元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「転回」

2023-06-11 06:08:21 | 映画の感想(た行)
 (原題:Oromtriali)86年ソビエト作品。日本では劇場での一般封切りはされておらず、私は第2回の東京国際映画祭で観ている。グルジア共和国(現ジョージア)の映画人同盟書記であった女流監督ラナ・ゴゴベリーゼの手によるヒューマンドラマで、彼女はこの映画祭で最優秀監督賞を獲得。それを裏付けるように、作劇の密度は高い。

 グルジアの首都トビリシで、かつての映画スターであるマナナと学者のルスダンの初老の女性2人が何十年かぶりで会うところから映画は始まる。別れた数分後、ルスダンは交通事故に遭い病院に担ぎ込まれる。マナナは予定していた撮影の仕事がキャンセルになり、金に困った彼女は昔からのファンであるゼネコン社長のアンドロから大金を借りる。

 マナナの19歳の娘サロメは浪費癖のある母親を心配してその金を取り上げてアンドロに返そうとするが、チンピラのバドレに金を盗まれてしまう。一方ルスダンの入院先ではアンドロの若い愛人ナナが幼い娘アンナを残して世を去る。ルスダンを見舞いに来たマナナは病院でアンドロに再会。そしてアンナをめぐってルスダンとマナナ、アンドロとその妻ラウラの思惑が交錯する。

 上映前の舞台挨拶でゴゴベリーゼ監督が“人の運命、性格、行為がもつれ合って織りなす人生というもの、そして各人の行為が他者に与える影響について、いつも興味を持っていた”と述べていたが、その言葉通り本作は各キャラクターの行為が他人と関わって別のエピソードを生み出すというような、鎖のような構成の上に成り立っている。しかも単なるオムニバス・ドラマではなく、各パートが互いに入り組んでいるため観客側でも想像力を働かせないと付いていけない。

 この映画の大きなモチーフとも言えるのが、冒頭のルスダンでの研究室で映写されるフィルムだ。若い女がカメラに向かって何か切実に訴えている。しかし故意に音声を消しているのでしゃべっている内容は分からない。ルスダンはこの映像を同僚や学生に見せて、何を言っているのか予想してもらう。するとそれぞれ“求愛だろう”とか“相手の不実に対して怒っている”とか、勝手な見解を下す。

 この画像は劇中で何度も繰り返されるが、ラスト近くにその内容が明かされる。すると画面の中の女性は、大方の見方とまったく異なることを訴えていたことが分かる。人と人とのコミュニケーションがいかにアテにならないものか、後半に無理解な大人たちに振り回される少女アンナを通じて作者が主張したかったことはこれだろう。だからこそコミュニケーションを積み上げる重要性がクローズアップされる。

 ゴゴベリーゼの演出は観る者を完全に突き放したストイックなもの。愛想は無いが求心力は大きい。寒色系を活かした映像が場を盛り上げる。レイア・アバシゼにリア・エリアバ、グラム・ピルチュカラーバ、オター・メグビネトゥクチェシといったキャストも良い仕事をしている。
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「TAR ター」

2023-06-10 06:05:11 | 映画の感想(英数)
 (原題:TAR )これはとても評価出来ない。題材に対する精査や描くべきポイントの洗い出し、アプローチの方法、キャラクターの設定、そしてストーリー展開と、あらゆる点で問題が山積だ。第95回米アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演女優ほか計6部門で候補になっていたが、いかなる事情で斯様に絶賛されたのか当方では分かりかねる。

 女性として初めてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に任命されたリディア・ターは、現在マーラーの交響曲全集の録音に取り組んでおり、残すは第5番だけである。しかし、思うような演奏が出来ない。同時に、自身の手による楽曲の制作も上手くいかず、プレッシャーに押しつぶされそうになる毎日だ。そんな中、かつて彼女が指導した若手指揮者が急逝するという知らせが入り、ある疑惑をかけられたターはますます追い詰められていく。



 現在、プロの女性指揮者は世界で30人ぐらいしか存在しないという。しかも、有名オーケストラの常任指揮者や音楽監督のポストに就いている者はいないし、過去に存在したことも無い。しかしこの映画のヒロインは、当初の設定からベルリン・フィルという世界屈指の楽団を束ねる立場にいるのだ。いくら何でもこれはおかしいだろう。

 まずは“どうして女性は指揮者として大成しないのか”という問題意識の提示から始めるべきだ。百歩譲って、彼女にそれだけの力量があると仮定しても、映画の中ではリディアの異才ぶりを示すシーンは見当たらない。マーラーの第5番の冒頭部分だけを仰々しく振ってはみるが、それだけだ。

