関東地方は梅雨が明けて、猛暑がぶり返してきましたね。
明日は参議院選挙の投票日です。

前回の3年前の参議院選挙の投票率は、わずか52.05%、そのうち若者層の投票率は、さらに低く10代(18歳と19歳)の投票率は35.42%、20代は33.99%。一方60代は67.24%、70代は62.47%でした。
この数字を見たジイサマ層の中には『近頃の若いヤツは携帯ばっかり見て、内向きで社会に関心も持たず、選挙にも行かない。』とか、さらには、『俺たちの若い頃は常に社会をよくしたいと学生運動などで主張してきた。今の若いヤツは全く覇気がない。』などと揶揄する輩もいます。僕もすでにジイサマ層に属する人間ですが、民間企業を定年退職して、公募で大学に職を得、常に大勢の若い学生と接してきた印象では、全くそうは思いません。
今の若い人たちは、バブルで浮かれ、遊びまわっていた僕の若い頃の若者たちよりずっと真面目で優秀で、かつ自分の将来について真剣に考えています。
若い層が選挙に行かないのは、政治にまったく期待していないからです。10年ほど前のブログの記事でも書きましたが、状況は10年前と変わらないと思います。
まず、今の高位の政治家、つまり総理や閣僚や国会議員の中で、若者が『あの人のようになりたい。』と思い、目標とし、憧れるようなロールモデルが一人もいない、ということです。日本の政治家というと、口から出まかせの嘘つき、利権や上納金でがっぽり儲けて私腹を肥やす、人格や人間性が低劣、知性と教養と品性に乏しい、さらには反社や宗教勢力との癒着、といったネガティブでダーティなイメージがあります。
若い人はまだ世の中の清濁の経験が浅く、潔癖なところがあるので、『政治には関わりたくない。政治家だけにはなりたくない。』と考えている人も大勢います。結果として、政界には有為な人材が集まらず、親や祖父の代からのおいしい利権を安易にむさぼり、離したくない馬鹿な2世、3世や、知名度があるから選挙でも当選すると勘違いしているタレントやスポーツ選手しか集まりません。(別にタレントやスポーツ選手が悪いといっているのではなく、政治家としての資質があるかどうかということ。)投票には政治家から便宜を図ってもらっている、利害を持ちつ持たれつのジイサマ層しか行きません。
しかし、10年ほど前のブログの記事でも書きましたが、本来政治は、多くの国民の人生や幸福を左右する極めて責任の重い職業であり、私利私欲を貪るのではなく、利他的で他人の幸福を願う高潔な人格と人間性が必要であり、かつ政策の遂行には、政治学や経済学の知識だけではなく、その国の文化や歴史などに対する深い知識と教養と洞察と高いコミニケーション能力が必要な、非常に高度な専門職です。
かつて30年ほど前に、リクルート事件や東京佐川事件で政治家への汚職事件が頻繁に発覚した時代に、落合信彦氏が著書に『政治家の倫理感と教養、知性があまりに低い。大抵の国家資格には資格試験があるので、国会議員にも資格試験を課したら今の議員の大半は淘汰される。』と書いていましたが、僕も全く同感です。
税理士や公認会計士、医師などには国家による資格試験があり、さらには大学や高校、私立中学、小学校にまで入学試験があるので、国家の重責を担う国会議員にも資格試験があっても当然のことです。特に大学入試の科目にさえある『倫理』や『政治』と『日本史』と『世界史』は必須科目とし、それに『情報技術』と『外国語』と『国会議員となって日本と世界にどう貢献するのか?』という小論文は最低限必要でしょう。また最近の資格試験や入学試験ではペーパーテストだけではなく、『実務実績』も重要視されていますので、国会議員資格試験の受験要件として、『最低2年間の災害被災地あるいは戦争被害地での被災者に対するボランティアとしての支援活動の実績』も必須とすればよい。そうすれば、親や祖父の地盤と利権を引き継いだだけの私利私欲にまみれた2世、3世議員は全て淘汰されるでしょうし、資質に欠けるのに知名度だけで国会議員になろうとする勘違いタレントやスポーツ選手も淘汰されるでしょうし、『コメは私はいつも支援者からもらうので買ったことがない。』と失言した元農相や『運よく能登で震災が起こった。』と失言した元参議院予算委員長や、審議期間中にさぼって美容整形に行っていたことがバレた少子化担当大臣のような、小学生よりも倫理観が低く、言っていいことと悪いことの判断もできない馬鹿な国会議員はすべて淘汰されるでしょう。
