2編成が同色のラッピングを構成

2014-08-31 23:39:29 | 201系の車体広告

7月に同じ広告が201系2本に施行され、ドアに至っては帯状のステッカーが露出する例の少ないパターンです。

クハ201-63から成るLB3編成です。

 

こちらはクハ201-92のLB7編成は約1年の期間を空けての掲出となりました。

最近当形式は、

乗る>撮る

がマイブームとなっているため、記録程度です。ついには物品購入がてらを利用した、デジタル一眼を持たない遠征までするようになりました。


DLやまぐち最終日 新山口での入換

2014-08-25 23:28:14 | DD51、客車、貨物

8月22日、新山口に到着した重連と客車がホーム上で分離を開始します。

駅に居ながら同時に入れ換えている2つのヘッドマークが並走、組み合わさることでよりDLを強調できるので駅であっても侮れません。

 

 

往路はこちらの誘いを思い出すしたのか、途中からワープの一途を辿っていました。3年前の広告です。


201系を潜る乗務員

2014-08-20 22:28:43 | 201系

手歯止めの取り外しが簡易な場所です。

 

両側にホームがある場合の天王寺は、少々労力を要します。こちらの滞泊に使用する手葉止は特殊であることがわかります。

 

大月では横の下り本線が開通していることを考慮して上と大差はありません。


ついでのDD51石北貨物

2014-08-17 21:58:24 | DD51、客車、貨物

とうとう計画通りDF200による石北貨物が始まりましたが、前々回の遠征では興奮してしまったDD51があります。

相内~東相内

 

東相内~西北見

 

旭川への鈍行の時刻を事前に組み間違えて、当日に旭川への普通列車が断たれました。仕方がなくなった我は収穫となる探り当てたらこちらの石北貨物だったのです。

北見

 

北見

 

翌日も撮れるチャンスがあることを知り、留めに雪山の俯瞰したくなって高さ2メートルほどの雪道を掘りながら進みました。

金華~西留辺蘂


惜別 携帯電話電源オフ車両

2014-08-15 21:30:38 | 阪急電鉄・能勢電鉄

阪急電鉄で優先座席及び携帯電話の取り扱いが変更されてから1ヵ月が経過しました。

優先座席のモケット色を赤柴色への変更は進行中ですので、いずれかは緑色に統一されたモケットの色が見納めとなります。

一昔の甲陽線では、3両中2両が携帯電話電源オフ車両ということがありました。

遅まきながら神戸側の先頭車は携帯電話の使用が解禁されましたが、神戸三宮寄りの展望席が優先座席化となって泣けない思いです。

 

乗る側も撮る側も煩わしい携帯電話の電源を案内するシールがなくなり、本来の姿が戻ってきたかのようです。

 


横浜線205系と201系

2014-08-09 21:43:12 | 201系×並び

一見、201系が肩を寄せ合っている所だけなんですが、右奥に205系が覗かせています。

 

これまでの活躍を労うヘッドマークとして、「横浜線100周年」に近いデザインがモチーフにしている模様となっています。青い外枠は「特別快速」のヘッドマークを思わせます。

橋本

 

八王子みなみ野~片倉

当路線の205系で単体の写真は道中の記念として残っていた記録です。


瀬田川を渡る「しなの」号

2014-08-05 23:11:37 | JR東海

383系が最近身を潜め、大阪に唯一入るしなの号の時間だけがぽっかり空いています。

撮るより、見かける機会が多いこちらは過去に東西の201系の並びを撮影しており、

大津~膳所

 

その「東日本」と「西日本」の201系を結ぶ架け橋のような存在です。

掘り出せたもので、いくつかでてきました。が、以下3番のりばに到着する時間は夏至でも日没後のため、直近の並びは確かありません。

大阪

 

豊田区と非貫通側の並びもありますが、発見できないのでまたのチャンスにお出ししたく思います。

平瀬信号場

 

聖高原

 

いつもならカメラを向けられることのない当形式でも篠ノ井線にイベント物が走ると、長編成を生かして「練習電」として活かされています。

聖高原~冠着


スラントノーズによる「北斗」代走

2014-08-03 14:00:00 | JR北海道

臨時北斗の一部で、混結した編成の先頭にキハ183-200が抜擢されたことが好転して札幌方がスラントノーズになっていました。

長万部

 

今年3月のダイヤ改正までは「臨時北斗84号」と「臨時北斗91号」の一往復が基本でしたが、

7月までは「臨時北斗84号」と「臨時北斗89号」、「臨時北斗86号」と「臨時北斗93号」の二往復の日が増えていました。

小幌~礼文

 

新札幌

 

リゾート編成も定期的に動員されていました。

礼文

 

記録へは何かと災難に見舞われ、201系にない不甲斐のなさに痛感した遠征です。

東室蘭

 

幌別