元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「大失恋。」

2013-04-13 06:43:17 | 映画の感想(た行)
 95年作品。遊園地を舞台に、8組の男女が繰り広げる恋愛模様。コラムニストの清水ちなみが一般女性からのアンケートを基に編纂した同名エッセイの映画化で、監督は当時「ゴジラ」シリーズを経て“便利屋監督NO.1”(なんじゃそりゃ)との異名をとっていた大森一樹。

 正直言って、全然期待していなかった。いかにもお手軽そうな雰囲気と、トレンディ・ドラマ俳優総出演の感があるキャスト。期待しろと言う方が無理だ。

 しかし、これが意外と面白いのだ。まず脚本がいい。8組のカップルをオムニバス風に連続して描くのではなく、相手が入れ替わったり別の事件を引き起こしたりと、けっこう複雑に入り組ませている。他の例で言えば「パルプ・フィクション」とか「エドワード・ヤンの恋愛時代」等と似た手法の群像劇だが、当然それらほど完成度は高くはないものの、観客を置いてけぼりにさせない程度に抑えていて好感が持てる。



 その頃テレビでお馴染みだったキャストを揃えて、映画ファンをシラけさせると思いきや、けっこう配役が適材適所だったりする。演技力が心もとない若手は、それなりの役しか与えられておらず、決して背伸びさせない。少しは演技ができる中堅の俳優は、それぞれちょっとした見せ場を与えられているが、節度を守っている。無理のないキャスティングはスリルはないものの、こういう作品にはピッタリだ。それでも、女刑事の鈴木京香と結婚サギ師の野村宏伸とのやり取りなど、少し意外性があって楽しめた。

 そしてカメラが遊園地の中からほとんど出ないのも正解だ。舞台を少し非日常的な場所に設定しておけば、少々の気恥ずかしい演技・演出も笑ってすまされる。加藤雅也と山口智子の昼メロ風展開だろうが、瀬戸朝香と森且行の学芸会みたいな恋愛ごっこだろうが、水野美紀に一目惚れした館ひろしの暴走だろうが、なぜか許してしまうのだ。

 タイトル通り、ラストはほとんどの登場人物が失恋して終わる。「第三の男」のラストを真似た鈴木京香と山崎直子のやり取りはご愛敬だったが、全体にアクのない作風で後味は悪くない。秀作でも佳作でもないけど、ヒマがあれば観ても損しない映画だ。
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「クラウド アトラス」

2013-04-12 06:33:26 | 映画の感想(か行)

 (原題:CLOUD ATLAS )ウォシャウスキー兄弟・・・・じゃなかった(笑)、ウォシャウスキー“姉弟”らしい、底の浅い世界観が全面展開されており、ストーリー面では退屈至極。さらに共同監督が二流のトム・ティクヴァで、おまけに上映時間が3時間近い。どう考えても駄作っぽいのだが、多彩なキャストの“コスプレ大会”として見ればそこそこ楽しめるシャシンである。

 1849年の太平洋上の船において九死に一生を得る青年弁護士の話から始まって、1936年のスコットランドでにおける名曲“クラウド アトラス”の誕生プロセスなど、過去から未来にかけて6つのエピソードが同時進行する。もちろんそれらには共通したテーマがあり、その意味では一本の映画として体を成しているとは言えるのだが、主題の練り上げ方に関してはお寒い限りだ。

 早い話が、本作の主題は“抑圧からの解放”をシュプレヒコールとしてブチあげようという、そういうレベルなのである。もっとも、いくらテーマが青臭くても語り口や段取りがシッカリしていれば万人を納得させられるだけのクォリティは確保できるのだが、この映画はとことんダメである。

 プロットがあまりにも図式的。救いようが無いほど単純だ。いつの世も民衆を虐げている“権力”みたいなものが存在していて、主人公達はそれに敢然と立ち向かう・・・・って、今時少年マンガでもやらないようなナイーヴ過ぎるモチーフが漫然と並べられ、作り手はそれをさも“至高のもの”であるかのように得意満面で差し出している。まるで茶番だ。

 映像面でも見るべきものはない。「マトリックス」シリーズのような凝った造型はどこにもなく、どこかで見たような画像構成の二番煎じばかり。特に未来のソウル市の光景は「ブレードランナー」の劣化コピーでしかなく、観ていて脱力した(ジョークでやっているとしても、全然笑えない)。

 さて、本作の売り物に各キャストが複数のエピソードに別のキャラクターで賑やかに顔を出していることが挙げられるが、冒頭に書いたように、それだけは面白かった。特殊メイクと衣装で顔立ちどころか体型や人種・性別までもチェンジさせて、画面のあちこちに出没する。どこに誰がいるか探すのもゲーム感覚で楽しめる。いわば映画版“ウォーリーを探せ”であろう(笑)。

