103系, 201系と寄り添う日々
残念なことに、゛並びは付き物”くらい当たり前だった風景も、お終いとなります。
夏頃までは後継車の運用を201系が代走することがありましたが、いずれかは逆転して代走されてしまう日がやってきます。
そんな思いを込め、というより元から103系に関心を示すことが少ない故に゛撮れてしまった”並びを心行くまで並べたいと思います。
桃谷
久宝寺
大阪城公園
芦原橋
新今宮―天王寺
今宮―芦原橋
桃谷
安治川口―西九条
桃谷
鶴橋
最終走者としての日々
後継車の増殖が治まらず、離脱へ追いやれる103系ですが、
10月3日という、デッドラインまで記録を取りこぼしたファンに応えるかのように、30N中心の編成がラストバッターを務めているようです。
いつのときも練習として、構図決めの盾になっていただきました。その際の記録です。
森ノ宮―大阪城公園
桜ノ宮
京橋―大阪城公園
桜ノ宮ー京橋
野田
野田
ユニバーサルシティ
鶴橋
さよならフィーバーの佳境には、68年間の活躍を車内放送の機会にて称賛していました。
その余情は、何かの郷愁を誘うかのようでした。
01M終日代走
朝ラッシュ限りの「01M」運用が、ある日終日05Mに化け、周回していました。
さらに元SA編成の座である61M~63Mが固定の、LB6こと201-90が急務したことも特筆させていただきます。
西九条―弁天町
ゆめ咲線に閉じ込めらるはずが、この日は朝の一往復に留まりました。
安治川口
日中の周回運用は、今では選ばれし者から1編成のみが入る中、その枠外から201系がやってまいりました。
新今宮―今宮
生き残りの快速
釧網線の看板列車しれとこ号です。快速でありながら、わずか数駅しか通過しませんので、乗り得の実感が湧きません。
この先頭にあるヘッドマークですが時刻表に載るのと同じで列車名、
停車駅が多い故にこの名の存在意義を背負っている一面が伺えます。
民営化後しばらくして石北線の特快や花咲線の快足ヘッドマークが廃されましたので、末永く踏ん張っていただきたいものです。
原生花園―浜小清水
始終着での取り外しは先頭よりの愛称板とヘッドマークのみ、冬にはこびり付いた雪を取り払う作業も加わります。
網走
湘南色フル編成
西も東も、復刻色のブームの真っ只中、
遂に岡山も湘南色の保持に乗り出しました。5月は運用まで公表されました。
広石信―井倉
高崎では思いのほか、211系の侵攻はスローペースに進んで捗るのは良いんですが、
夕方は雲に塞がれる日が多く歯痒い限りです。
安中―磯部