約3年前に113系幕張車の2編成がリバイバル塗色の湘南色で出場して、今月に最後の一本が廃車になりました。乗り遅れながら、写真が少しだけあったのに軽く触れてみます。とは言え詳しくないので雑記みたいなものになります。
2010年2月26日 蘇我
201系と113系の離合の撮影なら蘇我、それか朝夕の東金線と外房線で並ぶ機会があったと思いますが、運用を把握するのも面倒であまり関心していません。そのため急に来た時には慌てて撮影していました。
この回も、201系の車内を撮影して俳諧していると見慣れない車体色に目が引かれてしまいました。見過ごしにならないように、影となってしまっている201系の車体を多めに入れてシャッターを切りました。
2008年撮影日不詳 蘇我
先に廃車された湘南色編成の1編成は、しばらくクハ111の1両だけが残して解体しれました。EF62とEF60の近くに留まっています。
と同時の房総の113系を代表する2種類の塗色に挟まれて201系と元地元の車両が展示されているかのように並びます。
また、外房線で201系の霜払い列車になったこともありました。
誉田駅
この5分後に当駅で併合する201系が2本続けて到着します。
出場仕立ての頃の113系は艶やかで床下機器もまだ黒色で覆われて、復刻版の姿になったことから注目される編成となりました。
蘇我 2008年撮影日不詳
撮影時は石和温泉発の団体臨時列車に充当の115系長野色を待ち構えていたときだったと記憶しています。
習志野運輸区では、留置車両のなくなる朝ラッシュ間際に疎開中の車両同士だけが独占しているときが見られました。
2010年12月撮影 習志野 ※7/19写真追加
201系の分割運用の連続した撮影記を、前回に続いて後半7回分の撮影です。
あれから2週間ほど経過しますが、まだ記憶にい新しくて一昨日にあったような出来事に感じさせます。
5月16日 勝浦泊・・・東浪見~上総一ノ宮間・・・八積駅
6月12日 茂原・・・誉田
6月15日 勝浦泊・・・御宿~浪花間
6月19日 大網泊・・・大網~福俵間・・・求名駅
最後までご覧いただきありがとうございます。一時期201系K4+54編成が運用から離脱したりしましたが、引退予定日前日まで分割運用に従事していました。スカートの汚れ具合でなるかつに入った頻度をおわかりいただけると思います。
中央線の201系より少し静かめな引退で、最終日を除いて各撮影地に居合わせた撮影者は中央線ほど多くなかったのが印象的です。全て徹夜明けなので、京葉線で一往復ほど撮影してから帰ります。
マルヨした回数は勝浦は4回、大網は3回しました。勝浦駅で一回だけマルヨするのが始まりでしたが、衝動に駆けられてしまいました。大網マルヨ組行きつけの24時間営業のファミリレストランがありますが、夜中の勝浦の駅前は静寂していてコンビニエンスストア以外は営業していません。浪花または御宿から勝浦駅の間を歩くか、駅前公園で単行本を片手に過ごすなどして時間をつぶしました。(勝浦駅徒歩20分圏内に深夜2時まで営業の漫画喫茶店を後から知ることに)
七夕は過ぎましたが、願いを書く機会があったら仮想世界や異次元でも西日本の201系に原形の窓の復活を願いたいものです。
4月に関西遠征を終えてから次の201系充当の分割運用から撮影を開始し、所謂「なるかつ」と呼ばれる運用です。何となく今まで撮影した写真を見ていると、13回撮影していることがわかり、今さらながらも簡潔にまとめることにいたしました。当初は春らしい桜などと撮れれば良かったのですが、次第に本格化していきました。
ほとんどの撮影はこちらで報告できていませんでしたので、それを兼ねまして今までの記録を振り返ってみることにいたします。
4月16日、大網~土気間
4月19日、誉田駅構内
4月22日、福俵~大網間
4月26日、検見川浜駅
廃車回送中のK2+52編成と並びかけ、すれ違った直後です。
5月1日、福俵~大網間
5月6日、勝浦泊・・・御宿付近
5月11日、勝浦泊・・・御宿~浪花間
画像の量を考慮して以上の7回分の撮影を前半期とさせていただきます。またブログで回想する時にで同一の写真を載せる機会があるのかもしれません。
伏し拝むようにして、201系をとらえます。左奥には試運転を行うE351系貫通顔に視線を向けられます。
表情は同一ですが、性能の異なる両形式に挟まれる場面もまた似合います。
長野総合車両センターを出入りする車両が通り、また廃車の運命を忘れるほど見事な並びも見れます。
部品が抜かれた201系を見るのは趣味ではありませんが、最後まで見届けたく財布の中身を振り絞って新幹線、第三セクター、普通列車、バスを使い分けて行きました。
この日は引き上げ線を出ることなく強め日差しに注がれながる中、解体線(左写真の209系背後の小さい棟より奥)は空いたので201系の順番が近づいていました。
左から信越本線の車内から撮影や、近くにある会社駐輪所の脚立を借りてきて撮影するなど、時間を許す限り日没まで視察します。
原型の201系最後の形式写真です。部品は所々かけていましたが、ジャンパ栓の切断は時間の問題のようです。
クハ201-113
モハ201-228
モハ200-228
広告シールのないすっきりとしたドア窓も新製同様を彷彿させて一見悪く見えません。
同じ回送幕とは言え、189系のものは少々極上に見えます。
「これが最後かも知れない」と脳内が堪能の指令に急がされると、とても名残惜しいです。何より201系にしかない、一回り小さく採寸の同じドア窓と戸袋窓に田窓。一応全国の鉄道車両を探ってみましたが、やはりこの201系固有のものに終わりました。