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◆埼玉県川口市 旧田中家住宅 和館

2010-01-17 00:05:41 | 建造物 東京・埼玉・千葉・神奈川
                昭和9年(1934)に増築された和館







         

 

 

       

 

 

こんなに広くて立派ではありませんでしたが、今は取り壊されてマンションになってしまった祖父の家が庭も含めてこんな感じでした。

学校から帰ってくると仲良しのお手伝いさんがおいでおいでをするから行ってみると、雑巾が2枚用意してあり雑巾スケート!
ほんとは雑巾がけをするのがイヤだったから・・・そんなことは小学生でもわかりましたが、乾拭きですのでよくすべります。とっても面白いから一緒に。。。
年末に障子を張り替えるときはズボズボと穴をあけさせてくれたり、畳を掃除するときはお茶殻を撒かせてくれて・・・

中学生になりG.Sを見に行くのに保護者がいないとダメだと言われたときも、保護者代わりで行って自分がいちば楽しんでいました。

悪戯もしました・・・庭のししおどしに石ころを詰めたり、池の鯉を釣ったり、亀を放したり、有名な人の作品だそうなツボでトカゲを飼ったり、石灯籠のてっぺんを取りかえてしまったり、夏は庭に敷布をかぶって潜んでいてお客様が廊下に出るのを見計らってヌーッ!と現れたり・・・弟たちはもっとたくさん。今聞いたとしたらわんさか出てくる事でしょう。

母が別勘定だからと言っていた我が家は中途半端な変な洋館でした。小さなメダリオンがあって、畳の部屋がなく板張り。

曳き家をして、しばらく平屋の家はそのまま使っていましたが後にジャッキで2階に上げて下を事務所に。
その時に大きすぎるからと真ん中を外して両側をくっつけたりしたへんてこりんな家でした。

大切なところがすっぽりなくなりましたね。そして私の部屋は玄関として使っていたところになりました。・・・これって運的?に如何なものかと思っていましたが、何とか無事にお嫁に出ました。

壁は漆喰。電話の置いてあるところの壁はいつも何かが書いてありました。鉛筆でメモをしていたのです。消しゴムで消えますから。

そして私が高校生のときに遂に漆喰の天井が音をたてて落ちました。
元は寝室でしたが応接間が消えてしまったので応接間のような物として使っていた所の天井です。
運のいいことに中には誰もいませんでした。って、簡単に言ってのけちゃいましたが、誰か居たら危うく新聞沙汰になっていたところです。
きっかけとされたのは私が女のくせに乱暴にドアの開け閉めをするからだと・・・そっかなぁ~?
そのときも私がドアをバタンッと閉めた瞬間にドサッ!その後その部屋の天井は薄緑色の板?になりました。
 あんなところからずるずる引っ張ってきて、どたばた真ん中取り壊して又ずるずる引っ張って、のり付け?して!なんて事していたからでしょ???と言うような事をブースカ言った記憶はあります。

天井が高すぎて電気を取り替えるのに2軒隣の電気屋さんに来てもらったり、暖房が効かず薄ら寒い家でした。今でも住んでいますよ。外壁はすでにモルタル・・・だから普通の、とっ・・・ても古すぎる家です。

本来は今で言うところの銀行として使っていた建物ですので鉄格子が付いていました。
表通りに面していたのでとても目立っていて1階にあった時には○○ちゃん家は牢屋なんだよ~と、言われていましたね。
そんなこんなで面白がって鉄格子に顔をつけて  た~すけて~~~!と叫んで遊んでいました。

旧田中家の和館に行き子供時代を回想してしまいましたね。  


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◆埼玉県川口市 旧田中家住宅 電気

2010-01-16 00:28:46 | 建造物 東京・埼玉・千葉・神奈川
              こちらのお屋敷の電気は全部違うそうです。

あれ、電気が違いますね。と見ていたら、受け付けの方が教えてくださいました。ですので、電気だけ集めてみました。

        

           

    

           

 

いちばん素敵だと思ったものは・・・3階の迎賓のための大広間にあった花弁をモチーフとした中心飾りが施されていた これ です。

                

    洋館の1階の応接室は北側に通用口がありきれいなステンドグラスが飾られていました。

             

             

