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東西の201系を撮影しつくす旅

201系果ての地から201系(川重製)の出身地へ

長野総合車両センター敷地外「201系果ての地」 兵庫駅「川重製201系出身地の最寄り駅」

左写真、長野総合車両センターで大きい柵に隔たりながらK4編成を見送ると、大阪に直通する「しなの」号で関西へ。

車内の製造銘板の「神戸」が川崎重工製の証で、この川崎重工敷地の線路から右写真の兵庫駅を介して中野へ自力で回送されています。

 

大阪市内で一泊して関西圏で活躍する201系を全ての線区で見送ることを試してみました。

JR西日本の201系と言えば、ダイヤ改正で201系の割合が上がった大阪環状線です。

大阪環状線 桜ノ宮駅

桜ノ宮

 

ゆめ咲き線の直通運転が増え、この線で見る機会が増えました。

JRゆめ咲き線 ユニバーサルスタジオ駅

ユニバーサルシティ

 

変わって奈良車は、大和路線の普通運用の殆どをこなします。

大和路線 今宮駅

今宮

 

おおさか東線の高架区間で一日往復を繰り返す運用を見てきます。

おおさか東線 放出駅

放出

 

朝夕に設定されている和歌山線に乗り入れる4ドア車の201系です。 

和歌山線 志都美駅

志都美

 

地方交通線に入る万葉まほろば線が単線のため交換列車を待つ場面もあります。

万葉まほろば線 帯解駅

帯解

 

以上が大阪口から生息している201系でした。肝心の目的だった、201系の寂しさ吹き飛ばすのは思うほど簡単ではありませんでした。翌日は阪急を少しやるのも玄妙な結果でしたので予定を切り上げて、名古屋から「ひかり」で帰宅することにいたしました。

次回遠征時も時間を見つけて、撮影と乗車を混在させて心境を回復させたいと考えています。

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201系最後の原型車のK4+54編成が「最後の自走」

東日本201系の最後の自走

長野総合車両センターへ廃車回送された翌日の6月24日9:35、廃車解体の準備のための入れ換え作業が始まりました。

JR東日本の201系で、これが今回をもちまして見納めとなるとともに、パンタグラフを滑らして自分の力でする「最後の自走」となりました。

小さめの戸袋窓に田窓の201系 10両から入れ換え始まる

留置場所が確保できていたためか、珍しく午前中かつ10両編成のままスイッチャーに牽引されました。

 

10両のまま留置先の奥まで入線して、後ろ基本編成54を残してから附属編成のみが折り返して別の線路へと入れ換えます。

今まで見てきた201系の入れ換え作業では、2009年のT109編成以来と同じ要領です。

スイッチャーに操られる 分割されて附属編成が牽かれる

クハ201-113には、乗務員氏による特製編成札は付けたままの状態で、最期を飾る201系としては優雅な演出を見せていました。

 

約40分間の構内移動を終えて、架線なき線路でたたずむ201系に加え、部品取りの作業により時間の経過で備品が見る見る減ります。

編成札付いたまま非電化線路にたたずむ

その姿に物寂しいですが、元気づけるように蘇我で顔を合わせていた113系湘南色が彩ってくれます。

 

ジャンパ栓は切断されていないものの、営業運転に不可欠な部品がカゴに積まれて本線に立つ仮想は遠ざかって行きます。

部品取りされる

乗務員室の部品が主なです。

 

朝まで長野総合車両センターに停泊し、陸橋では見辛いですが201系を眺めます。

9時前に係員が201系の近くに回って9:07に通電しました。

朝まで長野総合車両センターで留置

ちなみにこの撮影直後に201系が長野駅方面へと移動し、慌てて2キロ先の北陸新幹線の高架下まで全力疾走していきました。

運動が苦手の私に、201系のためにしか出せない死ぬ気のダッシュは、これが最後だと思われます。自分から201系に言える言葉も見つけられず、「ありがとう」や「ご苦労さま・・・」などと言う権もありませんでした。このあと西日本の201系でも見てきたものの、すっきりできる心中はほぼ皆無のまま「東西201系の旅」を終えました。

