元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「いつくしみふかき」

2020-09-12 06:59:07 | 映画の感想(あ行)
 面白く観ることが出来た。設定は非凡だし、キャストは力演。荒削りながらも、登場人物の内面に深く食い込んでくる演出。人間の業というものを容赦なく描出している。また、犯罪映画かと思わせて、笑わせる場面やサスペンス仕立てのシークエンスもあり、先の読めない展開で最後まで飽きさせない。また、これが実話を基にしているというのも凄い。

 長野県の山村に広志という風来坊が流れ着いてくる。死に場所を求めていたという彼に住民たちは同情し、村に住まわせることにする。やがて広志は村の女・加代子と一緒になり、子供が生まれようとしたその日、彼は盗みをはたらいていた。怒った住民たちは広志を袋叩きにするが、牧師の源一郎が彼の身柄を預かることにする。



 30年後、広志の息子である進一は母親に甘やかされ、ロクに仕事もしない男になっていた。一方、村を出ていた広志は、ゴロツキの親玉として悪行を重ねていた。そんな時、村で連続空き巣事件が発生。村人たちから濡れ衣を着せられた進一は源一郎の教会に逃げ込む。やがて広志も金に困って教会に転がり込み、ここに互いを親子とは知らない進一と広志との、奇妙な共同生活が始まった。

 中盤に加代子が教会を訪れた時点で早々に進一と広志は相手の正体を知ってしまうが、面白いことに、ここから映画は意外な展開を見せる。教会に帰依したかと思われた広志は、源一郎に協力すると見せかけて、クサい大芝居を打って観る者を大笑いさせる。さらには彼の“舎弟”たちとの一筋縄ではいかない関係性や、進一の広志に対するアンビバレンツな感情、加代子の弟が見せる屈折した思いなど、数々のモチーフが満載ながらドラマは決して空中分解しない。

 これが劇場用長編映画デビューになる大山晃一郎の演出は実に達者だ。キャストでは広志に扮する渡辺いっけいが最高。まさに人間のクズとしか思えない男だが、それでいて息子に対する愛情めいたものは持ち合わせている。そんな複雑なキャラクターを渡辺は見事に演じているが、これが初主演作というのは意外だった。遠山雄に平栗あつみ、塚本高史、金田明夫といった他の面子も良い仕事をしている。かすかな希望を感じさせる幕切れは秀逸で、バックに流れるタテタカコによるエンディング・テーマ曲も効果的だった。
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「ザ・テキサス・レンジャーズ」

2020-09-11 06:43:23 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE HIGHWAYMEN)2019年3月よりNetflixから配信。本国での批評家の評価は平凡なものに留まっているらしいが、それも頷けるような内容だ。アーサー・ペン監督の代表作「俺たちに明日はない」(1967年)で知られる強盗犯ボニー&クライドの事件を当局側から描くという設定は興味深いが、ストーリー自体はさほど面白くはない。ただし主要キャストの存在感は印象的だ。

 1934年、アメリカ中西部で銀行強盗や殺人などをはたらいていたボニー・パーカーとクライド・バロウ及びその一味を、警察は約2年間追っていたがその足取りさえ掴めないでいた。業を煮やしたテキサス州知事は、数年前に解散したテキサス・レンジャーの元捜査官フランクに捜査を依頼。フランクは元相棒のメイニーに声を掛け、2人で追跡を開始する。彼らは長年の経験に裏付けられた直感を頼りに、ボニー&クライドの行動パターンを突き止める。フランクたちの活動を快く思っていないFBIからの勧告も無視し、2人は管轄外のオクラホマ州にまで捜査の手を広げる。

 一種のバディ・ムービーといった御膳立てだが、フランクとメイニーの掛け合いは大して盛り上がらない。どっちが車を運転するの何のといったネタも、やり取りのリズム感が希薄なので笑えない。かつてのテキサス・レンジャーズとしての矜持や、FBIなどに対する反骨精神が十分に描かれていたかというと、それも無い。

 アクション場面は冒頭の脱獄のパートぐらいで、有名なラストの銃撃シーンまで活劇的な興趣は見当たらない。ボニー&クライドが当時の民衆に支持されていたようなモチーフが導入されているが、その背景に関しては言及されていない。要するに、映画としての重点ポイントが見当たらないのだ。それは、元々この史実には当局側には大したドラマが存在していないことを意味しているのだろう。

 ジョン・リー・ハンコックの演出にも、いつものキレは無い。とはいえ、主演のケヴィン・コスナーとウディ・ハレルソンの存在は捨てがたい魅力がある。2人とも良い感じにトシを取り、そこにいるだけで絵になる。ジョン・キャロル・リンチやキャシー・ベイツといった他の面子も悪くない。そしてジョン・シュワルツマンのカメラが捉えたアメリカ中西部の美しい風景や、トーマス・ニューマンによる流麗な音楽も記憶に残る。
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「ジョーンの秘密」

2020-09-07 06:31:36 | 映画の感想(さ行)