 茶室へ続く


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◆埼玉県川口市 旧田中家住宅 茶室

2010-01-16 00:27:43 | 建造物 東京・埼玉・千葉・神奈川
茶室は新しいです。昭和48年に京都から職人を呼び寄せ、一部味噌蔵の建築材を用いて造られたといわれています。
8畳と小間のふたつの茶室、立礼が行なえるホール等があり、茶会・句会などの催し物に貸し出しています。

 

    

        

                  

 

 和館へ続く


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◆埼玉県川口市 旧田中家住宅 中は

2010-01-15 05:48:48 | 建造物 東京・埼玉・千葉・神奈川
大正10年(1921)から同12年(1923)にかけてに建設された和室を有する木造煉瓦造3階建ての洋館

           神棚

     

            金庫    

        

         案内して下さった方が見せてくれたものは、めずらしい手動シャッターを開閉する時の紐

                             ふたを開けると → 中から紐が・・・

            

 
 
            

       





        

     

       



 

             

 

        



 

              



困った事に、私の写真では全然伝わらないです。

 電気へ続く


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◆埼玉県川口市 旧田中家住宅

2010-01-14 00:05:28 | 建造物 東京・埼玉・千葉・神奈川
お屋敷の前には国道が通っていますのですごいお屋敷があることは認識していました。公開されていると聞き行ってきました。まさかこんなにすごいものだとは。。。 






         



        

 

        

 

 

レンガ造りの3階建 設計は・・・辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵の同期である佐立七次郎の下で西洋建築を習得した 桜井忍夫

詳しくは  こちらで  川口市のページです。

 中は・・・へ、続く


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◆横須賀市 要塞の島 猿島

2010-01-12 00:00:01 | 建造物 東京・埼玉・千葉・神奈川
猿島は東京湾に浮かぶ無人の自然島 横須賀に来た目的は・・・ここ!

猿島の由来は、建長5年(1253)5月、日蓮が房州から鎌倉へ渡る途中に嵐に逢い、舟の進む方向さえもわからなくなってしまった。そのとき、一匹の白猿がどこからともなく現れて舟の舳に立ち、この島へと案内したという伝説により「猿島」という名が付いたとされています。と、書いてありました。

何でここに来ちゃったかと言うと・・・明治初期に造られ使われる事のなかった貴重なフランス積みレンガ造りの要塞が残っているから見に行こう!で、くっついて来た訳です。

とても歴史のある島で、古くは縄文・弥生時代の石器や土器も発見されていて、幕末には台場の役割を、明治になると洋式砲台が整備され、このときの台場・要塞が歴史遺産として残っています。

今では公園として整備されバーベキューや海水浴、つりなども楽しめるんですって! 
この日はバーベキューをする若者や、つり道具を持った方たち、ほぼ同世代のご夫婦2組、歴女と思しきグループ、おじいちゃんとお孫ちゃんと一緒に船に乗りわくわくして上陸しました。
海水浴シーズンは船も満員になって出港するのでしょうね・・・

潮風を浴びながら10分ちょいで到着・・・島は1時間あれば見学できます。



 

                    猿島から横須賀の町を・・・ 



 

          

 

 

 

          

           



    

    

         

        

 

 

 


                       この島が猿島でした。



 

                     海~~~! 
訪れたのは昨年12月



 これを書いている途中で見たテレビにはスマップが・・・要塞の島で鬼ごっこしていましたね。すっごい要塞と、調べてみたら、和歌山県の友ヶ島   これまたびっくりな景色が出てきました。

こちらの猿島は仮面ライダーの撮影がされたところ・・・と、書いてありました。
ショッカーに囚われの身となったことのある私は、この島でもケケッ!とやっていたのか~と・・・


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◆観音埼灯台

2010-01-11 00:00:07 | 建造物 東京・埼玉・千葉・神奈川
           

 

 

                  観音埼灯台(かんのんざきとうだい)

日本最初の洋式灯台として明治元年(1868)に起工し、翌年1月1日に点灯しました。

現在は3代目 関東大震災で倒壊し1925年(大正14)6月1日 再建された物です。

コンクリート造で再建され、現在まで使用されている建物 1989年(平成元)5月 遠隔監視に切り換えられ、無人化。



     先っぽの見える灯台目指して、海側からえっちらおっちら登っていきました。

     

 

                出ました・・・観音崎灯台!美しいですね。

           



  

        

         

       





         



         

灯台の受付のおばちゃん達は皆さんとても親切です。はい!カメラカメラ・・・そこに立ってね、こっちの方がいいか?なんて言って写真を撮ってくれました。ありがとうございました。 



                           砲台跡

                 帰りは違う道を通ったところ 砲台跡 発見!