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K4+54編成が廃車回送

6月23日、京葉車両センターに所属する最後の201系が廃車回送されました。

同じ国鉄型車両と並びながら26年間繰り返してきた出区点検が最後の時を迎えました。

京葉車両センター

京葉車両センター

 

10年間走り続けてきた京葉線ですっかり親しみ慣れた線形を後にします。

稲毛海岸~新港信号場間

稲毛海岸~新港信号場間

 

過去に廃車された201系のK編成も同じ勾配上に位置する新港信号場で小休止すると、急坂を下がって発車します。

新港信号場 新港信号場

新港信号場付近

 

落ち着き始めた蘇我駅にこの時間に表れないはずの青い車体に駅係員が2人がかりで警戒して201系を見届けています。

蘇我駅2番線

蘇我駅2番線

 

新製区所属時代に活躍していた線区を複々線上で見送られます。

錦糸町駅

錦糸町駅構内

 

緩行線と交差を繰り返し、都心を横断する機会も得られました。

御茶ノ水~四ツ谷間(水道橋駅)

御茶ノ水~四ツ谷間(水道橋駅)

 

中央線の201系が去就してから京葉線の201系も続けて通ってきた路線を、この201系を通過もってお終いとなります。

三鷹駅構内

三鷹駅構内

 

カーブの多い線形となり、しばらくは険しい道が始まります。

大月~初狩間

大月~初狩間

 

甲府盆地に入り、青いシールの「K4」が付加されて運転台がやや賑やかにみえます。

春日居町~石和温泉間

春日居町~石和温泉間

 

今回も黒を背景に「回送」幕の紙製の行き先ですが、編成札は中間車を除いて始発駅から付いていました。

茅野~普門寺信号場間

茅野~普門寺信号場間

 

長い10両で単線を走るのは過去何回か見ていますが、10両編成の201系は史上で最後となります。

上諏訪~下諏訪間 上諏訪~下諏訪間

上諏訪~下諏訪間、下諏訪~岡谷間

 

長野駅で本線と別れて長野総合車両センター構内の奥へとゆっくり進み、一日かけて信濃路の走破はまもなく終点となります。

長野総合車両センター間 長野総合車両センター構内

長野総合車両センター

長野総合車両センター

一回でも多く撮影しようと、当初の撮影計画を崩して201系の通過に間に合うように撮影地を行ったりばったりしていました。しかし、201系をこれほど多く撮影し、車体が原型を保たれたままの201系をこうして撮影する機会は絶対にありません。そう思っているにも関わらず、やっぱり身近に201系がいなくなる実感がしないのが普通です。そんな気持ちを紛らそうと後日は関西の201系やそれに関連しないものでも堪能して心中の愁嘆を防ごうと考えていました。以上が当日日没後の回想でした。最後までご覧いただきありがとうございます。

※しばしば誤ってこの記事を削除してしまい、一から簡単に書き直しておくことになってしまいましたので文体は少し適当さを増しています。

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東京口の201系、京葉線で最終運用

“ありがとう201系”の看板

短い10日間ではありましたが、本日20日をもちまして京葉線201系の運転は終了した模様で、事実上の引退となりました。

海浜幕張~新習志野間

海浜幕張~新習志野間

京葉車両センターの中央付近には「ありがとう 201系」の立て看板が掲出され、運転の終わりが近いムードが漂います。

 

6月20日の最終運転の記録です。

681Y 新習志野→蘇我

京葉車両センター横 新習志野駅3番線

今日も201系が再び出区し、いよいよ京葉線全線1往復の短い幕開きが始まります。

 

780Y 蘇我→東京

稲毛海岸

稲毛海岸

201系のセレモニーやイベント類が皆無の京葉線でしたが、蘇我駅から乗務員室に花束が飾り立てられました。

 

881Y 東京→新習志野

葛西臨海公園 舞浜

葛西臨海公園、舞浜

201系の最終下り営業列車で大詰めを迎えることになりました。たった201系のために訪れてきた路線の線形に、オリジナルを保つ車体を体で体感させました。

 