 ただし演技に関してはほとんど特筆すべきものはない。トム・ハンクスもハル・ベリーも、大した仕事はしていない。わずかに興味を惹かれたのがペ・ドゥナである。整形美人みたいなのが持て囃される韓国映画界にあって、彼女は突出した個性派で、それだけ各方面からの“引き”が多いのであろう。この映画でも人間離れしたテイストを醸しだし、強い印象を残す。今後もハリウッドに呼ばれるのかどうかは分からないが、面白い素材であることは間違いない。
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「勝手に死なせて!」

2013-04-09 06:33:36 | 映画の感想(か行)
 95年作品。ブラジルに単身赴任していた一家の主(風間杜夫)が交通事故死。遺体となって帰ってきた。ところが葬儀の仕方を巡って妻(名取裕子)と親戚連中の意見が対立。さらに死体を横取りしようとする愛人(立河宣子)やヘンな葬儀屋などが入り乱れ、事態は紛糾する。果たして無事に葬儀は行われるのか。

 ハッキリ言って全然面白くない。監督は「ひき逃げファミリー」(93年)などの水谷俊之。あの映画もヒドかったが、それから2年経って作ったこの映画もほとんど進歩していない。伊丹十三の「お葬式」と森田芳光の「家族ゲーム」を合わせたような設定ながら、こうも低級なシロモノしか作れないとは、この監督には才能が欠けていると言わざるを得ない。



 どこがヒドいかと言うと、作者は登場人物を人間として扱っていない点である。こういうシチュエーションではどういうリアクションを起こすか、という掘り下げが全くなく、いかにも頭の中で考えただけのような薄っぺらで何も考えていないキャラクターが画面をウロウロする様子は観ていてウンザリする。

 まさかコメディだから何を描いてもいいと思っているのではないか。見た目がマンガ的で面白ければそれが即映画の面白さにつながると思っているのでは? 喜劇映画はいかにキャラクターが観客の共感を呼べるかが勝負なのだ。テレビの一発芸や4コマ漫画のネタみたいなもの(それも品がなく、まったく笑えない)を上映時間1時間半にいくら羅列しようとも、全然映画にならない。

 演技面ではほとんどコメントするところはないが、あえて言えば石橋けい扮する長女のキャラクターの不快さは特筆もの(?)。スクリーンに火をつけようと思ったほどだ。まあ、立河宣子のナイスバディぶりはよかったけどね(この人も今は引退しているけど ^^;)。
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SOULNOTEの新製品を試聴した。

2013-04-08 06:42:33 | プア・オーディオへの招待
 2006年に発足した国産ガレージメーカーの雄「SOULNOTE」の新製品の試聴会に足を運んでみた。目玉は同社がFANDAMENTALブランドで売り出しているプリアンプのハイエンドモデルLA10とペアになる、メインアンプのMA10の試作品である。

 LA10と同様に巨大な電源部を擁し、ガッチリと作り込まれた製品だということが分かるが、残念ながらMA10単体でのパフォーマンスを確認出来るような段取りにはなっていなかった。しかしながら、少なくとも出てくる音はハイレベルなものであり、高品質なモデルだということは分かる。現時点では定価は未定だが、LA10が100万円なのでそれに見合った価格設定になること間違いないであろう。発売後は他社の高級アンプと聴き比べられるようなイベントを開いてもらうと有り難い。



 さて、もうひとつの注目モデルはCDトランスポートのct1.0である。CDトランスポートというのは、早い話がCDプレーヤーからDAC(Digital to Analog Converter )の機能を差し引いた、ドライヴ部分だけの製品である。CDメディアの音質を決定するのは主にDACだと言われているが、トランスポートでも音は変わる。SOULNOTEとしては“トランスポートの最終回答”みたいな意気込みで作ったとのことだ。

 さらに興味深いのが、USB入力端子を備えている点で、パソコンからの信号を取り込んでそのまま外付けのDACに転送できる。また、再生中には作動していない回路をシャットダウンする機能があるらしく、ノイズの大幅な軽減を図っているという。

 ただし、これもct1.0自体の音質を確かめられるような式次第にはなっておらず、その点は不満が残った。まあ、このブランドのことだからヘタなものは作らないはずだ。価格も30万円以下に抑えられるということで、ある意味“お買い得”だと言えるかもしれない。

