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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

原発事故防災訓練

2013年10月09日 13時08分44秒 | えいこう語る
北海道泊原発での事故を想定した、大規模な防災訓練が行われた。
訓練とは、繰り返し行い習熟させることにより、危険を回避する能力を身につけるということだろう。
だが、ことは原発事故である。
生命に危険を及ぼすこの事故は、あってはならないものだ。
たとえ避難しても、自分の故郷へは二度と再び帰れぬこともあるというのは、チェリノブイリしかり、福島第一原発事故で確認済みだ。
これらの事故は、原子力が人間の手に負えないことを実証している。
事故を起こさない細心の注意を図り、どんなに科学の英知を働かそうと、そこにヒューマンエラーが存在する。このヒューマンエラーが生命の存続を阻害する。
ところが、ヒューマンエラーなどというものではない。汚染水の処理などは、対策不能という印象さえ与える。
世界中で、もし原子力発電所の事故が多発した場合、地球の存続にかかわるというのは容易に想像されるだろう。
それにもかかわらず、泊村周辺の自治体では、訓練が続けられる。
※海の環境を壊すなと、ブリも怒っている。・・・ブリブリ!


私は、漁師手伝いをして海上にいると、陸地では感じられない風向きの変化を実感する。安全だと示された方向に逃げたとしても、風向きは刻々と変化をするのだ。
危険だから逃げる、逃げたら故郷を放棄しなければならないとしたら、原発は作らなければいいということになりはしないだろうか。
なぜ住民は原発事故の防災訓練に参加するのか、私には疑問だ。
逃げても避難民扱いなら、その現況を断ち切ることに労力を注いだほうがいいのではないかと考える。
さて私は、地区の連合町内会長である。
行政が住民の安全を確保しようと、避難訓練を計画した場合、拒否できるだろうか。他の町会長や住民の反応は、訓練に参加するのは当然だということになるだろう。
連合会長としては、それに反対を示すことは、会長の席を辞するということだ。しかし、辞しても問題は何も解決されない。
最近新聞をにぎわしている、みずほ銀行の暴力団融資問題がある。
歴代頭取も把握していたようだ。
この一件を考えるに、一人が反対しても大勢が融資に仕方がないと賛成すると、多勢の方が非常識なのだが、場の雰囲気に飲み込まれると、それが常識的となり結果的に組織の信用を失うこととなる。
要は、正しいと判断する理解力が共有されていないということだ。
学習するということの意義は、間違いのない判断に向かうという能力を持たせることかもしれない。
道庁や周辺自治体も、防災訓練より、住民に対する原子力学習会を開催するほうが、真の防災訓練になると思うのだが。