「ロメオとジュリエット」(2)

  今日も牧阿佐美バレヱ(なんで「エ」じゃないんだろ?)団の「ロメオとジュリエット」を観に行ってきました。昨日に引き続いて2回目なので、やや慣れたせいか、昨日よりも余裕をもって楽しめた気がします。

  昨日の日記では書きませんでしたが、昨日の公演はオーケストラ(の一部)がちょっとひどかったのです。観客たちの間でも、幕間や終演後の話題になってたほどです。でも今日はとてもきれいでした。やっぱりプロコフィエフの音楽は、というかプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」は、演奏がかなり難しいのでしょうか(これは音楽をやってるみなさんにぜひお聞きしたいです)?

  1回目に観たときは、振付者であるプリセッキーが専ら踊りを主体としているために、この「ロメオとジュリエット」はストーリー性に若干欠けていて、登場人物の解釈にも深みが足りない、と思いました。確かにクランコ版やマクミラン版に比べればそうでしょうが、今日の2回目を観て、プリセッキー版もそれなりにストーリーを重視している、と思い直しました。昨日は私が気がつかなかっただけでした。

  たとえば、ジュリエットの乳母は、最初はジュリエットの味方をして、ロミオをきちんと品定めした上でジュリエットの恋文を渡し、ロミオとジュリエットの結婚を仲立ちします。ところが最後には、ジュリエットにパリスと結婚するよう勧めます。昨日は「しょせんは召使だから雇い主(キャピュレット公夫妻)には逆らえないもんね」と思いましたが、どうも違ったようです。乳母は、ティボルトがマキューシオを殺したという前段階を知らないままに、ロミオがティボルトを殺すところを見てしまうのです。たぶんそれで、人を殺すようなロミオは、ジュリエットにはふさわしくない、と思ったようなのです。なるほど、と納得しました。

  ただ、場つなぎ的な演出や踊りがあって、私はこれはいらないんじゃないか、と時おり感じました。第三幕で、ジュリエットがロレンツォ神父のところへ行くのを表現するために紗幕の前を走って舞台を横断し、またロレンツォ神父のところから家に帰ってくるのを表現するために、今度は逆方向から走り出てきて舞台を再び横断していくシーンは、こんな言い方は失礼ですが、古っ!と思いました。

  同じく第三幕で、ジュリエットが仮死状態になる薬を飲んで葬られるのを、ベンヴォーリオがたまたま見つけます。ベンヴォーリオはあわてた様子で走って舞台脇に消え、それからロミオを引っ張ってまた現れます。つまり、ジュリエットが死んだ、とベンヴォーリオが早合点し、ロミオに知らせて彼を連れてくる、という演出になっているのです。こんなくどい説明的演出も不必要じゃないかな、と私は感じました。

  このプリセッキー版では、ティボルトも踊りの面で重要な役割を担っています。ティボルトが踊るシーンをなるべく設ける、という方針のためでしょうが、踊る必要もなさげなシーンでティボルトが踊っちゃうところがありました。それはマキューシオやロミオに詰め寄るシーンで、ティボルトはマキューシオやロミオを睨みつけながら、鋭い感じはするものの、基本的にはクラシカルなステップを踏んで踊るのです。唐突に踊りだすのでかなり奇妙でした。マキューシオはティボルトが踊り終えるとからかって拍手します。私も拍手したい気分でした。

  必要もないのに唐突に踊りだすシーンは他にもありました。あと、なんでこいつとこいつが一緒に踊るんだ、というおかしな組み合わせで踊ったりね。書き出すときりがないので、今はやめておきます。

  登場人物の心理にも分からない部分があって、私が最も分からなかったのはキャピュレット夫人です。彼女がなぜあんなにティボルトに固執するのかが示されていません。ティボルトが殺されてキャピュレット夫人は狂ったように嘆き悲しみます。また、彼女はティボルトをロミオに殺された怨みによって、ジュリエットを無理やりパリスに嫁がせようとします。よりによってロミオと一緒にさせてなるものか、というすごい執念です。が、なぜ彼女はそんなにティボルトにこだわるのか、その理由が分かりません。

