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C編成がむさしの号を代走時

今週末、12月5日のダイヤ改正で「むさしの号」が205系(一部209系)化されることにより、「むさしの号」専用だった115系M40編成の去就が気がかりです。
2007年末、M40編成が大宮に入場した時に115系C編成が「むさしの号」を代走していました。
C編成代走+201系
夕方の仕業前、201系と肩を並べていました。

大宮に長野塗色の115系がほぼ毎日見れた日は感銘しました。
大宮浅川橋梁
過去(2006年頃?)にはN編成の2編成を連結して運転されていたこともあったそうです。

当時でも模型にも再現したくなるような並びでした。
豊田車両センター
黄色い「むさしの号」を装着する115系が結構似合っています。

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平凡な休日は201系

潮見
一ヶ月ぶりに201系を見て、感動しなかったことに目を疑うばかりです。

次々と増備されてくるE233系の波で、205系は殆ど見かけなくなり、京葉線の雰囲気がガラっと変わりました。
蘇我
京葉線でE233系に揺られていると、201系を追ってた時の中央線に乗っているような気分でなりません。

いつの間にか、車窓からは至る所に紅葉が目立つ季節になりました。
稲毛海岸
寒いときは、温もりのある201系の車内に過ごすのが幸せのひと時な季節がやってたようです。

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H7引退から一ヶ月、青編成引退1000日あまりの日へ

201系のH7編成の撮影を最後に電車を撮影に出かけなくなると、俄かに鉄道への興味が薄れ、ここ数週間はブログに書き込む気分になれなかったです。

H7編成の引退した2010年10月17日から一ヶ月が経過しました。
阿佐ヶ谷拝島駅
中央線最後の201系という使命で、一番多くの人に見送られた編成となりました。

こちらもどうでもいい秒読みですが、青梅線・五日市線の201系がE233系に置き換わった2008年2月19日から今月15日で1000日を超しました。


本日(当記事掲載日)でちょうど1000日を超えたのは、2月22日に廃車回送された青6編成と青72編成
青72編成青6編成
まだ掲載していない画像を適当に探してきました。

今さら言い訳にしか聞こえませんが、201系撤退後もE233系豊田車だけは定期的に撮影しておこうと思っていました。それと反して数週間もカメラを握ることなく、201系のいない中央線を引き続き撮影を継続しているブログを見ていると、皆さまの精神力に感心させられます。

次の題

北海道では貴重な存在となっていたトップナンバーを含む波動用のキハ183が引退したようです。

全般検査の際に国鉄塗色に戻されて、稀に定期運用列車の代走で充当されたこともあるとか

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西武×201系

黄色い一色に統一された車両、旧101系が西武多摩川線に引退しても最後まで見送った方も多いでしょう。
武蔵境付近
201系も引退し、両者も一編成ながらもひと月で武蔵境に発着する車両を大きく変化させました。

ほかにも201系のついでで撮影できた旧101系の写真もあるのですが、こちらより素晴らしい写真を多く公開しているホームページもあって、割愛させていただきます。本当は今から車品を掘り出すのが面倒なだけですが。
上記のようなこともありまして、だいぶ前に予め用意した写真を羅列させていただきます。

国分寺線の新101系と
新101系
3年ほど前に撮影した写真ですが、この並びは今年末まで見られた光景です。

拝島線で30000系@201系車内
30000系

新2000系

旧2000系旧2000系(幕式)

※ *印が付く画像を押すと拡大写真が見れます。

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富士急行と201系の並び その二

元松本区の169系「パノラマエクスプレス」を2編成に分けて、「ふじさん特急」に2本体制で充当されています。
大月駅下吉田

車体には100種類近い富士山の表情が描かれています。
下吉田駅大月駅(俯瞰)

前述の2編成の部品を供給する役割として残る元三鷹区のクモハ169が残されています。
富士吉田富士吉田
可哀そうなことに譲渡から一歩も出ることなく富士吉田駅付近に留置されています。
2年ぶりに同じ線区を走っていた201系が別れにやってきました。
富士吉田-月江寺間河口湖駅
富士急行の元祖の「モ1」は河口湖駅前に静態保存されています。

現在活躍中の車両で富士急行唯一の自社発注の車両です。
河口湖駅構内富士吉田駅
この編成の歴史に詳しくないですが、車体は115系と共通している箇所が多めにあります。

続きまして…

富士急行線に乗り入れるJR定期普通列車

早朝と20時台から乗り入れる東京発着のE233系です。
豊田区の115系M編成の3両は午前中に富士急行線内を1往復する運用があります。
寿駅田野倉駅
どちらも大月で分割・併結作業があり、毎日運転されています。
ちなみに右のE233系は201系と混合して運転されていたころに撮影し、富士急行の初の乗車は生憎E233系だったのでとてもがっかりしたのを覚えています。

※ *印が付く画像を押すと拡大写真が見れます。
※ 10月下旬記事作成、11月6日加筆

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さよなら中央線201系 豊田→松本

豊田駅1番線に入線 平成22年10月17日の午前10時2分、晴れ間に薄く曇りながら豊田駅1番線にH7編成10両編成の「さよなら201系」運転列車が入線しました。
ご覧のとおり、我々201系の愛好家をはじめ、地元の方々、報道陣と関係者の方々多く詰め掛けました。
八王子支社が企画する「さよなら中央線201系キャンペーン」の最終回が訪れることになりました。



前日から泣きすぎて寝坊したものの、踏み台のお陰で何とか撮影できました。


特製の駅名板を用意され、最期の201系を華やかに飾りました。
夢にも思わなかった報道陣に囲まれる201系 ついに豊田の地を離れる
30年間、201系の地と等しいくらいの日野市の豊田の地を離れ、道路を埋め尽くすほどの人が見送っていました。201系でこんな光景を見るなんて夢にも思わなかったです。

諏訪盆地
信濃境-富士見間の立場川橋梁富士見-すずらんの里間
本当の「さようなら」運転のように継続的に警笛を鳴らしていました。

平瀬信号所
平瀬信号所383系「しなの」と交換
平瀬信号所で383系「しなの」号との交換のため少々停車します。

麻績地区(聖高原-冠着間)

聖高原-冠着間

  後追いは有名撮影地と
緊張とした空気に包まれる有名撮影地に201系が通過します。








善光寺平(長野総合車両センター付近)
長野-長野総合車両センター間189系「妙高」との離合
本線から189系が大きな警笛で201系を出迎えていました。

多くの201系愛好家が201系を追う

踏切の遮断機が開くと同時に長野まで追っかけられたファンが思い思いにカメラのシャッターを切られました。





長野総合車両センターで最後の花道

201系を締めくくるように夕景までが201系を見守っていました。
締めくくりとともに現れる夕景

最後のひととき
当センターに所属するジョイフルトレイン、旧客とEF64に201系が加え、いつも以上に華やかでした。

※ *印が付く画像を押すと拡大写真が見れます。

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