▼北海道寿都町の、核のごみ地下埋設処分場の賛否を問う町長選挙が終了し、賛成派の片岡春雄が6選を果たした。
▼1期目は対立候補がいたが、5期までは無競争だった。この長期政権で、自民党政権同様生活の仕組みが片岡流に染まってしまっているからだ。ここは、政治思想史家の丸山眞男の言葉を借りたい。
▼【歴史の中で一貫しているのは「なりゆき」の連続性を重視し、多くの人の共有する「いきほい」に同調する行動様式である。そこでは絶対的な理念や目的の合理性は問われず「ここまで来たんだからやめられない」という理由で、既成事実に屈服し過去と未来がずるずるとつながる。その実態は利害や人間関係で決まる】。池田信夫著「丸山眞男と戦後日本の国体」白水社より。
▼日清・日露戦争、満州事変から日中戦争、そして敗戦。さらに私自身が体験した、平成の市町村合併にも、丸山の指摘の正確さがうかがえる。
▼勝負はわずか「235票」差だ。これは新たな戦い、そして勝利への道筋が見えたということだ。この【235】という数字を旗印にし、【故郷奪還運動】のシンボルにしてほしいものだ。
▼関心が高まらないというは今回の衆議院選挙だ。26日の北海道新聞で、東工大教授の中島岳志は『選挙への動機づけ回路構築』という提言をしている。
▼【選挙以外の時にも、身近な社会の問題にかかわり、自分の住む地方自治体の行政に関心を持つことが大切だ。公的なものにかかわり、異なる他者との合意形成を繰り返すうちに、私たちはその延長線上にある選挙への、積極的な関心を取り戻す】。
▼さらに【選挙へ行かなければならないというお説教よりも、選挙に行く動機づけの回路を、社会の中に構築していかなければならない】と言う。
▼この二人の学者の発言に、私は次のように奮起させられる。それは、私が所属する函館市町会連合会の在り方についてだ。
▼近年、函館市においても、町会の加入率が低下している。「魅力ある町会づくり」がスローガンだが、魅力という言葉は抽象的すぎる。
▼それに町会は、政治や自治問題について、討論する姿勢がない。町会に政治的なものを持ち込んではならないという、不文律さえある。
▼私はもし函館市に寿都町のような問題が起きたら、市民の最大組織として、どんな対応をするのか危惧している。普段から、そのような課題にも対処できる、間口を広げた議論が必要ではないかと考えているからだ。
▼函館市は大間原発建設には“凍結”を表明し、国と裁判を起こしている。私たちの市町連も14万筆の署名を集め、国に送付している。しかし、福島原発事故から10年を経過した現在、市民の関心が低下しているのを実感している。
▼私は市町連で大間原発担当をしている。そこで50人ほどの会長たちに、原発の質問に答えてもらった。私程度のレベルを満点だと仮定しても、他の会長たちの平均点数は40点程度にみえた。
▼函館市が国を訴えているから、それでいいのではないかという、市民の自主性の欠如を感じる。それが丸山眞男が指摘する「なりゆき」「いきほい」に同調する行動様式ではないか。
▼確かに国に提訴した時の市長の「いきほい」はあった。だが3期終了を目前に、その「いきほい」は希薄になっているように、市民は感じている。
▼国側も函館側双方にも「ここまで来たんだからやめられない」という、倦怠感のようなものが漂い始めているのを実感する。
▼詩人のサミュエル・ウルマン流に言えば「情熱を失ったとき、人は老いるのだ」ということだろうか。寿都町長選から学ばせてもらった、自己批判も含めての私の思いだ。
アイヌモシリに核のゴミ不要
三等下
※アイヌモシリとは「人間の静かな大地」という意味。
▼1期目は対立候補がいたが、5期までは無競争だった。この長期政権で、自民党政権同様生活の仕組みが片岡流に染まってしまっているからだ。ここは、政治思想史家の丸山眞男の言葉を借りたい。
▼【歴史の中で一貫しているのは「なりゆき」の連続性を重視し、多くの人の共有する「いきほい」に同調する行動様式である。そこでは絶対的な理念や目的の合理性は問われず「ここまで来たんだからやめられない」という理由で、既成事実に屈服し過去と未来がずるずるとつながる。その実態は利害や人間関係で決まる】。池田信夫著「丸山眞男と戦後日本の国体」白水社より。
▼日清・日露戦争、満州事変から日中戦争、そして敗戦。さらに私自身が体験した、平成の市町村合併にも、丸山の指摘の正確さがうかがえる。
▼勝負はわずか「235票」差だ。これは新たな戦い、そして勝利への道筋が見えたということだ。この【235】という数字を旗印にし、【故郷奪還運動】のシンボルにしてほしいものだ。
▼関心が高まらないというは今回の衆議院選挙だ。26日の北海道新聞で、東工大教授の中島岳志は『選挙への動機づけ回路構築』という提言をしている。
▼【選挙以外の時にも、身近な社会の問題にかかわり、自分の住む地方自治体の行政に関心を持つことが大切だ。公的なものにかかわり、異なる他者との合意形成を繰り返すうちに、私たちはその延長線上にある選挙への、積極的な関心を取り戻す】。
▼さらに【選挙へ行かなければならないというお説教よりも、選挙に行く動機づけの回路を、社会の中に構築していかなければならない】と言う。
▼この二人の学者の発言に、私は次のように奮起させられる。それは、私が所属する函館市町会連合会の在り方についてだ。
▼近年、函館市においても、町会の加入率が低下している。「魅力ある町会づくり」がスローガンだが、魅力という言葉は抽象的すぎる。
▼それに町会は、政治や自治問題について、討論する姿勢がない。町会に政治的なものを持ち込んではならないという、不文律さえある。
▼私はもし函館市に寿都町のような問題が起きたら、市民の最大組織として、どんな対応をするのか危惧している。普段から、そのような課題にも対処できる、間口を広げた議論が必要ではないかと考えているからだ。
▼函館市は大間原発建設には“凍結”を表明し、国と裁判を起こしている。私たちの市町連も14万筆の署名を集め、国に送付している。しかし、福島原発事故から10年を経過した現在、市民の関心が低下しているのを実感している。
▼私は市町連で大間原発担当をしている。そこで50人ほどの会長たちに、原発の質問に答えてもらった。私程度のレベルを満点だと仮定しても、他の会長たちの平均点数は40点程度にみえた。
▼函館市が国を訴えているから、それでいいのではないかという、市民の自主性の欠如を感じる。それが丸山眞男が指摘する「なりゆき」「いきほい」に同調する行動様式ではないか。
▼確かに国に提訴した時の市長の「いきほい」はあった。だが3期終了を目前に、その「いきほい」は希薄になっているように、市民は感じている。
▼国側も函館側双方にも「ここまで来たんだからやめられない」という、倦怠感のようなものが漂い始めているのを実感する。
▼詩人のサミュエル・ウルマン流に言えば「情熱を失ったとき、人は老いるのだ」ということだろうか。寿都町長選から学ばせてもらった、自己批判も含めての私の思いだ。
アイヌモシリに核のゴミ不要
三等下
※アイヌモシリとは「人間の静かな大地」という意味。