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三鷹駅開業80周年記念号に201系

このイベント、ツアーよりもグッズなんかよりも、最大の目玉はこれです。
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左:当日51T運用に就くH7は850Tで三鷹で並びました。
右:201系が出迎えた後、引き上げ線から下り本線4番線に入線します。
これで新潟車両センター所属の485系「NO.DO.KA」と201系の並びを抑えることができました。前回は新宿で失敗してしまったもので。

豊田から回送されて、三鷹から小淵沢まで団体臨時列車で運転されています。

「三鷹駅開業80周年イベント」を関連したツアーで、駅ナカや駅周辺にも様々な企画が行われています。個人的な意見になりますが、75周年のときは三鷹車両センター(当時は三鷹電車区)が公開されましたが、75周年より意味合いが大きいはずなのに80周年は三鷹駅に近隣する三鷹車両センターが一切触れていなくガッカリしました。

26日は発車の際、出発式が行われて三鷹駅長、一日駅長を務められた三鷹市長が発車合図を送っていました。

4番線が新しい発車メロディー「めだかの学校」の使用を開始して数コラース鳴らしました。その後は残りの番線も順次新しいメロディに切り替わりました。

※ *印が付く画像を押すと拡大写真が見れます。

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H4編成、解体される


笠ヶ岳、志賀山を背景に201系が小さく見えるものの、まだ美しい車体が目立って201系が目を引かせます。209系の顔も懐かしかったです。

何両かでもいいから6月20日に廃車回送されたH4編成に会うため、残った金で25日に行きました。しかし、思ったよりも解体作業のペースが数年前より速くて2両弱しかいませんでした。

北陸新幹線の壁を超えたところに僅かながら201系が見えます。この辺りで試運転が行われていたキハE300系を初見しました。201系にとっても初のコラボになったのではないかと思います。
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左:所々の部品が取り除かれる1号車のクハ201-108ですが、この後重機で奥へ押されていきました。
右:ほかの号車はこんな無残な姿になっていました。

 
左:解体された201系が鉄くずに化けようとしている最中、201系と自分の呼吸が苦しくなります。
右:トラックに載せてある床下機器たちです。そのうち逆さまの状態で「AVR」と記してあるのが自動電圧装置の裏面が見えて、興味深かったです。

※ すべて敷地外から撮影、観察しています。

お金の事情で行きはバス、帰りは鈍行でいつものルートで戻りました。

途中の姨捨駅でこの素敵な情景を見ていると、「この遥か向こうに201系がひそかに眠っているんだな」と思ったりもしました。H4編成、今までありがとう

高尾駅に到着して待つこと10分、201系が入線しました。今日も元気に走るH7編成でした。

6時間前は解体される201系が目の前にあったので、不思議な感覚でいっぱいでした。
2008年1月にも同じ体験をしていますが、2年経っても同じ体験ができるとは驚きです。

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善光寺平でH4と最後の夜

松本-長野間で廃車回送が行われて、一晩だけ長野総合車両センターの留置線に留置された模様です。

当方は一晩で1キロ先のネットカフェとここを数往復しながら、201系の様子を確認していました。



上:20日17時前、到着したばかりの201系はドアが開いていました。
下:21日5時頃、E257系が加わり、HMシールが外されていました。前日の17時から19時頃の間に外されたと推測しています。

解体線への入換作業を撮るのが徹夜した目的でした。しかし、解体線はこんな状況で、無理と判断したので長野をあとにしました。

予測が外れて、色々ブログやホームページを拝見していると201系の留置場所を確保した上で自分が松本にいる頃に入換作業が行われたようです。

長野総合車両センターでは留置車両がしばらくパンタグラフが上がったままの状態で放置することが多いようで、201系も到着後から通電した状態でした。
このH4編成は解体線に移動する運命だったので、パンタグラフを上げて「生きている」状態本当に最後となったしまいました。

長野-北長野間の車内
また会いに行きます、多分


下り特急しなの号の遅延を受けて聖高原で退避しました。麻績ICから眺めたところを撮影しています。



見辛い写真ですが、中間先頭車の前面方向幕が外されているのがわかります。

今後、H4編成の特集を何回かに分けて公開する予定です。当ブログでH7編成の存在が薄くならないように、H7編成の撮影成果の合間などに掲載したいと思います。

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“みんな大すき201”


東小金井改札外に設置されているパンフレットコーナーの一角に201系の塗り絵が!
一瞬姨捨駅にみえた


ここに配布されている手書きの絵を塗って、裏面に氏名と学校名を入れてみどりの窓口に提出できりようです。最近まったく201系の絵を描かないので腕が落ち、中学時代は美術部だった癖に、フリーハンドで描いたと思われる絵がとても上手く見えます。



お隣のイトーヨーカ堂武蔵小金井店です。前々から武蔵小金井を俯瞰できるか町中に探していましたが、屋上の駐車場入り口付近




夕方に戻ってきました。
屋上の駐車場はは車の出入りが少なく、身の安全を考慮して撮影しています。

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さよなら中央線201系 (最終)河口湖ツアー

H4編成がさよなら中央線201系の第1弾として富士急行線の河口湖ツアーが実施されました。今回が2回目でH4編成は沢山の思い出と沿線に魂を残したように感じました。
自分は丸一日かけて作ったはがきは落選となってしまい、このツアーと来週のツアーは撮影することになりました。
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左:梅雨入り前の日差しにも別れながら1か月ぶりに豊田車両センターを出区しました。
右:生憎2回目も富士山が見えなかったものの、それを補えるように木製の架線柱などの富士急行線ならではの風景も一杯あると思います。まもなく河口湖駅の到着します。