 唯一気になったのが、足が通常のゴム製ではなくスパイクになっていることだ。CDメカニズムのダイレクト設置を可能にした様式ではあるが、四隅にセットされていないため安定性が悪い。よほどシッカリとしたスパイク受けと堅牢なラック(およびオーディオボード)を用意しないと、グラグラして操作性が低下する恐れがある。このあたりは評価が分かれるところであろう。
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「シュガーマン 奇跡に愛された男」

2013-04-07 06:44:43 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SEARCHING FOR SUGAR MAN )ドキュメンタリー映画としての出来は凡庸だ。しかし、素材の面白さはそれを補って余りある。映画を見終わる頃には、誰しもこの“主人公”を好きになってしまうだろう。

 70年代初頭のデトロイト。場末の居酒屋で自作の曲を歌う無名の歌手ロドリゲスは、敏腕プロデューサーによって“発掘”され、レコードデビューする。だが、自信満々でリリースされたアルバムはまったく売れず、ロドリゲスは人々の前から姿を消してしまう。それから数年経った70年代末、ひょんなことから南アフリカ共和国で彼の歌が知られることになる。

 反アパルトヘイト闘争で国情が不穏な展開を見せる中、ロドリゲスの曲は社会派ソングとして大ヒットする。やがてかの国ではエルヴィス・プレスリーやローリング・ストーンズをも凌ぐ存在感を持つことになるが、誰も彼のプロフィールを知らない。麻薬中毒で死んだとか、ステージ上でピストル自殺を図ったとか、いろいろな噂が飛び交っていたが、彼の音楽に心酔した2人のファンが事の真相を調べることになる。すると意外な事実が明らかになる。

 ロドリゲスの消息を知る者を探すため、2人はあらゆる手立てを講じ、やっとのことで手がかりを掴むのだが、そのプロセスは映画的にはさほど盛り上がらない。もちろん後半部分は興味を惹かれる展開が待っているので、前半が“薄味”でもそれほど大きな瑕疵にはならないが、もうちょっとケレンを配しても良かったように思う。

 調査の結果、実はロドリゲスは今でも生きていて、デトロイトで肉体労働をしながら暮らしていることが分かる。2人は彼にコンタクトを取り、やがて南アフリカでのコンサートの実現に繋がるのだが、その経緯がドラマティックであるのと同時に、ロドリゲス自身のキャラクターにも感銘を受ける。

 彼は南アフリカでの“成功”を知ってもまったく奢らず、大観衆の前でのライヴを敢行して皆を感動させた後も、デトロイトでの“いつもの暮らし”を変えることがない。彼には3人の娘がいるが、いずれも真っ当な好人物に育っており、ロドリゲスが地に足が付いた誠実な人生を歩んだことを如実に示している。

 メッセージ性の強い音楽を発信するミュージシャンにありがちの“酒とクスリに溺れてどうのこうの”という影の部分が見受けられない。そういうダークな面がなくても、先鋭的な音楽を作れる人材がいる(まあ、当たり前かもしれないが ^^;)ということを知るだけでも嬉しくなる。

 マリク・ベンジェルールの演出は単に事実を並べていくといった感じで、殊更に言及すべきところはない。かと思えば、ロドリゲスが道を歩くシーンを延々と撮って、何やら意味がありそうなネタ振りをしているが、これも不発。しかしながら、あまりにも送り手の作家性が強かったら題材の存在感が霞んでしまう可能性もあり、この監督に多くを望むのは不本意であるようにも感じる。

 ロドリゲスの音楽は今聴いても求心力が高く、あらためてあの時代の音楽シーンの奥の深さを確認できる。ボブ・ディランにも匹敵すると言われた彼だが、もしもロドリゲスがデビュー当時にアメリカでもブレイクしていれば・・・・と思わずにはいられない。第85回アカデミー賞でも長編ドキュメンタリー賞を獲得している注目作である。
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「しあわせな孤独」

2013-04-06 07:20:23 | 映画の感想(さ行)
 (英題:Open Hearts )2002年作品。恋人が交通事故で半身不随になったことにより、あろうことか加害者の夫(医者)と心を通わせていく若い女を描くデンマーク映画。本国では大ヒットしたというが、私はまるでダメな映画だと思う。

 どう見ても事故は一方的な加害者の過失であるにも関わらず、収監されるどころか事故を起こした当日にいけしゃあしゃあと娘の誕生パーティを催しているところで早々に匙を投げた。ハッキリ言って、事故にあった男以外の登場人物は全員頭がおかしい。



 特に何も考えずに他の男と関係を持つヒロインは単なる色情狂か精神薄弱としか思えない(スタイルも服装の趣味も最悪で魅力ゼロ)。こんな女を思い入れたっぷりに描いている時点で作者の低能さが分かろうというものだ。

