元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ソワレ」

2020-09-26 06:55:39 | 映画の感想(さ行)
 まるで要領を得ない映画だ。作者の意図が見えない。もしかしたらアメリカン・ニュー・シネマの“復刻版”を日本映画でやりたかったのかもしれないが、時代も環境も違う中で形式だけ移管させようとしても、上手くいくはずもない。加えて作り手の余計なケレンが目に付き、鑑賞後の印象は芳しいものではない。

 役者を目指して上京した岩松翔太だが、なかなか芽が出ない。所属する小劇団での稽古には身が入らず、小遣い稼ぎのために振り込め詐欺の片棒を担いだりする。ある時、劇団員たちは和歌山県の高齢者施設で演劇を教えることになる。その施設がある町は、翔太の生まれ育った土地だ。そこで彼は介護員の山下タカラと知り合う。



 彼女は複雑な事情を抱えており、誰にも心を開かず、若さに似合わず世捨て人のような生活を送っていた。そんな中、翔太たちは彼女を夏祭りに誘うとするが、そこにムショ帰りのタカラの父親が押し掛けて翔太と揉み合いになる。タカラは彼を助けるために父親を刺殺してしまうが、翔太は彼女に“一緒に逃げよう”と持ちかけるのだった。

 アメリカン・ニュー・シネマの鉄板ネタである“罪を犯した者たちの逃避行”を前面に掲げるが、広いアメリカならともかく、日本国内ではたかが知れている。翔太自身や彼らを追う刑事たちが言うように、これは逃亡ではなく“かくれんぼ”であり、ただのママゴトだ。こんなもので映画的興趣が喚起されるわけがない。

 そもそも、主人公たちにまったく感情移入出来ない。翔太は俳優としては認められず、挙げ句の果ては犯罪に手を染めている。そんな奴に自身の不甲斐なさを独白されても、観ている側は鼻白むだけだ。タカラも不憫な生い立ちのため自主性を失っているようで、それが逃避行の間に少しばかり前を向けたとしても、鬱陶しさしか感じない。

 だいたい、翔太たちの劇団が東京から遠く離れた和歌山で、しかも翔太の地元だというのは御都合主義だろう。そしてタイミング良く(前振りも無く)タカラの父親が施設の寮に乗り込んでくるのも、無理筋だ。また、随所で挿入される(時制を無視した)登場人物の空想だの妄想だのといったシーンも、ワザとらしくてシラけるだけ。ラストの処理は作り手にとっては“してやったり”と得意気だろうが、まさに取って付けたようで脱力した。

 外山文治の演出は平板で、特筆出来るものはない。主演の村上虹郎と芋生悠は頑張っていたとは思うが、映画の出来がこの程度なので“ご苦労さん”としか言えない。なお、本作は小泉今日子らが設立した映画会社“新世界合同会社”の第一弾。とりあえずは次回に期待したい。
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