今回の撮影会は2回に分けられて、有効乗車券、入場券があれば誰でも参加することができました。撮影会の合間に大宮を目指す189系田町車の入換作業が始まります。

駅前では数量限定のグッズが販売されました。これについてはまたのご機会にご紹介したいと思います。
また、当日の撮影者のために富士急行線の公式ホームぺージではリバイバル車両運用入り時刻表が公開されました。(→http://www.fujikyu-railway.jp/div/event/pdf/rv/R100613.pdf)201系との並びを撮るのに非常に参考になりました。

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左:都留市駅に入線して、ここで9分間の運転停車があります。
右:都留市を発車して、のどかな風景にのろのろと走り去って行きました。

撮影後も優等列車で追うことができます。
この高架区間を上り続けて半年が経ち、すっかり慣れたはずなのに。

H4編成の生涯で上り列車としての運転はこれが事実上最後となりました。


左:午前中に立川でH7編成と並んだ模様で、三鷹駅構内で並んだ後はH4編成を先行しました。
右:三鷹市、当方が幼児の頃に生まれ育った武蔵野市と小金井市、国分寺市、府中市、国立市、立川市へお別れの時がやってきました。5分ほど遅れて、思い出の溢れている鉄路を高速で駆け抜けていきました。
最後なのか、3枚の連写撮影だけでF5.0、1/25でも成功しました。

三鷹駅では東京方の引き上げ線に折り返しますが、約1キロ先に見える吉祥寺駅にはH4の思いが届いたのだろうか、言葉に表せない心境です。


レールファンをはじめ、富士急行の社員と地元の方々、富士急行の列車に温かく見守られました。河口湖駅は同じ鉄でとても賑わっていました。企画してくださった方々にありがたく思います。


本当に最後だということを告げていました。そして、富士山の麓を後にしました。
この日はH4編成にとって殆どが「最後」ですが、素晴らしい運転ぶりで正直撮ってて楽しかった気持ちもあります。

H4と自分の気持ちで長くなってしまいましたが、最後まで一読していただきありがとうございます。

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祝 東京-高尾間ロケハン完了

6月11日をもって営業キロ53.1キロの東京-高尾間の撮影地開拓が完了しました。

通勤時間帯にも関わらず高架下付近は閑散としているなか、上には次々とやってくる電車に201系がやってきました。
この後は花小金井で祖父と挨拶しに行きました。
朝の遅延でH7編成は53Tから09Tに変更されて、計画的に四ツ谷から東京まで歩きました。

道中に見つけた交通博物館跡の横の「肉の万世」から撮影しました。メニューの階級が高めな7階もありますが、お立ち台が空いてなかったので少し休めな5階から撮影しました。



立川から始まった53Tは昭島で2分停車しました。


今年に入ってから撮影しました。引き上げ線にH7に、高尾を発車したH7と並びました。


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201系の走る豊田-八王子間を散策

201系を撮影していない所を求めて西八王子から豊田まで歩きながら、撮影しました。
この日は09T運用で東京と高尾を3往復する運用があるので、あえてこの区間にしたのです。
 
長い編成でも一瞬、先頭車と最後尾だけが見えて独特な表情を見せています。
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晴れて空気が澄んでいると雲取山などが見えます。
2時間かけて京王線の平山城址公園に迂回してロケハンしました。

天気に恵まれなかったけど、このお立ち台は4年ぶりでとても懐かしく思えました。

週末の朝です。

もう9時近く、未だに高尾の留置線に取り残されている201系です。201系がじっと見れて楽しいひと時が流れます。

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中央線沿線おでかけマップ


画像を押すと拡大写真が見れます。
本来は“みんなの思い出をかいてみよう。わく内の番号を地図にかいてね”とありますが、
     “みんなの思い出を撮ってみよう。…”にしてみました。

JR東日本八王子支社の公式ホームぺージの「中央線が好きだ」の中に掲載されている中央線沿線おでかけマップ(→http://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20100416/Chuosen_OdekakeMAP2010.pdf)を元に手を加えてみました。中央線の駅に配布されている小冊子です。
 
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今週は日を浴びて車体を輝かせる201系


今週は先週は曇りが続いていた日と一転して、朝から暖かい(暑い)日差しが届いてます。
先週からの記憶だと最低でも3日に一度は終日201系の撮影に出かけますが、よく寝過ごす影響で半日はE233系、201系の車内で夢を見ている日は少ないのです。
でも半日ぶりに目を覚ました瞬間、乗っているE233系から201系とすれ違うことまれにあります。(そんな201系を検知できる能力備わってた?)

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疲れ果てて、帰りの西国分寺のホームで待っているとピカピカなEF64-1006が来ました。

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荻窪~四ッ谷まで撮り歩き

始発前に西川口-蕨間を歩いて、さらに荻窪~都庁~四ッ谷まで歩きながらロケハン(撮影地開拓)しました。

電車内から見つけたお立ち台は本当に撮れるか検証したりしました。沿線を歩くことで新たなアングルや撮影地を見つけることができます。

ここで201系を撮影したかった、半年前に見つけた場所の一つです。高い柵を乗り越えるために、足を三脚に乗せてカメラを身長より高く上げて撮影するので、1/500以上で撮影したかったのだが。行った日は曇天で失敗し、悔いが残ります。

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東中野付近で緩行線より一段高いところにカーブを走る201系です。後ろが武蔵小金井行きになっていて、撮影側にしたらちょっと面白ろかたです。

  
左:東中野-中野間
右:信濃町付駅前の陸橋

これで未踏の(ロケハンが済んでない)区間は東京-四ッ谷間、西荻窪-吉祥寺間だけが残っています。これらの区間は近いうちに行きたいと思います。

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