 リアリズムを原則とする「ドグマ」のルールに合意していながら、最初から終わりまで自分の頭の中だけでデッチあげたドラマツルギー無視の御都合主義的筋書きを恥ずかしげもなく披露しているあたり、このスザンネ・ビエールとかいう女流監督には才能がないと断言してもよかろう。この後に撮った「アフター・ウェディング」も大した映画ではなかったし、彼女には“もっと人生経験を積んで、真人間になれよ”とでも言いたくなる。

 近作「偽りなき者」での好演が記憶に残っているマッツ・ミケルセンも出ているのだが、本作ではどうも生彩を欠いている。あとのキャストにも特筆するべきものはなく、観る価値はない。
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「偽りなき者」

2013-04-05 06:32:12 | 映画の感想(あ行)

 (英題:THE HUNT)日常生活に潜む恐怖の陥穽を描くという映画は過去にもけっこうあったが、たいていはコケおどしのレベルに終わっていたように思う。しかし、本作にはいかにもありそうなシチュエーションが丹念に構築されており、その分衝撃度は高い。

 デンマークの地方都市に暮らすルーカスは、幼稚園で働く中年男性。以前は結婚していたが、今は離婚しており、一人息子ともあまり会えない。それでも職場では園児に囲まれ、オフの日には気の置けない仲間達とハンティングに出掛けたりして、彼なりに生活を楽しんでいる。しかしある日、親友のテオの幼い娘で幼稚園に通うクララが“ルーカスにいたずらされた”と小さな嘘をついたことをきっかけに、あっという間に彼は窮地に立たされる。

 ルーカスは仕事を奪われ、周囲の人間の多くが冷たい態度を取り、ついには逮捕されてしまう。もちろん確かな証拠などあるはずもなく、やがて釈放されるのだが、村八分の状況はそれからも延々と続き、彼を苦しめる。

上手いと思ったのは、周防正行監督の「それでもボクはやってない」のように話を“裁判沙汰”に振っていないことだ。法廷でのやりとりに大きく作劇を割いてしまえばそれなりに盛り上がるのだろうが、逆に言えばそこに“裁判で無罪を勝ち取れば万々歳”という了解事項が介在していることを認めることになる。実際には裁判後の経緯こそが重要なのだ。いくら釈放されようと、周囲の疑惑を拭い去ることは並大抵のことではない。

 考えてみれば、主人公には濡れ衣を着せられる“必然性”みたいなものがある。ルーカスは小学校での教職を追われた身であり、カミさんにも逃げられている。何より、いい年の男が嬉々として幼稚園児の相手をしている様子は、見ようによっては痛々しくも感じられる。もちろんそんな“言い掛かり”は当人にとって理不尽極まりないことなのだが、他人にとっては特定個人を指弾する理由には不条理もへったくれも無い。いじめやすい者を血祭りに上げるだけだ。

 しかも、舞台になるのが都会ではなく、さりとて古い因習がはびこる(横溝正史の小説に出てきそうな)寒村でもない、一見すれば人情が厚いようにも思える“適度な田舎”(?)の街であるのも素材を際立たせる意味で効果的だ。悪意というのはところ構わず人々の心に入り込んでいくのである。

 さらに、くだんの幼女の嘘の背景にあるものが、クララの兄が彼女にネットからダウンロードしたと思われるエロ写真を見せたことによるというのが実に考えさせられる。ネット環境により未成年者でもハードコア映像を入手することが不可能ではなくなり、そういう扇情的なコンテンツがネットワークを介して流通している事実は、それと付随してインモラルな感性も伝播していくということも示している。

 主演のマッツ・ミケルセンのパフォーマンスは万全で、逆境に追い込まれた人間の足掻きをリアルに活写する。トマス・ヴィンターベアの演出は力強く、全編に渡って弛緩している部分はない。特にラストの処理は秀逸で、問題の根深さを如実に示している。重量感のある作品で、観て損は無い。
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「わるいやつら」

2013-04-02 06:36:38 | 映画の感想(わ行)
 80年松竹作品。原作が松本清張で監督が野村芳太郎監督とくれば、代表作「砂の器」をはじめ、対象に肉迫するようなタッチが印象的な一連の映画を思い出すが、本作はこのコンビとしては珍しく“引いた”描き方をしている。あえて言えばドキュメンタリー・タッチに近い。

 もっとも、その手法が作品のヴォルテージを下げているかというと全くそうではなく、素材をオフに捉えることにより、ストーリーの陰惨度や登場人物達の非人間性を浮き彫りにさせている。いずれにせよ、この頃の野村監督の力量を十分に確認出来る映画であろう。