 


映画「喜びも悲しみも幾歳月」(1957)のロケ地としても知られていて、ファーストシーンはこちらの観音崎灯台だそうです。

あれですね・・・♪ 
お~いら み~さきの~ と~うだいも~り~は~ つ~ま~とふ~た~り~で~ お~き行くふ~ね~の~~~♪ 
灯台を見ると必ず途中までしか知らないこの歌を・・・なぜか歌っています。
何処で覚えた?と聞かれますが、わかりませんが知っています。

燈台守は大変なお仕事だったのです。

訪れたのは昨年12月


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◆松本市 旧司祭館

2010-01-07 22:47:11 | ときどき森へ・・・
                         旧司祭館







 

 

明治22年(1889)松本カトリック教会神父フランス人のクレマンにより、旧藩政時の武家屋敷跡地建築された西洋館
アーリーアメリカン風の建築様式を伝え、各部屋には暖炉を配し、1,2階ともベランダを備え、外壁に下見板張りを施すなど、随所に西洋館の特徴を表している。
一度は取り壊しを予定したが、貴重な文化財を保存しようと松本カトリック教会は平成元年に市へ寄贈し、移転先として旧開智学校の在る開智公園に定められた。
平成2年10月解体 平成3年3月復原 同年10月竣工 -建物前の案内より-



以前 旧開智学校を訪れたときにはまだ旧司祭館はこの地になく、今回駐車場に車を止めて、これは何っ!と気が付いた次第です。下見板張り好きとしては大感動でした。
休館日で中は見れず・・・又の機会に!

利用案内 観覧料 無料
開館時間 午前8時30分から午後5時まで(入館は4時30分まで)
休館日 年末年始(12月29日から1月3日)
月曜日(休日の場合翌日、ただし3月から11月は無休


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◆松本市 旧開智学校

2010-01-07 00:38:39 | ときどき森へ・・・
               国の重要文化財  旧開智学校

何度目でしょうね・・・中には以前入っていますけれど、建物にそんなに興味のない頃でしたので、できればもう一度中へ・・・












 



明治時代の擬洋風学校建築として、昭和36年にわが国初の重要文化財指定を受けました。

明治9年(1876)4月 竣工

開館時間
午前8時30分から午後5時まで(入館は4時30分まで)
休館日
年末年始(12月29日から1月3日)
12月から2月までの月曜日(休日の場合翌日)
※文化財は後世に残すべき貴重な財産であり、これを守るために定期的な保存修理工事を要します。一部閉鎖や長期休館することがあります。

 調べてからお出掛けするのがいいですね。

詳しくは こちらで


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◆松本市の洋館

2010-01-06 05:35:11 | ときどき森へ・・・
散歩中に洋館をたくさんみつけました。

あら~素敵な洋館!よくみると○○医院と書かれているものが数多く。。。






 

                                           

         

        

                                           

                       松本深志高等学校

 

                                           

        

                                           

 

 

              

   
                                  

        

        

           

やっぱり、寒くはないときにゆっくりと来たい町です。5月の連休前か後の快晴の日に・・・運転しないのに勝手なことを言っております。


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◆旧松本高等学校本館及び講堂

2010-01-05 05:36:14 | ときどき森へ・・・
         旧松本高等学校 本館 講堂 共に 国の重要文化財です。

大正8年に開校した松本高等学校は戦後 信州大学となりました。昭和48年にキャンパスが移転される事になりましたが、大正時代の代表的な木造洋風建築物である校舎は、市民や同窓会の運動により保存されたそうです。
本館は「あがたの森文化会館」として利用されています。

                         本館



 

 



                         講堂









        

 

     

年末で休館日 


  すごい景色  あがたの森公園の鳩・・・屋根のこの面だけにとまっていました。 陽が当たって暖かいのかしらん?

