開場から閉場までのクハ201-1の様子を追ってみます。
当初は201系本体の全体を収めるには、ミニ新幹線の乗降場付近の一角に隠されるかのように、親子連れでも気付かないほどの影が薄いものでした。
その後、来場者がその存在に目を引かせたため、現場の方々のご好意なのか、
去ること11時を回った頃にはこれを塞いでいた手前と本線寄りのE233系が閉場前まで東半分の留置線から姿を消します。
豊田車両センターの公開は約2年ぶり、一般としての開放は初のようですが、
前回は主役であった201系とは対照的に本来なら公開の対象ではなかった系列のため、本体以外はこれに留まりました。
左のPS21パンタグラフ、201系で使用されていたのがセンター内の研修用として活用されているようです。
日当たりのピークは午前中は車体前面、午後は側面がピークの順で、後ろ妻面になる閉場前の頃にはすっかりこの存在が知れ渡っていました。
終了後の静けさ、まだ非日常的な並びが広がっています。
クハE233の入れ換えに基本編成のみのE351系が返却回送されるなど、
201系が残る限り、次回は来年の企画が待ち遠しくなります。
3054にはヘッドマークが付きませんが、秋の街路木をバックに車庫を抜けて「三宮」を掲出する最後の秋となります。
こちらは「もみじ」ヘッドマークの掲出を解禁した初日、早速西宮北口に出ると目新しい缶を持った5000系に出くわしました。
新たなデザインで新調され、年号が入り記録的に充実したものになっていると思います。
そのヘッドマークが訴えるようにもう秋のようで、日々寒い分だけ当然のように日の出も遅くなりました。
7時になって要約陰影を脱出するとそこには輝かしく光る車体、始まる忙しい朝のために通勤特急が補助に出ます。
宝塚線から返却された9004も同線に戻るとまもなく同上の容姿にされ、前週と違う経路で速度を上げながら梅田を目指します。
201系がレギュラーとなっている路線であっても、駅間で停車する201系を三脚を使用して撮影できる機会に出くわすのは、
そうないことだと思います。
例を上げると不謹慎ながらも思わぬ「代替ネタ」となってしまった、暗闇に浮かぶ“クハ200”の文字は現在2件しかありません。
狙っていたこの201系はスカートに車番が付いたゆえに「8020号」が組む合わさった一大ネタですが、丁度こちらで即死するほどの人身事故に遭った模様です。
隣の森ノ宮駅を発車した所を確認し、次の大阪城公園でスカートに車番が記されている同士のクハ200-61と並ぶシナリオが確実に訪れようとしていた所で起きました。
当該となった201系は事故復旧後大阪で折り返し、入区後は鑑識による捜査に入るような趣旨がアナウンスで流れていました。
このような輸送障害が起こると、阪和線直通列車は大阪で折り返すことが度々あります。