 (原題:RED JOAN)興味深い映画である。主人公のかつての言動は、今から考えると完全に間違っている。しかし、あの時代にあって斯様な境遇に身を置いた者が、果たして理に適った行動が出来たのかというと、それは議論の余地がある。いずれにしろ歴史を振り返る際は、現在の価値観で物事を結論付けてはいけないということだ。

 2000年、ロンドン近郊のベクスリーヒースの街で穏やかな一人暮らしを送っていた老女ジョーン・スタンリーは、突然MI5の捜査官に逮捕されてしまう。容疑は、第二次大戦直後に核開発の機密情報をソ連のKGBに引き渡したこと。彼女はその頃、イギリスの核技術開発をおこなっていた非鉄金属研究協会に勤めていたのだ。

 ジョーンの息子で弁護士のニックは、母親の無実を信じ彼女の弁護を担当するが、実はMI5は長きにわたってジョーンの身辺を調査し、証拠を集めていたのだ。次々に露わになる彼女の衝撃的な過去に、ニックは動揺を隠せない。スパイ容疑をかけられた元国家公務員メリタ・ノーウッドの人生をモデルにした実録物だ。

 ジョーンが機密情報を東側に漏洩したのは、広島への原爆投下がきっかけだった。その恐るべき破壊力を目の当たりにした彼女は、この兵器を一方の陣営だけが保有すると、いずれ世界中が蹂躙されてしまうという危機感を抱く。それを回避するには、ワールドワイドな戦力の均衡を実現せねばならないという正義感に駆られ、実行に及んだのだ。

 しかし、先日観たアニエスカ・ホランド監督の「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」においても示される通り、当時のソ連はナチス・ドイツも真っ青の超独裁国家で、国民は貧窮に喘いでいた。だが、対外的には社会主義の理想ばかりをPRし、それに共感するインテリ層が世界中に溢れていたのだ。だから、ジョーンの所業も愚行として片付けられない。終盤での主人公の独白にも、イデオロギー臭を感じつつも妙に説得力がある。見方を変えると、歴史解釈も大きく異なってくる。そんなアンビバレンツを描き出す本作のスタンスには、納得出来るものがある。

 トレヴァー・ナンの演出はケレン味は無いが、着実にドラマを進めている。ジョーン役のジュディ・デンチはさすがの貫禄だが、若い頃の主人公に扮するソフィー・クックソンの健闘が光る。ジョージ・フェントンの音楽も効果的だ。
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島倉原「MMTとは何か」

2020-09-06 06:58:46 | 読書感想文

 正式タイトルは「MMT(現代貨幣理論)とは何か 日本を救う反緊縮理論」。MMT(Modern Monetary Theory)というのは、アメリカの経済学者ステファニー・ケルトンなどが提唱したマクロ経済学理論の一つ。この理論のテキストとしてはラリー・ランダル・レイの「現代貨幣理論入門」が有名だが、あれはページ数が多く価格も高いので、経済評論家の島倉原によるこの解説本で間に合わせることにした次第(笑)。

 この理論はポストケインズ派経済学の流れを汲んでいるが、最も大きな特徴は“貨幣”に対する認識だ。主流派経済学では“商品貨幣論”のスタンスを取る。対してMMTは“信用貨幣論”を主張する。

 “商品貨幣論”は、貨幣イコール貴金属という旧来型の認識を出発点にしているらしく、貨幣は“モノ”であり、その“モノ”が無いと商取引が出来ないというのが、いわば常識とされている。だからたとえば国の財政政策は税金という貨幣、つまり“モノ”の存在を前提におこなわれるという解釈だ。しかし“信用貨幣論”は貨幣を“モノ”として扱わない。

 MMTは“貨幣”というのは信用創造のツールに過ぎないと断定する。その信用の原資が政府の通貨発行権だという話なのだ。よって、主権通貨国における政府の財政政策については、財政規律などは度外視して良いとする。財政出動の障害になるものは(ディマンド・プル型の)インフレーションだけであり、そのインフレは金融政策や増税により抑え込めると論じている。

 経済学に疎い私にとって、この“信用貨幣論”が果たして本質を突いているのかどうかは分からない。しかし、現時点での財政健全化とやらを標榜した国の経済政策は完全に間違っており、財源に拘泥せずに積極的に財政出動を実行すべきというのは正解だ。ましてやコロナ禍で経済が落ち込んでいる今、財源がどうのハイパーインフレの懸念がどうのと言っているヒマは無いはずである。

 島倉原の解説は複式簿記の知識を持ち合わせてないと読むのが辛い箇所があるが、おおむね平易に書かれている。特に第九章の「民主主義はインフレを制御できるのか」では、我が国においては民主主義の危機は経済マクロの危機に直結していると主張し、説得力がある。MMTに関する解説本はこの書物以外にも複数出ているが、経済問題を考える上でMMTの理論に触れておくことは、決して無駄ではないだろう。
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「海辺の映画館 キネマの玉手箱」

2020-09-05 06:41:56 | 映画の感想(あ行)
 一見すると、単なる珍作だ。しかしながら、これが大林宣彦監督の遺作であることを分かった上で接すれば、納得してしまう。それどころか、高齢で病身にもかかわらずパワフルに3時間の作品を撮り上げた、監督のその執念には圧倒される。映画はそれ自体“単体”として評価すべきなのは当然だが、映画を取り巻く状況が作品の質を左右することもある。

