元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アーミー・オブ・ザ・デッド」

2021-09-11 06:06:31 | 映画の感想(あ行)
 (原題:ARMY OF THE DEAD)2021年5月よりNetflixで配信。これは面白くない。ゾンビものだから、誰がどう撮っても一応はサマになるホラー編に仕上がりそうに思えるが、本作は余計な要素を入れ込んだ挙げ句にドラマは冗長になり、結果として2時間半というこの手のシャシンには不似合いな尺に行き着いてしまった。

 ネバダ州レイチェルにあるエリア51から危険生命体が移送される途中、事故が発生して輸送車の中からゾンビが脱走。護衛兵を血祭りに上げて近くのラスベガスに乱入する。その結果ラスベガスはゾンビの大群に覆われたが、政府は町を隔離して核攻撃で一斉駆除しようとする。一方、元傭兵のスコットは、謎の日本人タナカの依頼により、ラスベガスのカジノの地下にある巨大金庫に残された2億ドルの現金を、核ミサイルの発射前に強奪するという計画に参加することになる。このミッションのために集められたのはヤバい過去を持つ札付きの連中で、スコットは彼らと共にゾンビだらけの危険エリアに突入する。

 まず、ゾンビは意志も知性も持たずに人間を襲うというのが“定説”であるはずだが、本作は何の伏線も無くゾンビが指導者を戴く“王国”を組織し、勝手に儀式みたいなことをやっているという点で脱力した。これではまるで安手のRPGではないか。しかもこの“王国”の描写にかなりの無駄な上映時間を割いている。

 思わせぶりに出てくるゾンビ・タイガーは結局ただの虎だし、干からびたゾンビが雨が降ると“復活”するというモチーフも、置き去りにされたまま終わる。スコットの娘ケイトもチームに参加するのだが、どう見ても戦闘能力に乏しく、結果として皆の足を引っ張るという有様。スコットたちが放つ銃弾はほぼ百発百中で、手榴弾は大型爆弾並みの破壊力。

 戦いの段取りはお粗末で、特に終盤のヘリコプターで脱出するくだりはグズグズしている間に勝手にピンチに陥るという、間抜けな展開が炸裂。エピローグの扱いも雑に過ぎる。ザック・スナイダーの演出は、他の監督作よりも気合いが入っておらず、凡庸な仕事ぶり。デイヴ・バウティスタにエラ・パーネル、オマリ・ハードウィック、アナ・デ・ラ・レゲラといったキャストもパッとしない。タナカに扮した真田広之は存在感はあったが、ロクに見せ場が無かったのは残念だ。
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Paradigmのスピーカーを試聴した。

2021-09-10 06:26:36 | プア・オーディオへの招待
 興味深いスピーカーを試聴することが出来たので、リポートしたい。82年設立の、カナダのトロントに本社を置くParadigm(パラダイム)社の製品は、以前より何回か高額クラスのモデルを聴く機会があり、そのクリアな音に感心していたが、実はローコストのラインナップも揃っている。それがMonitorシリーズだ。



 先行してブックシェルフ型のSE ATOMが発売されているが、今回聴いたのは近々正式輸入と販売が開始されるという、トールボーイ型のSE 3000Sである。構成は3ウェイの4ユニット。サイズは高さが1mほどの標準的な外観だが、仕上げは丁寧であまり安っぽい感じは無い。能率はおよそ90dBでインピーダンスは8Ωなので、アンプを驕る必要も無く使いやすい定格だと思われる。

 さて肝心の音だが、これはかなり良い。上位機種ほどの圧倒的なクリアネスは期待出来ないが透明度は及第点には達しており、全体的に均整が取れていて聴きやすい。何より印象的なのは、音色の明るさだ。それも米国JBL社やイタリア製のスピーカーのような輝かしいサウンドではなく、鳴らすソースを引き立たせるための、絶妙な匙加減のブライトネスを獲得している。



 音像はヴォーカルが多少大きくなる傾向があるが、情報量自体は十分確保している。そして聴感上のレンジはほぼフラットで、特定帯域での不自然な強調感も無い。音場は前に展開するタイプ。屈託無く音楽を聴くには相応しいサウンドデザインかと思う。ただし、音のクセの強いアンプとの相性は良くないだろう(もっとも、“アンプで音を作っていく”という方法論が正当なのかどうかは、疑問の残るところであるが ^^;)。

 このスピーカーの予価は、何とペアで10万円強らしい。ハッキリ言ってこれは“価格破壊”ではないだろうか。この倍のプライスタグが付いていても全然おかしくない。このスピーカーを使えば、定価ベースならば20万円ほどで音楽ジャンルを問わずにオールマイティに鳴らせるシステムが手に入る。もちろんアンプ類に予算を投入すれば、より高いパフォーマンスを期待出来るだろう。
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「返校 言葉が消えた日」

2021-09-06 06:22:26 | 映画の感想(は行)
 (原題:返校 DETENTION)歴史劇と学園ホラーを合体させるという、この着想が素晴らしい。元ネタは2017年に台湾で発売されヒットしたゲームらしいが、そのゲームを題材として取り上げた製作者の慧眼を評価すべきであろう。本国では好意的に受け入れられ、第56回金馬奨で最優秀新人監督賞など5部門を受賞している。

