










構造形式: 煉瓦造、建築面積884.4m2、二階建、一部地下一階、スレート葺、
両翼塔屋付、袖塀附属
時代区分: 明治
年代: 明治39(1906)
解説文: 昭和四十二年財団法人古代学協会の所有になり、現在平安博物館に転用されている。 この建物は明治三十九年竣工の煉瓦造二階建、一部地下一階付のもので、石材を混用して壁面に変化をつけている。 塔屋をつけるなど、外観には設計者の独特な意匠が見られる。 この種遺構としては保存がよく、明治中期の代表的洋風建築である。
文化庁ホームページより
この建物は日本銀行京都支店の新築移転のために辰野金吾とその弟子・長野宇平治が設計し、明治を代表する洋風建築として昭和44年に国の重要文化財に指定されました。
京都文化博物館別館ホームページより

おしゃべりしながら前を通られた方・・・どこかでお目にかかったことがあるような・・・と思っていたら、今日はコンサートがあるのね?完売だって、と眺めていたポスターの方だった。
二条城前のホテルまでの帰り道、洋館があると言うことで三条通を歩いた。
2014 7/3~7/5













ヴォーリズ建築 京都 『東華菜館』
シンプルなデザインの学校・教会建築を数多く残したヴォーリズ氏による商業建築は少なく、その中でも当店は氏による生涯唯一のレストラン建築です。特に玄関ファサードで印象的な海の幸・山の幸等食材のモチーフは、館内にちりばめられており、目を楽しませてくれます。シンプルな直線と曲線を組み合わせた天井や梁・腰板・扉の装飾が美しいのも特徴的。また、建物に合わせヴォーリズ氏により設計された調度品や花台も残っており、料理とともにお客様をもてなします。当店の建物は、ほぼ大正15年竣工当時の姿を残しており、今もその維持管理・保存に努めております。
お店のホームページより
この建物の横丁を入ったところに、当時仮店舗としてあった友人のお勤めしていたところがあった。
そこに行くのに彼女は角に不気味なビルがあるからすぐわかると言った。なんども不気味やろ?と・・・
当時は何も知らなかったから、すっごい、なにこれ?と思っただけだったと記憶している。
ワケあって頻繁に訪れていた京都・・・何十年前のことだったでしょう

そして今回、素敵なところを訪れて、喜んでお話聞いて、お食事して来た。

南座・・・窓からの景色




この日のお昼はここで!と決めていたのにお昼をはるかに過ぎた時間に到着。
やってるかしら?と、入り口で話していたら、いらっしゃいませとドアを開けてくださった。
お食事しているのは私たちだけ・・・写真撮ってもいいですか?には、どうぞどうぞと。
とりあえずビールをぐびぐび一気飲みしたら、そんなにお腹空いていないかも?と錯覚し、お食事はこれだけ・・・
お食事後はレトロなエレベータに乗らず、階段で見学しながら降りた。

帰りはお向かいの先斗町を通って・・・お散歩しながら二条城前のホテルまで。
未整理京都旅行発見

いつまで書いているのでしょうかぁ~・・・って、奈良の旅が終わったのだけれど、それ以前の京都です。
お急ぎ

2014 7/3~7/5


弥栄会館 やさかかいかん
建造物 近代その他 / 昭和以降 / 近畿
京都府 昭和前/1936
鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建、瓦葺、建築面積1272㎡ 1棟
京都府京都市東山区祇園町南側570-2
登録年月日:20010828
学校法人八坂女紅場学園
登録有形文化財(建造物)
「鉄骨鉄筋コンクリート造,地上5階地下1階建で,南面して建つ。各階に銅板瓦葺屋根をかけ,塔屋状の正面中央部は付庇や宝形造屋根が城郭の天守を思わせる造形で,和風意匠の伝統を巧みに織り込んでいる。設計は劇場建築を手がけた木村得三郎,施工は大林組。」
文化庁ホームページより

ぎ園甲部歌舞練場正門
京都府 昭和前/1936
鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺、建築面積174㎡ 1棟
京都府京都市東山区祇園町南側570-2
登録年月日:20010828
学校法人八坂女紅場学園
登録有形文化財(建造物)
「祇園甲部歌舞練場は,明治6年に杉浦治郎右衛門が新しい歌舞芸能として考案した「都踊り」開催場として建設したことに始まる。鉄筋コンクリート造,平屋建,寄棟造・銅板瓦葺の建物で,敷地西側の花見小路に面して建ち,アプローチを構成する重要な要素。」
文化庁ホームページより

ぎ園甲部歌舞練場玄関 ぎおんこうぶかぶれんじょうげんかん
建造物 近代その他 / 大正 / 近畿
京都府 大正/1913 木造平屋建、瓦葺、建築面積286㎡ 1棟
京都府京都市東山区祇園町南側570-2
登録年月日:20010828
学校法人八坂女紅場学園
登録有形文化財(建造物)
「東側本館,南側別館,北側の弥栄会館に囲まれた位置に建ち,演舞会時には一等玄関・一等待合に使用されてきた。入母屋造の主体部に唐破風の車寄を接続した形態で,主体部は45畳と30畳の板間に分かれていた。入口に相応しい堂々とした外観を備えている」
文化庁ホームぺージより

途中・・・この坂を上って


高台寺の七夕飾りをみた。




裏にまわって・・・ちょっと高いところから


てっぺんの屋根が気になり・・・ずんずん・・・






京都市美術館は、昭和8(1933)年11月、天皇即位の大礼を記念して建てられた日本で2番目の大規模公立美術館です。明治以降の京都を中心とした日本画、洋画、彫刻、工芸、書、版画など約2300点を収蔵しています。海外展や公募展、コレクション展等の展覧会を多数開催しているほか、美術・工芸に関する調査研究、近・現代美術の収集、作家活動の助成など、現代の美術・文化の振興に貢献しています。
京都岡崎コンシェルジュ ホームページより
バルテュス展開催日の前日
マスコミなどの特別展とかで、表に出たらちょうどお着物姿の奥様がタクシーから降りて会場に行かれるところでした。
なんか得した感じ



敷地内の建物
ちょっと後ろに別館があったのですが・・・抜かした















天井がすてき!・・・フラッシュ禁止!

無鄰菴は、明治・大正時代の元老山県有朋公の京都における別荘として、明治27(1894)年から29(1896)年の間に建てられました。庭園は、有朋公自らの設計・監督により、造園家・小川治兵衛(じへえ)が作庭したもので、緩やかな傾斜地に東山を借景とし、疏水の水を取り入れ、三段の滝、池、芝生を配した池泉(ちせん)回遊式庭園で、明治時代の名園の一つです(国の名勝に指定)。秋の紅葉も見事。建物は,簡素な木造二階建ての母屋、薮ノ内流燕菴(えんなん)を模したといわれる茶室、日露戦争直前の我が国の外交方針を決める「無鄰菴会議」の会場になった洋館の3つから成ります。
京都岡崎コンシェルジュ ホームページより
受付で



どなたかが5円玉で入場料をお支払いしたのかしらね

お隣は 瓢亭
板前さんが行ったり来たり、界隈に他にもあるのでしょうか・・・なんのお店?・・・料理屋さん・・・それはわかる、何の料理?・・・会席じゃない?
むかぁし姑に連れて行ってもらった辻留でお食事したときに、お名前だけは聞いたこと・・・あります。

何で覚えていたかと言うと ひょうてい を ひょうたん と間違えたから・・・
