長野総合車両センターへ廃車回送された翌日の6月24日9:35、廃車解体の準備のための入れ換え作業が始まりました。
JR東日本の201系で、これが今回をもちまして見納めとなるとともに、パンタグラフを滑らして自分の力でする「最後の自走」となりました。
留置場所が確保できていたためか、珍しく午前中かつ10両編成のままスイッチャーに牽引されました。
10両のまま留置先の奥まで入線して、後ろ基本編成54を残してから附属編成のみが折り返して別の線路へと入れ換えます。
今まで見てきた201系の入れ換え作業では、2009年のT109編成以来と同じ要領です。
クハ201-113には、乗務員氏による特製編成札は付けたままの状態で、最期を飾る201系としては優雅な演出を見せていました。
約40分間の構内移動を終えて、架線なき線路でたたずむ201系に加え、部品取りの作業により時間の経過で備品が見る見る減ります。
その姿に物寂しいですが、元気づけるように蘇我で顔を合わせていた113系湘南色が彩ってくれます。
ジャンパ栓は切断されていないものの、営業運転に不可欠な部品がカゴに積まれて本線に立つ仮想は遠ざかって行きます。
乗務員室の部品が主なです。
朝まで長野総合車両センターに停泊し、陸橋では見辛いですが201系を眺めます。
9時前に係員が201系の近くに回って9:07に通電しました。
ちなみにこの撮影直後に201系が長野駅方面へと移動し、慌てて2キロ先の北陸新幹線の高架下まで全力疾走していきました。
運動が苦手の私に、201系のためにしか出せない死ぬ気のダッシュは、これが最後だと思われます。自分から201系に言える言葉も見つけられず、「ありがとう」や「ご苦労さま・・・」などと言う権もありませんでした。このあと西日本の201系でも見てきたものの、すっきりできる心中はほぼ皆無のまま「東西201系の旅」を終えました。