goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

見っともよいかないか

2021年10月16日 09時10分56秒 | えいこう語る

▼眞子さんの結婚が近づいてきた。私の親族や友人の娘さんのことではないが、日本人だからなんだか気になる。天皇家のお嬢さんの結婚だからだ。

▼昨夜布団に入ると、また眞子さんの結婚が気になり、今読んでいる本に集中ができない。本棚に塩野七生著「日本人へ」リーダー編があったので、取り出して付箋のある部分だけを開いてみた。

▼塩野さんはイタリアに住み、古代ローマを研究し、その頃の人物や国家の在り方を解説している。そんな感じが私の塩野像だ。

▼現天皇の妹「紀宮様のご結婚について思う」という文章だ。結婚式を終わり、黒田清子となり記者会見に出られた時、ご主人の1~2歩後を歩いていた。

▼夫の影を踏まずということだろうが、今時誰もそんなことはしない。背に手をまわし、エスコートする形で、人々に紹介するのがよかったのではないかと、ヨーロッパの王室に接することが多い塩野さんは、そう感じたという。

▼品位を保つことと自然にふるまうことは決して矛盾しないと、塩野さんは言う。そう言えば、上皇夫妻は手を取ったり、お互いをかばい合うことが多く見受けられる。これは、周囲の人々に親近感と信頼感を覚えさせる。

▼ビートルズ世代を意識している私も、70歳を過ぎた。常識的なことなどぶっ壊し、新たな常識をつくればいいという考えだったが、古い常識に連れ戻されるこの頃だ。

▼眞子さんの婚約会見で、お互いを「太陽と月」に例えて、二人で称え合った。普通なら、動物に例える位でよかったのにと、いまだに心に引っかかっている。

▼私はこう思っているが、不敬罪?になるので、いくら表現の自由が保障されていようが、それは控える。こんな症状が、古い常識に戻されているという、自己診断結果なのだ。

▼それにチョンマゲだ!。米国で生活しているから、自由な新婚生活が待っているという、メッセージだと思うが、相手のご両親に挨拶をするのに「髪ぐらい切れ」というのも、私の古い常識の範疇というものだ。

▼という私も、30代の時、初めて知事室に招かれた時、ジーンズを穿いて行った。母には相当叱られたが、知事3期の在職期間は、親しくお付き合いさせていただいた。リアルタイムで政治に関心を持ったのは、その頃からだった。

▼蛇足に走ってしまったが、この蛇足が私の特徴で、古い常識の源だというのも自覚している。

▼塩野さんの言葉に戻る。昔は、見苦しいまねというより「見っともないまね」という方が多かった。悪いことだからやってはいけない、ではなく【見苦しいからやるな】だった。

▼基準は善か悪ではなく【見っともよいかないか】だけなのだから、これはもう倫理道徳の問題というより美意識の問題であり、それより親の与える躾(しつけ)の一つに、すぎないと塩野さんは手厳しい。

▼もう一度蛇足だが、塩野さんのこの本はリーダー論だ。シンゾウとスガの顔が浮かんできた。
「リーダーとは、見っともよいかないか」という基準に当てはめれば、この二人は何おか言わんやである。

▼秋篠宮ばかりではなく、結婚会見を前に天皇家は、夜も眠れない日が続いているのではないかと推察する。

▼消灯して眠りに入ったが「天皇制崩壊」という、恐ろしい夢は見なかった。目が覚めて秋篠宮の言葉が心に染みた。

▼「国民みんなが喜んでくれる結婚であって欲しい」。古い常識の親なら、誰しもがそう思うに違いない。


     眞子さんニューヨークに発つ
     幸多かれ       三等下