知性や教養のレベルの低さだけではなく、倫理観の低さは30年前はおろか50年前のロッキード事件のころから、全く変わっていません。これは、憲法では国務大臣は、在職中は刑事事件を起こしても総理の同意がなければ起訴されない(すなわち罪に問われない。)という条文(憲法第75条)があるからです。これは本来総理に任命された国務大臣のことを定めた条文ですが、政府はこの条文をいいように拡大解釈して、総理も国務大臣だから、総理およびその他の国務大臣は在職中は起訴されない、としています。総理と国務大臣は、刑事犯罪を犯しても犯罪に問われないので、在職中はやりたい放題です。リクルート事件でも当時の首相竹下登は明らかな収賄でも訴追されませんでした。
また超訴独占主義といって検察官だけが起訴権を持ち、他機関が関与できません。また超訴便宜主義といって起訴するかどうかは検察官の裁量にゆだねられています。検察官は法務省に所属し、人事権は内閣が持っていますので、検察官が起訴するかどうかは内閣に常に忖度し、内閣の政治的な圧力を受けます。ついでに言えば、判決を決める裁判官も内閣が任命します。これは立法と行政と司法の3権の分立に抵触しており、行政の長である総理と内閣が司法も支配しており、犯罪に問われないような仕組みなのです。この行政と司法の癒着の仕組みは先進国の中では珍しく、ほとんど日本だけの仕組みです。例えば詳細は長くなりますので割愛しますが、イギリスなどでは行政(政治家)と司法は独立しており、司法は政治家へのチェック機能を果たすように制度化されています。
何が言いたいかといいますと、日本は政治家が犯罪に問われないような政治家に有利な仕組みになっていますので、相関わらず政治とカネの問題(つまり贈収賄)をはじめとする政治犯罪がなくならず、延々と続いていくのです。日本の政治家がこの制度を変えて、おいしい部分を放棄し、司法と行政の分権を確立するような、イギリスのような法制度を作るわけがありません。
今まで書いたように、日本では一度総理や国務大臣になると、在職中は司法がチェック、制御することが出来ず、一般人と違い犯罪を犯しても起訴すらできません。まさにオールマイティな状況です。
唯一政治家を制御出来る方法が、選挙です。世界に目を向けると、実は国民が施政者を選ぶのに選挙権をもたない(民主化していない)国が沢山あります。第二次世界大戦前の日本も一応1925年からは25歳以上の男子には選挙権が与えられていましたが、主権者は天皇であり、事実上民主化はしていませんでした。しかし、戦後はGHQからもたらされたものにせよ、日本には幸福なことに選挙権があります。世界を見渡すと、選挙権を持たない国が沢山あり、選挙権(民主化)を確立するために、無実の罪を着せられ投獄されたりして、命がけの血みどろの活動を行っている人々が大勢います。
冒頭書きましたように、特に若い人が政治にはあまり関わりたくないという心情はよく理解できますが、政治家は国民の人生と幸福に大きな影響を与える重要で責任の重い職業です。トランプ氏のような人が選ばれると国民だけでなく、世界中の人々の人生と生活に影響を与えます。日本では政治家が権力と利権を持ちやすい制度のままになっていますが、現在の日本ではそれに対する唯一のチェック機能と意思表示の場が選挙による投票です。
明日は棄権せず投票しましょう。