面白く観ることが出来た。これはつまり、同じく石川瑠華が主人公を演じた「猿楽町で会いましょう」(2019年)の“前日談”のような映画である。あの作品のヒロインが、どうしてああいう感じになってしまったのか、本作ではその“回答”らしきものが提示される。もちろん、本作と「猿楽町で会いましょう」とでは製作元もスタッフも違う。だが、異なる映画を無理矢理に繋げてしまう石川の演技者としての存在感は評価されてしかるべきだろう。
海辺の小さな街で暮らす佐藤小梅は一見普通の中学生だが、実は以前は先輩の三崎秀平と関係を持ち、今は同級生の磯辺恵介と懇ろな仲という、なかなか“お盛んな”女子だった。小梅は恵介とは最初は何となく付き合っていたが、やがて本気になってゆく。一方恵介はイジメによって命を落とした兄のことで絶えず気を病んでおり、ある日その復讐をするために思い切った行動に出る。浅野いにおによる同名コミックの映画化だ。
恵介の家庭は複雑で、彼自身も大きな屈託を抱えている。小梅のクラスメートである桂子はお笑いタレントに御執心で、いずれは自分もお笑いの道に進もうと思っている。同級生の翔太は野球部のレギュラーだが、あるトラブルで大会出場は叶わなくなる。しかしそれでも野球への情熱を捨てない。つまり小梅の周りの人間はそれなりの矜持や嗜好を持って生きているのに対し、小梅だけが中身がカラッポなのだ。
彼女にあるのは性欲をはじめとする本能的な衝動のみで、恵介に対する思いも、単なる独占欲に過ぎない。これは恋愛に代表されるような自身と相手(および周囲)を深く考察するようなプロセスを経ずに、いきなりセックスという即物的な行為が先に来てしまったため、内面がスポイルされてしまったのだ。そして彼女はそれに気付かないまま、他者に対して自分を取り繕うことだけを覚えて時を重ねていく。その成れの果てが「猿楽町で会いましょう」のユカのような人間だ。
ウエダアツシの演出は、登場人物たちの扱いにはまったく“甘さ”を見せない。その容赦のなさは清々しいほどだ。主演の石川は相変わらずの怪演。この個性を伸ばしてほしい。恵介役の青木柚は初めて見るが、演技力も面構えも今後を期待させる。前田旺志郎に中田青渚、倉悠貴、そして村上淳という面子も万全の仕事ぶりだ。なお、挿入曲であるはっぴいえんどの「風をあつめて」は、正直ドラマに合っているとは思えないが、曲自体の訴求力は大したものだと改めて思った。
海辺の小さな街で暮らす佐藤小梅は一見普通の中学生だが、実は以前は先輩の三崎秀平と関係を持ち、今は同級生の磯辺恵介と懇ろな仲という、なかなか“お盛んな”女子だった。小梅は恵介とは最初は何となく付き合っていたが、やがて本気になってゆく。一方恵介はイジメによって命を落とした兄のことで絶えず気を病んでおり、ある日その復讐をするために思い切った行動に出る。浅野いにおによる同名コミックの映画化だ。
恵介の家庭は複雑で、彼自身も大きな屈託を抱えている。小梅のクラスメートである桂子はお笑いタレントに御執心で、いずれは自分もお笑いの道に進もうと思っている。同級生の翔太は野球部のレギュラーだが、あるトラブルで大会出場は叶わなくなる。しかしそれでも野球への情熱を捨てない。つまり小梅の周りの人間はそれなりの矜持や嗜好を持って生きているのに対し、小梅だけが中身がカラッポなのだ。
彼女にあるのは性欲をはじめとする本能的な衝動のみで、恵介に対する思いも、単なる独占欲に過ぎない。これは恋愛に代表されるような自身と相手(および周囲)を深く考察するようなプロセスを経ずに、いきなりセックスという即物的な行為が先に来てしまったため、内面がスポイルされてしまったのだ。そして彼女はそれに気付かないまま、他者に対して自分を取り繕うことだけを覚えて時を重ねていく。その成れの果てが「猿楽町で会いましょう」のユカのような人間だ。
ウエダアツシの演出は、登場人物たちの扱いにはまったく“甘さ”を見せない。その容赦のなさは清々しいほどだ。主演の石川は相変わらずの怪演。この個性を伸ばしてほしい。恵介役の青木柚は初めて見るが、演技力も面構えも今後を期待させる。前田旺志郎に中田青渚、倉悠貴、そして村上淳という面子も万全の仕事ぶりだ。なお、挿入曲であるはっぴいえんどの「風をあつめて」は、正直ドラマに合っているとは思えないが、曲自体の訴求力は大したものだと改めて思った。