼女らは (欧米でもそうですが)『会議で発言しないのは、存在していないのと同じこと。お前はすでに死んでいる。』 という、自分と他者は考えが違って当たり前、そのために議論を尽くす、というメンタリティの持ち主ばかりで、しかも毎日1kgぐらいの肉を食べている肉食系ですので、アグレッシブで、早口で喋るわ、喋るわ、全く何を言っているのか、解りません。
日本の『根回し』や『鶴の一声』の会議とは、かなり様相が違っています。会議の進行状況も全然掴めなかったのですが、ある瞬間、『あんたはどう思う?』と話が振られ、『う~ん。。。どう思うとか言うより前に、会議の目的は、お互い議論を尽くして解り合うことにあると思う。しかし、見て解るように、僕は日本語が母国語の外国人で、来たばかりで英語(豪語)はまだよくわからない。あんたたちは母国語で話しているのでいいかもしれないが、母国語でない僕には多少ハンディ・キャップをくれるのが、フェアというものだろう。(フェアとかアン・フェアとかいう言葉は西洋人およびその子孫には結構『殺し文句』であることを、後で発見しましたが) あんたたちが言っていることをよく理解したいので、もう少し、ゆっくり話して頂けないか?』と、通じたかどうか解りませんが、言い放ちました。
彼ら、彼女らは、自分たちが論理的に納得すれば、実行します。中には、『英語圏で仕事をするのだから、英語(実際は豪語)ぐらい身に付けて来るのがあたりまえだろう。』というもっともな意見をつぶやく人もありましたが、大部分は『それもそうだな。』ということで、僕が入ったミーティングや、僕に話しかける時には、かなりゆっくりと、しかも標準イギリス英語(実際は標準イギリス英語なるものは存在しませんが)に近い英語で、話してくれるようになりました。
" I ... think .... it ... is.... correct. ,,,,, The.... reason....why...... " と話してくれる人もありましたので、『ありがとう。でもそこまでゆっくりでなくても解るよ。』といった修正をしながら、コミュニケーション・ルートを徐々に確立していったのです。
会社(シドニー現地法人)には日本からも駐在員が数名いましたが、オフィスのフロアーが違うので、1日中顔を合わさない日も多く、勤務時間中はすべて英語(というか僕が解るように、加工された英語)でした。
家に帰ってからは、当時(1993年)は、ネット環境も何もなく、パラポラアンテナを付ければ、かろうじてNHK の日本語の国際放送は数時間観ることができましたが、『せっかく外国に来てまで、NHK はないだろう。』と思っていましたので、2週間後に手に入れたテレビでは、もっぱらオーストラリアの番組ばかりみていました。
そんなこんなで、期せずして、寝ているとき以外、起きているときは『すべて英語』という、英語的には理想的な環境となってしまいました。
ーまたまた長くなってしまいましたので、続きは次回。ー