 1962年、国民党独裁政権下の台湾では市民に相互監視と密告が強制される等の理不尽な政策が罷り通り、暗い空気に覆われていた。翠華高校ではそんな抑圧的な世相に反抗するかのように、発禁本の読者会が一部の教師と生徒によって密かに行われていた。ある日、会のメンバーである女子高生ファンが放課後の教室で目を覚ますと、あたりには誰もいない。それどころか校舎も廃墟同然になっている。



 狼狽した彼女が周囲を歩き回っていると、後輩の男子生徒ウェイに遭遇する。一緒に学校から出ようとするが、何かの結界に覆われているらしく不可能だ。しかも、校庭には彼女の墓らしきものがある。やがて彼らは、学内で女子生徒の幽霊や奇怪なクリーチャーに追い回されるハメになってしまう。

 学園内での怪異現象の描写は良く出来ており、かなり怖い場面が続く。そして崩れかけた学校の佇まいは実に不気味で、美術スタッフの健闘は評価されるべきだ。しかし、それだけでは“まあまあよく出来たホラー映画”の範疇を出ない。ところがこれに台湾の苦難の現代史というバックボーンが加わると、途端にドラマは深みを増す。

 国民党が政権を握っていた頃、いわゆる白色テロの時代は国民は塗炭の苦しみを味わっている。国家反逆の容疑で約14万人が投獄され、そのうち数千人が処刑されている。本作でも、読書会のメンバーであった教師や生徒の悲劇が綴られているが、どうして彼らが拘束されたのか、その謎解きの興趣が終盤まで持続し、それが明らかになった後に舞台がそれから数十年後に飛ぶラストの扱いは秀逸だ。

 脚本も台頭したジョン・スーの演出は達者で、畳み掛けるような展開と登場人物の内面描写に確かな手応えを感じる。ワン・ジンにツォン・ジンファ、フー・モンボー、チョイ・シーワンといったキャストも良い仕事をしている。チョウ・イーシェンによる撮影、ルー・ルーミンの音楽、共に言うことなし。
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「すべてが変わった日」

2021-09-05 06:52:36 | 映画の感想(さ行)
 (原題:LET HIM GO)時代設定は1960年代初頭だが、勇敢な主人公が悪者どもと対峙するという筋書きは、間違いなく西部劇だ。しかも登場人物の内面はよく描き込まれており、そして何といってもスクリーンの真ん中にいるのがスター級の面子なので、観た後の満足感はとても高い。もっと拡大公開されてしかるべき映画だ。

 1963年、モンタナ州の片田舎で牧場を経営する元保安官のジョージとマーガレットのブラックリッジ夫妻は、息子のジェームズとその妻ローナ、そして生まれて間もない孫のジミーと共に暮らしていた。ところが不慮の落馬事故により、ジェームズが死亡してしまう。3年後、ローナはドニー・ウィボーイという男と再婚する。



 ドニーは結婚前はマジメに見えたが、実は暴力的な男だった。しかも、ジョージたちには内緒で実家のあるノースダコタ州に転居する。ジョージとマーガレットはローナとジミーに会いに行くが、そこは強圧的な女家長のブランシュが支配する異様な一家だった。話が通じないばかりか理不尽な暴力まで受けたジョージたちは、実力行使でローナとジミーを助け出そうとする。

 中盤以降に展開するバイオレンス場面はサム・ペキンパー監督の作品を思わせるが、登場人物の内面は良く描き込まれていて話が殺伐とした感じにはならない。ジョージはかつて法の執行者であった矜持を今も持っており、不正に対しては断固とした態度を取る。マーガレットとローナは、いわゆる“嫁と姑の関係”であり、一見上手くやっているようで、実は微妙な屈託や不満が腹の中では渦巻いているという描写は出色だ。ブランシュにしても、苦労を重ねた末に狷介な性格になり、辺境の地から離れられないという設定には説得力がある。

 そして何より、ケヴィン・コスナーとダイアン・レインというかつてのスター同士が、逆境に追いやられた初老の夫婦を演じるというのは感慨深い。この2人は「マン・オブ・スティール」でも夫婦役だったが、こういう役に挑戦するというのは見上げたものだ。特に“私たちは年を取った。でもまだ老人ではない”と言い切る場面は感動的だ。

 また、不幸な生い立ちである先住民の青年を登場させたのも、ドラマに奥行きを持たせている。トーマス・ベズーチャの演出は重量感がある。そしてガイ・ゴッドフリーのカメラによる、西部の雄大な風景。マイケル・ジアッキノの味わい深い音楽も良い。
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「イン・ザ・ハイツ」

2021-09-04 06:55:10 | 映画の感想(あ行)
 (原題:IN THE HEIGHTS)世評は高いようだが、個人的には凡作としか思えない。断っておくが、別にミュージカル映画が嫌いなわけではなく、その手の映画に緻密なストーリーや深い内面描写などを求めるのは場違いだというのも承知している。だが、本作はあまりにも主題の設定が中途半端で、話の筋も整理されていない。加えて2時間半という長い尺は、観る者の興味を持続させるのに適切とは思えない。