 そして身も蓋もないことを言ってしまえば、同性愛者である彼女が過去の交際相手の悲報に関して動揺するあまり本業に支障を来すという展開は、甘すぎる。往年のマエストロの中には言動がちょっとアレだった者もいるが、それが大きく批判されて音楽活動が疎かになったという話はあまり聞かない。そもそもベルリン・フィルの常任を任されるような豪傑にとって、スキャンダルの一つや二つ軽く踏み潰すぐらいの“鋼のメンタル”が必須であるはずだ。そういう主人公の造型が出来ないのならば、この題材の採用自体が間違っていたということだろう。

 トッド・フィールドの演出はいたずらに“映像派”を狙うばかりで少しも求心力が感じられない。2時間半を超える長尺を支えるだけのパワーに欠ける。音楽に対する理解も怪しいもので、特にラストの処理など呆れてしまった。主演のケイト・ブランシェットは熱演ながら、演技パターンは想定の範囲内だ。ノエミ・メルランやニーナ・ホス、ソフィー・カウアー、アラン・コーデュナー、マーク・ストロングといった面子も精彩を欠く。それにしても、劇中でのドイツ語のセリフの多くに字幕が付いていないのには閉口した。
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「ナイブズ・アウト:グラス・オニオン」

2023-06-09 06:11:48 | 映画の感想(な行)

 (原題:GLASS ONION:A KNIVES OUT MYSTERY)2022年12月よりNetflixより配信。シリーズ第二作とのことだが、前作は観ていない。ただし、それで大きく困ることはなさそうだ。ライアン・ジョンソン監督がオリジナル脚本で描いたミステリー。とはいえ随分と緩めの建て付けであり、サスペンスの要素は希薄で、卓越したトリックも見当たらない。ならば観る価値は無いのかというと、そうでもない。これは多彩なキャスティングとロケ地の風景をリラックスして堪能するためのシャシンだ。

 コロナ禍が世界を覆いロックダウンが相次いだ2020年、IT企業のCEOで大富豪のマイルズ・ブロンは、エーゲ海にあるプライベート・アイランドに友人たちを招待し、そこで殺人ミステリーゲームを開催しようとする。ところが声を掛けた覚えの無い元ビジネスパートナーのアンディ・ブランドと、名探偵のブノワ・ブランも勝手にやって来る。やがて本当に出席者の一人が殺され、ゲームではないリアルな事件が展開する。

 この島に集まったのは全員が腹に一物ある面子で、いずれも動機がある。だからアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」のように犠牲者が大量に出るのかと思ったら、そうはならない。殺人の手口は凝ったものではなく、謎解きの興趣は期待できない。そもそも、映画が始まったときから誰が一番怪しいのか目星は付く。映画は途中からブノワ・ブランとアンディがどうしてパーティに参加することになったのかが明かされるが、この時点から物語の底は割れてしまう。

 ライアン・ジョンソンの演出は完全に脱力系で、ラストの扱いも腰砕けだ。しかしながら、それで別に腹も立たない。ブノワに扮するダニエル・クレイグは実に楽しそうにこの傍若無人な探偵を演じており、ジェームズ・ボンドよりもこういう役柄の方が合っている。マイルズを演じるエドワード・ノートンは胡散臭さマックスだし、アンディ役のジャネール・モネイも魅力的。

 キャスリン・ハーンにマデリン・クライン、ケイト・ハドソン、デイヴ・バウティスタに加え、イーサン・ホークにヒュー・グラント、セリーナ・ウィリアムズ、ヨーヨー・マ、ジョセフ・ゴードン=レヴィット(声の出演のみ)、アンジェラ・ランズベリー(これが遺作)といった賑々しい面子が場を盛り上げる。ギリシアの避暑地ポルトヘリの風景は美しく、観光気分満点だ。ネイサン・ジョンソンの音楽も悪くない。
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「都会のアリス」

2023-06-05 06:17:21 | 映画の感想(た行)

 (原題:ALICE IN DEN STADTEN)74年西ドイツ作品。日本公開は88年。ヴィム・ヴェンダース監督の初期作品で、以後「まわり道」(75年)「さすらい」(76年)と続く、同監督による“ロードムービー3部作”の第1作だ。90年代以降のヴェンダースは精彩が無いが、この映画を撮っていた時期は感性が研ぎ澄まされていたようで、映像表現やキャストの動かし方は並外れており、鑑賞後の満足度は高い。

 旅行記を書くためアメリカに滞在していたドイツ人青年フィリップは、旅愁や旅情といったものに縁が無い平板なアメリカの風景に失望し、大した成果もあげられないまま帰国を決める。ところが空港で思わぬ足止めを食らい、おまけにそこで知り合った同じくドイツに帰国予定だという女性リザは9歳の娘アリスの世話を彼に押し付けて、自分は行方をくらましてしまう。仕方なくフィリップはアリスと一緒にドイツに飛ぶが、アリスからアムステルダムに祖母がいると聞き出し、おぼろげな彼女の記憶だけを頼りに旅を続ける。