  でもプリセッキーの振付にはトリッキーなところやあざとさがなく、みなとても美しかったです。第一幕「バルコニーのパ・ド・ドゥ」は、恋に落ちたロミオとジュリエットが同じ振りで踊ったり、手をつないでジャンプしたりと、生き生きとした魅力に溢れていました。第三幕「寝室のパ・ド・ドゥ」も、流れるような(しかも難しそうな)リフトと、特にジュリエットの脚と爪先の動きがみどころでした。

  ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオが一緒に踊るところやマキューシオのソロも、「男子だなあ」という元気な踊りで楽しそうでした。3人の街の女たちの踊りも、よく見たら難しいステップがてんこもりでしたが(グラン・フェッテをしながら輪を描いて踊るとか)、ダンサーがよかったのでみなとてもきれいに決まっていました。

  今日のマキューシオは中島哲也で、踊りではロミオとベンヴォーリオに負けていたかな~、と思います。でも演技はとてもよくて、昨日の小嶋直也よりも自然だったかも。第二幕、ティボルトと剣で戦うシーンは、あれだけ激しい動きをしながらも余裕綽々でツボにはまった演技をしていました。また、死ぬときの演技は最も見ごたえがありました。表情はコミカルなようでいて、だけど目は笑っていません。そして死ぬ直前になって、ティボルトへ向かって拳を突き出し、激しい怒りを露わにすると、バッタリと倒れて死にます。今回は息を呑んで、マキューシオが死んでいく様子に見入ってしまいました。

  ティボルトは今日も菊池研でした。正直に白状すると、私はこの人についてどう言えばいいのか分かりません。もちろんヘタではないし、平均的でもないと思いますが、でも上手だ、と言うには何か釈然としないものが残るのです。昨日も今日も同じ印象でした。具体的に要求(?)を言えば、観客の目が追いつけるスピードで踊ってほしい、というところでしょうか。踊るスピードが速すぎて瞬間芸みたいなのです。

  今日のロミオは森田健太郎、ジュリエットは青山季可でした。今日の公演の主人公は森田健太郎だったな、と思います。日本人にしては珍しく、欧米人型の演技ができる人だと思います。表情が非常に豊かで、表情の変化や身のこなしがスムーズというかプロっぽい感じです。人によっては演技過剰だと思うかもしれませんが、私はとても感心しました。昨日の小嶋直也の踊りには驚嘆しましたが、今日は森田健太郎の演技に驚嘆しました。日本には優れた男性ダンサーがまだまだいるのですね。

  森田健太郎は踊りも堂々としていてよかったです。大柄な体格にも関わらず(カンケーないか)脚や足の動きは細かく、ジャンプは大きくてダイナミックです。また、顔は中坊みたいなんだけど、不思議な大物オーラがあるのです。プロフェッショナルな雰囲気を漂わせていて、どう踊れば、どう演技すれば観客に分かってもらえるか、またダンサーは舞台でどう振舞うべきか、ということをちゃんと考えている人だろうと感じました。

  森田健太郎と青山季可のパ・ド・ドゥは息が合っていてすばらしかったです。ロミオとジュリエットの二つのパ・ド・ドゥには難しいリフトがいくつかありますが、スムーズで緩急のタイミングもうまく捉えていて、とてもきれいでした。第三幕に入ると、ジュリエット役のダンサーは感情的にも乗ってくるのでしょうね。青山季可も迫力がありました。死ぬと覚悟した上でパリスとの結婚を承諾するシーン、両親とパリスに凄絶な表情で近づいていくところがすごかったです。

  もう何回か観たいところです。そうすればもっと多くの発見があるでしょう。でも残念ながら、公演は2回のみです。再演されるのはまた数年後なのでしょうか。いい作品なので、できれば毎年上演してほしいですね。     
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