寒かったですものね・・・鳩も寒い? お散歩中のワンちゃんはとても寒そうでした。情けないお顔してこちらを見ましたから、寒いね~と言ってあげました。飼い主かなぁ~に引っ張られて、こっちをちらちらとみながら行ってしまいましたね・・・何が言いたかったのかしらね 

動物たちが期間限定でもいいからおしゃべりできたとしたら、人間が腰を抜かすほどすっごいことをしゃべっちゃうんだろ~なぁ~!と思っている今日この頃・・・


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◆安曇野へ

2010-01-03 05:34:26 | ときどき森へ・・・
                    安曇野の道祖神です。

駅で詳しい地図をいただきました。急に思い立っての訪問・・・もっとちゃんと調べてから来ればよかったね。駅員さんはとても親切でした。 

道祖神にお会いできてよかったです。よくみていると本当にポッと居るのですね。

 

         

 

 

 

              




安曇野には荻原碌山の碌山美術館 もあります。休館日です。こちらには長野に住んでいたときに子供達と来ていますね。



       

安曇野は何度来てもいいです。この日、北アルプスには雲がかかっていましたが、長野時代に子供たちを幼稚園バスに乗せて行ってらっしゃ~いをした後に遠くに白い壁が見えていました。
ボキャ貧の私は アレは何っ!へっ!あれがアルプス~?  すっご~~~い!と、感動っ!

余談ですが、幼稚園バスがとまるところはエノキの栽培所。そしてそこには人の背丈ほどのツララができていました。近くの高校生がそれでチャンバラをしてじゃれていました・・・お向かいにすんでいた坊ちゃんでしたから「高校生だよね?」「はぇー!○○高校です。」「近いね~歩いて?」なんて会話中

幼稚園児が「やりた~~~いっ!」「ダメッ!危ないから、高校生になってからやりなさい!」?~?~?「こうこうしぇ~って、なぁ~にぃ~?」 
高校生のツララチャンバラはこうして終わりました。 ツララの思い出 


                 そして安曇野でみつけた 洋館 




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◆安曇野の重要文化財 石置屋根の曽根原家住宅

2010-01-02 21:53:56 | ときどき森へ・・・
       

昭和48年に国の重要文化財に指定され、切妻造板葺平入で長坂石置屋根、見せ抜きの建築です。江戸時代前期のもので本棟造系統に属する民家としては日本最古のものです。安曇野市H.Pより







こんなに立派で美しい石置屋根をみたのは初めて・・・ 日本むかし話に出てきそうな佇まいです。

とても寒い日でしたが、ふわぁ~っと温かくなりました。


◆国の重要文化財 曽根原家住宅 長野県南安曇野市穂高有明1632


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◆松本へ

2010-01-02 00:17:18 | ときどき森へ・・・
                松本といったら 松本城  国宝です。

                 



 

        

この日は風が強くお散歩をするなんて事はしないで、何処かで温まっているほうが良かったですよ。
でも、周りを見渡すと、寒さにもめげずに駅においてある地図を広げて同世代のご夫婦が鼻苺になりながらも見学している姿があちこちに見受けられました。
せっかく来たのだからちゃんと見て行きましょうと、寒空のお散歩をして来ました。

そして・・・ちょっとみたいものがありましたので 安曇野まで   
途中でみた赤と緑の鉄橋が青空に映えてあまりにも美しかったので パチリッ!



          マンホールのふたもきれいでした・・・やっぱり パチリッ!

     

安曇野からの帰り道 ナビスケの言うとおりに走っていたら中山道の宿場 芦田宿を通りました。

芦田宿(あしだしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十六番目の宿場で 望月宿 と 長久保宿 の間に位置します。

芦田宿で最も大規模な通行は、皇女「和宮」の東下りであると伝えられ、江戸へ下る際、芦田宿を通り本陣で昼食をとったと言われています。

 

さっむ~い松本に行ったおかげでこの冬は 大丈夫さぁ~ と、なぜか沖縄言葉で言ってみる。

やっぱり、寒すぎるのは苦手です。 が・・・暑すぎるのも苦手ですね・・・

 富士山ナンバーを初めて見ました。


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