 平たく言えば、これは主人公フィリップの成長物語だ。それまで彼は一人で執筆活動を続けてきた。だから、たぶん彼の書くものは主観的ではあるが一面的であり、アメリカを旅しても何ら強い印象を受けなかったのは、彼自身の洞察力や審美眼が未熟だったためだろう。そんな彼がアリスという今まで付き合ったことのない存在と対峙することになり、多面的な物の見方をせざるを得なくなる。

 何しろ、アリスの立場で考えなければ彼は祖母の元に連れて行くことも出来ないのだ。そのプロセスを、作者は説明的で過度なセリフを廃して登場人物の佇まいと映像描写によって伝えようとする。フィリップ役のリュディガー・フォーグラーは存在感があり、少しずつ内面が変わっていく青年像を的確に演じていた。彼はそれからヴェンダース監督とたびたびコンビを組むようになる。

 アリス役のイエラ・ロットレンダーは実に達者な子役で、フィリップよりも旅慣れていて、しかも“大人”であるヒロインを体現化している。そしてロビー・ミュラーのカメラによるモノクロ映像の美しさは目に染みた。まさに都会がアリスの視点から捉えられたワンダーランドのように展開する。

 関係ないが、同時期にアメリカで作られたピーター・ボグダノヴィッチ監督の「ペーパー・ムーン」と似たような設定とエクステリアながら、感銘度はこちらの方がずっと上だ。また、音楽を担当しているのがドイツの先鋭的ロックグループのCANで、効果的なスコアを提供している。
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「午前4時にパリの夜は明ける」

2023-06-04 06:26:00 | 映画の感想(か行)
 (原題:LES PASSAGERS DE LA NUIT)雰囲気や肌触りは良く、キャストも好演なのだが、いまひとつ物足りない。これはキャラクターの練り上げが足りないこと、そしてストーリーに力強さが無いことに尽きる。有り体に言えば、どうしてこの映画を作る必要があったのか分からない。テレビの連続ドラマならば大して問題は無いだろうが、スクリーンで対峙するには少々辛いものがある。

 ミッテラン新大統領の誕生に沸き立つ1981年のフランス。パリに住むエリザベートは離婚して子供たちを一人で育てるハメになった。それまでロクに勤労経験も無かった彼女にとって仕事探しは楽ではなかったが、何とか深夜放送のラジオ番組の職にありつくことが出来た。ある晩エリザベートは家出少女のタルラと出会い、泊まる場所も無い彼女を自宅へ招き入れる。



 いくら80年代とはいえ、ヒロインが子供が十代後半になるまで専業主婦以外の生き方に目が行かなかったというのは、ちょっと考えにくい。しかも演じているのが奔放さ(?)が売り物のシャルロット・ゲンズブールというのだから、ますます無理がある。そしてエリザベートが深夜ラジオの仕事を選んだのは不眠症気味だからといった理由付けも、何だか釈然としない。ラジオに対する強い思い入れが無ければ普通思い付かないはずだが、映画は軽くスルーしている。

 タルラの存在は一家に波風は立たせるが、それほど大きな変化や事件が起きるわけでもない。彼女が高校生の長男と仲良くなるのも、まあ想定の範囲内だ。エリザベートはラジオの仕事と並行して図書館のバイトもやっているのだが、そこで新しい交際相手と出会う。そのあたりの顛末も少しもドラマティックではなく、何となく懇ろになるという筋書きは薄味に過ぎる。ミカエル・アースの演出は平板だ。とはいえ、80年代の空気感は良く出ていた。ラジオが有力メディアの一つであった頃の、リスナーの態度・言動等には懐かしさも感じる。

 ゲンズブールは普段やらないような役柄ながらシッカリと演じていたし、キト・レイヨン=リシュテルにノエ・アビタ、メーガン・ノーサムといった脇の面子も良い仕事をしている。そしてエマニュエル・ベアールが貫禄たっぷりに(笑)出てきたのには驚いた。セバスティアン・ビュシュマンのカメラによるパリの情景は心惹かれる。アントン・サンコーの音楽、そして当時のポップスの扱いも良い。
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「アルマゲドン・タイム ある日々の肖像」

2023-06-03 06:03:17 | 映画の感想(あ行)
 (原題:ARMAGEDDON TIME )監督自身の少年時代の実体験をもとにしたシャシンとしては、先日観たスピルバーグの「フェイブルマンズ」よりはいくらかマシな出来だが、クォリティとしては及第点に達していない。観た後にすぐに忘れてしまうような内容だ。やはり自分史を題材にしてしまうと、意識的・無意識的に関わらず、作者にとって都合の良いような筋書きになりがちなのだろう。