 尾道市にある海辺の映画館“瀬戸内キネマ”は、閉館のイベントとして日本の戦争映画を集めたオールナイト上映が行われていた。客席にいた3人の青年は、いつの間にかスクリーンに映し出されている世界に入り込み、幕末から第二次大戦までの我が国の戦争の歴史を身をもって体験していく。やがて彼らは、原爆投下前夜の広島にタイムスリップし、そこで移動劇団“桜隊”と出会う。この劇団が広島で壊滅することを知っていた3人は、何とかして運命を変えようと奔走する。



 大林の仕事ぶりは、前作「花筐 HANAGATAMI」(2017年)を踏襲している。とにかく、自主映画製作時代に戻ったかのようなキッチュな映像ギミックの洪水だ。ただし、表現方法自体はそれほど洗練されていない。すべてが今まで使った方法の焼き直しである。しかも、不必要な繰り返しのシーンが多く、観ているうちに面倒臭くなる。

 要点だけまとめて余計なシークエンスを刈り取れば、2時間程度のタイトな作品に仕上がったかもしれない。随所に挿入される中原中也の詩も、あまり合っているとは言い難いし、桜隊を題材にするならば新藤兼人監督の「さくら隊散る」(88年)の方がヴォルテージは高い。だが、これは大林の最後の映画なのだ。彼のキャリアの掉尾を飾る作品に、あまりケチは付けたくない。思う存分、戦争に対する怒りをスクリーンに叩き付ければ良い。

 ただし、主役の3人(厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦)は全然パッとしない。ヒロイン役の吉田玲も魅力に乏しい。過去に何人もの有望な若手を発掘してきた大林にしては、不満の残るキャスティングである。しかし、その代わりに脇の配役は本当に豪華だ。これまでの大林映画に出演した俳優が(一人ずつ名前を挙げればキリがないほど)、大挙して集結して場を盛り上げている。さらに成海璃子や武田鉄矢、稲垣吾郎といった大林組初登場の面子も含めると、その総数は膨大なものになり、改めてこの監督の人望の高さを思い知った。
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「フィール・ザ・ビート」

2020-09-04 06:28:21 | 映画の感想(は行)
 (原題:FEEL THE BEAT )2020年6月よりNetflixで配信。絵に描いたようなスポ根仕立てのシャシンで、探せば欠点も少なからずあるのだが、約束通りのストーリー展開と明るい雰囲気で十分に楽しませてくれる。キャラクターの配置の上手さ、およびキャストの好演、さらに107分というあまり長くない尺と、観て損はしない御膳立てだ。

 主人公のエイプリルはブロードウェイでダンサーとして成功することを夢見ており、その朝もオーディション会場に急いでいた。ところが途中で老齢の婦人を邪険に扱ったところ、偶然その人がオーディションの審査委員で、おまけにケガまでさせてしまう。失意のうちに実家のあるウィスコンシン州の田舎町に戻ったエイプリルは、地元の知り合いから子供たちの指導をしてくれと頼まれる。彼女は最初は全然乗り気ではなかったが、近々おこなわれるダンス競技会の全国大会の審査委員長がミュージカル界の大物であるということを聞きつけ、急遽インストラクター役を買って出る。



 とにかく、エイプリルはイヤな女だ。他人を押しのけて自分だけが目立とうとする。高校時代に付き合っていた彼氏を、自身の人生の目標のために簡単に捨てる。仕方なく引き受けたダンス講師も、教え方が自分勝手で、さらには子供たちにヒドいあだ名を付ける始末。こんな奴が“改心”するのは並大抵のことではないと思うが、実際はあまり苦労せず、周囲の人々の善意で何とか乗り越えてしまう。

 それでも終盤ではエゴイストぶりを発揮して子供たちを呆れさせるが、映画の序盤と比べればいくらか彼女の成長の跡が見られるのだから苦笑する。そして肝心のダンスシーンも、大したものとは思えない。しかしながら、落ちこぼれ達が奮起して努力を重ね、大舞台で活躍するというスポ根の鉄板のルーティンを見せられると、まあ良いじゃないかという気になってくるのだから、我ながら単純なものだ。

 この映画ではヒロインよりも周りのキャラクターが“立って”いる。抱擁感のある父親や、性格が良い元カレ、仕事熱心な地元のダンス講師、個性派揃いの子供たちと彼らを支える町の人々、みんな好感度が高い。それらが主人公の難のあるパーソナリティを巧みにカバーして、映画を盛り上げる。中でも、ステージ上でメンバーがピンチに陥ったとき、飛び入りで参加して喝采を浴びる最年少の男の子には参った(笑)。

 エリサ・ダウンの演出は才気走ったところは無いが、スムーズにドラマを進めている。主演のソフィア・カーソンをはじめウォルフガング・ノヴォグラッツやドナ・リン・チャンプリン、エンリコ・コラントーニなど、俳優陣は芸達者揃いだ。
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