平日にも関わらず、イベント列車に化けるほど運転終始とも賑わいを展開していました。 

京葉車両センター付近 京葉車両センター付近

京葉車両センター付近

81運用行程通りに任務を遂行した201系は終止符の時が来ました。

通常列車でヘッドマークのみの運転でしたが、「営業運転で原型を保つ201系」は最後の体験となり、知る人にとっては意味の大きい行程になったと思います。

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山間を快走する201系

自然の臭いが漂い繁茂する山間を切り開くように進む201系は、京葉線の高架線を違う気持ちで堪能できます。

御宿~浪花間 御宿~浪花艦

御宿~浪花間

動画サイトで配信されている前面展望で見つけた撮影地で、確証すべく終電から始発前にかけて浪花駅から勝浦駅まで徒歩していきました。御宿~勝浦間は2回目の徒歩移動となりましたが、暇つぶしと撮影地開拓(ロケハン)には持って来いの区間でした。

 

無論、勝浦駅で出区点検から入れ換え作業する201系も押さえておきます。

勝浦駅

4回ほど撮影していると日によって点検の順序にばらつきがあるのがわかります。

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神戸線のヘッドマーク

「阪急電車」がメインではなかったのですが、通り道でこんなものと遭遇してしましい、何となく撮影してみました。

夙川

 

北口

 

北口

 

この路線も今津線と同様の両数で運行されますが、この路線の登場は思い違いでした。

甲陽園~苦楽園口

ちなみに全て4月上旬に撮影しています。

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晴天下のK4+54編成

201系が6月に復帰して以来、撮影地が混みあって撮影を躊躇し、去年まで蓄積していたK4+54編成の画像を掘り出してみました。

当り前に見物できたK4+54編成の走り姿を、撮影地の限られている路線ならではの有り触れた編成写真を掲載しておこう思っています。今回は一番好まれている晴れ間での撮影です。

K4編成札

 

2008年12月29日 葛西臨海公園葛西臨海公園

2010年1月7日 新習志野新習志野

2008年7月1日 舞浜舞浜

 

2008年7月14日 新浦安新浦安

2010年2月6日 新習志野新習志野

2010年3月13日 葛西臨海公園葛西臨海公園

3月21日 葛西臨海公園~舞浜葛西臨海公園~舞浜間

2009年10月18日 蘇我蘇我

2010年2月6日 蘇我蘇我

2010年3月13日 潮見潮見

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K4+54編成に黄色いヘッドマーク

公式で発表されていた予定より、K4・54編成に201系の引退を趣旨するヘッドマークが付きました。

201系の最後を撮り・乗り収めようと、今月からこれまでの京葉線にないほど多くの乗客で賑わっています。

市川塩浜 南船橋

市川塩浜、南船橋

 

目に付くのは一色の車体に留まらず、前面のヘッドマークが付加されたことで一際目立つ容顔になっています。

新木場 舞浜

新木場、舞浜

 

中間先頭車にも同一のシールが付けられ、適度に大網・勝浦停泊のある80番台にも運用されています。

大網

大網

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189系「日光」と201系

東武鉄道直通用の485系と元彩野189系

赤羽~大宮間(蕨)

赤羽~大宮間(蕨) 2006年11月

 

赤羽~大宮間(蕨)2009年3月20日

赤羽~大宮間(蕨) 2009年3月20日

 

八王子

八王子 2009年7月7日

 

豊田車両センター

豊田車両センター 2010年5月10日

 

日野~立川間

日野~立川間 2009年7月

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こうのとり号としての381系

「こうのとり号」の定期運用が終了しました381系日根野車、近年は活躍する機会は減少傾向にありました。
宝塚線 中山寺付近

中山寺付近 2011年4月10日

 

今年度のダイヤ改正で運転を終了した大和路線と阪和線などのライナーなどで使用されていました。

そのうち「やまとじライナー」と同線を走る201系が並ぶシーンを何枚か上げておきます。

大和路線 柏原

柏原

当駅ではこのような並びはほぼ毎日展開されていました。

大和路線 柏原

柏原

 

夜の部で、夏至でも日没後の時間帯を走るため撮影は限られます。

平城山

平城山

天王寺 大阪駅

天王寺、大阪駅

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