 1980年のニューヨーク。公立学校に通う12歳のポールは、PTA会長を務める母エスターと会社員の父アーヴィング、そして私立学校に通う兄テッドと共に何不自由ない生活を送っているはずだった。しかし、最近は家族や学校に対して違和感を覚えるようになり、時折訪ねてくる祖父アーロン以外には心を開かない。そんな中、ポールはクラスの問題児である黒人生徒のジョニーと仲良くなる。やっと気の置けない仲間が見つかったと思ったのも束の間、2人は不祥事をやらかしてポールはテッドと同じ学校に転校させられてしまう。



 どう考えてもこの自己中心的な主人公には感情移入できない。周囲と折り合いを付けられないのはこの年代では珍しくないが、だからといって迷惑をかけて良いはずもない。特にジョニーに対する態度は看過できないものがあり、この一件をウヤムヤにすべきではきないのだが、映画は一向に明らかにしない。都合の良いように振る舞った作者の不遜なスタンスばかりが目立ってしまう。

 一方で強調されるのが、劇中で登場する私立高校の支援者の鼻持ちならない様子だ。その名はフレッド・トランプといい、あのドナルド・トランプ元大統領の父親で、校内のセレモニーでスピーチをしたマリアンは姉である。題名の「アルマゲドン・タイム」とは主人公にとっての“最終戦争”の意味があると思うが、それがトランプらに代表される保守派との対峙に収斂されてしまうのは、何やらドラマの底が見えたようで愉快になれない。

 脚本も手がけたジェームズ・グレイの演出は平板で、自身の実録物であるせいか作劇が及び腰だ。祖父役のアンソニー・ホプキンスこそ存在感を発揮するが、あとは母に扮したアン・ハサウェイが頑張っている程度で、印象に残る面子はあまりいない。少年2人を演じた俳優に魅力に乏しいのも致命的だ。それでもダリウス・コンジのカメラによるニューヨークの風景は素敵だ。クリストファー・スペルマンの音楽も悪くない。
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「テラー・トレイン」

2023-06-02 06:15:12 | 映画の感想(た行)
 (原題:Terror Train)80年作品。第95回アカデミー賞にて「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のパフォーマンスが認められて助演女優賞を受賞したベテランのジェイミー・リー・カーティスが、若い頃に得意(?)としていたホラー物の一本。たぶん今見直すと古さは否めないが、彼女の頑張りもあって観た時はけっこう楽しんだのを覚えている。

 大晦日に大学最後のパーティを列車の中で開こうと、一行は豪華なSL列車を借り切る。仮装パーティーも兼ねており、学生たちは思い思いのコスチュームに身を包み、ついでに場を盛り上げるためにマジシャンとその助手も招かれていた。ところが列車が走り出すと殺人事件が発生。実は3年前の大晦日、学生の一人が悪質なイタズラにより重篤なメンタル的障害を負うという事件が発生しており、最初に血祭りに上げられたのはその関係者の一人だったのだ。そしてその一件に加担していた連中が次々に犠牲になる。事件の発生を車掌から最初に知らされた女学生のアラナは、何度かピンチに陥りながらも犯人を突き止めようとする。

 オープニングは「キャリー」風で、エピローグは「殺しのドレス」を想起させる。つまりはブライアン・デ・パルマ監督作品のエピゴーネンであるのは明らかだが、ヒッチコックやペキンパー映画の影響も感じさせて飽きさせない。監督は当時30歳代だったロジャー・スポティスウッドで、実際彼はサム・ペキンパーの助手を務めていた(後にジェームズ・ボンド映画も手掛ける)。だから活劇はお手の物で、どちらかといえばホラー演出よりはアクション映画寄りの展開になっている。

 アラナ役のジェイミー・リー・カーティスは実に元気よく列車内を走り回り、観客に細かい点を突っ込む暇を与えない(笑)。舞台になるチャーターしたSLは1948年型の年代物で、車内はさながらレトロなゲームセンターの趣向。カクテル光線と響き渡るロックが場を盛り上げる。筋書きは終盤に二転三転し、お手軽なシャシンながらよく考えられている。

 ハート・ボシュナーにデイヴィッド・カパーフィールド、デレク・マッキンノン、サンディー・カリー、ティモシー・ウェバーといった面子はライト級ながら良好。車掌に扮しているのがベン・ジョンソンというのも悪くない。なお、この映画は封切り時には「オーメン 最後の闘争」の併映だったらしい。ホラー二本立てという企画は安直ながら、けっこうお得感は高かったと思われる。
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