 総合病院の院長である戸谷は、有能だった先代とは比べものにならない小物で、今では交際している女たちに貢がせて医院の赤字を補填している始末である。愛人の一人であるたつ子の夫が病に伏せっていると聞き、戸谷は財産をせしめるためにたつ子と共謀して夫を殺害。それを皮切りに、邪魔な人間を次々と消していく。だが、そんな悪事がいつまでも隠し通せるはずもなく、信用していたブレーンから思わぬ裏切りに遭い、彼は窮地に陥る。

 とにかく、出てくる連中がすべて悪党。そういえば北野武の「アウトレイジ」シリーズも“全員、悪人”というキャッチフレーズだったが、あっちはヤクザの世界だからそう違和感(?)はない。だが本作は、一見カタギの市井の人々が、欲に目がくらんでエゲツない悪事に手を染めるという、松本清張らしいピカレスクな世界を構築している。

 それがまたカメラを引いたクールな筆致で切り取られるものだから、衝撃度はかなり高い。しかもラストには一番この事件に関与していないと思われた人物が凶悪な本性をあらわすという、悪意に満ちたオチが待っている。

 主演の片岡孝夫をはじめ、梶芽衣子、藤真利子、宮下順子、藤田まこと、緒形拳、渡瀬恒彦、米倉斉加年、松坂慶子といったオールスターキャストを揃え、それぞれのダークなキャラクターを遺憾なく引き出している野村監督の腕は大したものだ。川又昂のカメラによる寒色系の画面構築、芥川也寸志による職人芸とも言える音楽も効果的だ。
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「ダイ・ハード/ラスト・デイ」

2013-04-01 06:35:35 | 映画の感想(た行)

 (原題:A GOOD DAY TO DIE HARD)このシリーズを続けていくことが、もはや“惰性”でしかなくなったことを、如実に示している。思えば、第一作はアクション映画の方法論に新機軸を打ち出した画期的な作品だった。舞台を限定し、主人公が徒手空拳で巨悪に立ち向かう。それを支えるだけの綿密な脚本と練り上げられたキャラクター設定があったことも確かだ。続く第二作もそのスタイルは踏襲されていたが、第三作からは普通の刑事物に成り果ててしまった。

 パート1が「タワーリング・インフェルノ」でパート2が「大空港」、ならばパート3を「ポセイドン・アドベンチャー」にしようとしたところ、設定が「スピード2」に転用されてしまった・・・・という話もあるが(笑)、いずれにしろ独自性を失った時点で当シリーズの存在価値が希薄になったと言っていいだろう。

 ニューヨーク市警の刑事ジョン・マクレーンは、CIAに勤めている息子のジャックがモスクワで警察当局に身柄を確保されたと聞き、身柄を引き取りに行く。しかし、ジャックが出廷する予定の裁判所で爆破テロが発生。重要な証言するはずだった大富豪を守るために賊と戦うジャックを助けるべく、大立ち回りを演じる。

 息子と疎遠になり、今でもしっくりいかない親子関係を物語のアクセントにしようとしていることは分かるが、深く突っ込む事なんてハナから捨象されている。あとは派手な活劇シーンの連続のみ。ただし、第一作が作られた時代とは違い、どんなに荒唐無稽に思われるシーンもCGで実現可能だということが認知された今、それだけではポイントは稼げない。

 緊張感を付与するためには映像技術ではなく、それを取り仕切る演出力であるはずだが、監督のジョン・ムーアはアイデアも力量も無いようで、華々しく展開する画面とは裏腹に、白々とした空気が流れる。

 だいたい、市警の職員風情が荒仕事を請け負うがごとく勝手に海外に“出張”して、程度を知らない大暴れをするというシチュエーション自体が噴飯物だ。普通の人間ならば100回は死んでいるような事態に直面してもシレッと生き残り、最後はにこやかに凱旋するというのだから、いい加減バカバカしくなってくる。

 ブルース・ウィリスはいつも通りの大根パフォーマンス(爆)、息子役のジェイ・コートニーも別にどうということはない。悪役の皆さんもスゴんでいる割には迫力が無い。ラスト近くにはあのチェルノブイリも出てくるが、これがまあ文字通り“取って付けた”ようなモチーフでしかないのも脱力してしまう。

 取り柄といえば、上映時間が短いことだろうか。昨今は娯楽活劇編の分際で無駄に長いシャシンが散見されるが、本作においては“分をわきまえている”という意味で、評価してもいいのかもしれない(笑)。
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