 ニューヨークの片隅にあるワシントンハイツ地区は、中南米からの移民が多く住む街だ。両親がドミニカから渡ってきた青年ウスナビは、従弟のソニーと一緒にコンビニを切り盛りする一方、ガールフレンドのヴァネッサと共にいつか故国に帰って店を開くことを夢見ていた。ある日、タクシー会社の社長の娘ニーナが実家に戻ってくる。彼女はスタンフォード大学に進学しており地区住民の希望の星だったが、彼の地で手酷い人種差別を受け、退学届けを出してきたというのだ。ニーナの元カレであるベニーは、そんな彼女の境遇を心配する。トニー賞受賞の同名ミュージカルの映画化だ。



 曲がりなりにもニューヨークでカタギの生活を送るウスナビが、どうして経済事情の良くないドミニカに帰ろうとしているのか、その理由がはっきりしない。映画は真夏の夜の大停電をクライマックスに置いているようで、そこに至るカウントダウンも提示されるのだが、いざ停電が起こってもそれに直接起因してドラマが大きく動くわけでもない。あとは美容院がブロンクスに移転するの何だのといった、どうでもいいネタが並べられ、気勢の上がらないラストに行き着く。エピソードを精査して不要な部分を削れば、最低30分は上映時間を短縮できる。

 ミュージカル映画に付き物の歌とダンスだが、これが期待外れ。私がラテン音楽が好きではないことを差し引いても、楽曲のレベルが低く印象的なナンバーどころか記憶に残るようなフレーズさえ無い。ダンスはダイナミックだが、振り付けは凡庸。往年のMGMミュージカルへのオマージュと受け取られる個所もあるが、作り方が下手である。

 ジョン・M・チュウの演出は特筆すべきものは見当たらないが、題材自体に難があるので仕方がないのかもしれない。また、レスリー・グレイスとメリッサ・バレラの若手女優陣はとても可愛いのだが、ウスナビ役のアンソニー・ラモスをはじめとする野郎どもはルックスに難がある(笑)。もっと二枚目を出演させるべきだった。唯一面白いと思ったのは、ウスナビという変わった名前の由来で、これには笑ってしまった。
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IMSビルが閉館。

2021-09-03 06:24:00 | その他
 去る2021年8月31日、福岡市中央区天神にある14階建てのファッションビル、IMS(イムズ)ビルが閉館した。今後建物は解体され、2022年度から再開発されるという。同ビルが開館したのは89年4月で、当時はバブルの全盛期。同年開館したソラリアプラザとユーテクプラザ(現:天神LOFT)と並び、“福岡三大ビル”と呼ばれたこともあった。

 IMSは金色に輝く外観と、大きな吹き抜けが異彩を放ち、天神地区の新名所と言われたものだ。テナントも個性的なショップが集まっていたが、何といっても目立っていたのが4階の自動車展示場だ。日産とスバル、トヨタに三菱といったメーカーの新車を中心としたラインナップがフロアに置かれていて、入場客は自由に触ることが出来た。しかも、そこでは販売は行われず、あくまでメーカーの情報発信に徹していたことが、いかにも景気が良かった頃を想起させる。そして自動車が搬入されるのが真夜中で、運が良ければその様子を見ることが出来た。



 8階のギャラリー“三菱地所アルティアム”も興味深い施設だったが、それよりも印象的だったのが、9階のIMSホールである。珍しい演劇専門のシアターだったが、時として別のイベントも実施されていた、思い出されるのが95年に開催された“映画誕生100年”を記念した上映会である。ポピュラーな映画を観せてくれるのかと思ったら大間違いで、実験映画を含めたマニアックなラインナップで、とても驚いたものだ。

 12階から14階は回廊型の飲食フロアだったが、職場の食事会や仲間内の宴会によく使わせてもらった。レストラン自体はかなり入れ替わったが、キリンビールのビアホールだけは開館時から最後まで継続して営業していたのは大したものだと思った(途中で店名が変更にはなったが ^^;)。



 IMSビルをはじめとする、バブル時のモニュメントは次々と姿を消しつつある。オシャレなパブやレストランが多数入居していたビルが軒を連ねていた天神西通りは、今ではファストファッションの店ばかりが目立つ。赤坂けやき通りに並んでいた高級ブティックも姿を消した。

 IMSなど多くのビル建て替えを狙った“天神ビッグバン”や、博多区のJR博多駅近辺で展開する“博多コネクテッド”といった施策が最終的にどのような形態になるのかは、まだ明確ではない。ただ、現時点ではオフィスビルや高級ホテルが中核になると報道されている。これは福岡市が慢性的にオフィスとホテルが不足していることが背景にあるが、コロナ禍による総需要低下でそれらが功を奏するかどうかは分からない。とにかく、時代は変わってゆく。昔の郷愁に浸っているヒマは無いようだ。
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