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原色後の初讃岐+β

EF65 2139が本格運用を始めて半月、四国に入った頃には屋根にはうっすら鉄粉が付いていました。

豊浜―観音寺

 

少し前、曇天で露出アンダーでも負けないくらいの輝きを、自宅から15分程度の場所で見物させていただきました。

武蔵浦和

 

今後も5087レ~5086レに入ってくれることを期待し、ここで過密な単線と名のある予讃線での記録を振り返ることにいたします。

松山

 

伊予西条

 

新居浜

 

観音寺

 

201系拝むそばにやってきてくれた原色PFも覚えています。

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流行のグラデーション塗装に差替えられたブナ編成、去年は深浦から乗車していました。

中田―陸奥森田

 

千畳敷

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オーシャンアロー

この日常が何年続くかわからない、国鉄車とのご対面。20年を機に野田での併走は、一回でも成功例を収めたいところです。

野田

 

野田

 

弁天町

 

野田

 

稲原―和佐

 

三輪崎―新宮

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ループしないパワーループ

運用をループせずに、本来LB7(ヘッドマーク付き)だった17Mを乗っ取り、西ノ京のカーブをループする848がいました。

そしてその8日後の本日、04M→17Mに飛んでいました。

 

課題がもう一つ、この切り位置で信号炎管と架線柱の干渉を解決できないものだろうか。

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日没前のツートン

100系を収めたいはずが、近江八幡に復刻カラーがいましたので欠かさず沿線へ。

近江八幡―武佐

 

近江八幡―武佐

 

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本線時代の5004F

5010Fの後を追って5004Fも今津線にデビューしたということで、8連時代を振り返ります。記録らしかぬことに、手元にあるのは標識灯を付けたのは入庫回送のみで物足りません。

5010Fと同じくを遊休となっていたヘッドマークのステーですが、早速活用されていたのには期待ができそうです。

西宮北口―武庫之荘

 

御影

 

武庫之荘―西宮北口

 

西宮北口

 

5006Fや5008Fばかりの掲出も、近年では一度だけ5004Fにも与えられました。

芦屋川―夙川(再掲載)

 

今津線3000系も残り3編成ですが、転属後の運用は4年ぶりに3000系と共にしています。

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少し前の3100系

盲腸線で細々と活躍していた3100系が引退となったようです。走行系統を支線用に特化しただけで、既存の3000系と見た目に違いはありません。

ですが、1年半前に看板掲出を廃止した際、最後まで残っていた一員です。

塚口

 

稲野

 

西宮北口

 

左から神戸線最後の3000系、元2200系、そして伊丹線用の編成に先立って廃車された3159Fがいました。

 

3100系は少し前までは今津線の主力車の一つでした。

 

性能上、叶うことのなかった「三宮」などの本線系統幕は未使用で生涯を閉じました。

塚口

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一期一会のMT26

福神―大阿太

 

葛―壺阪山

 

越部―六田

 

二上神社口―当麻寺

 

撮り機会はそこそこあったものの、ラビットカーに力を注ぎすぎて、晴天がない無念さが身に染みます。

これはちょっと勉強になりました。324Y~467Yに置き換えると、103系が来てくれる回も大切にしていこうと思います。

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