元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「お名前はアドルフ?」

2020-08-14 06:52:27 | 映画の感想(あ行)
 (原題:DER VORNAME )舞台劇の映画化は難しいことを再確認した一作である。確かに二転三転する筋書きは飽きさせないし、キャストも芸達者ばかりなのは認めるが、どうも場の空気というか、演出も演技もノリが演劇のそれであり、映画として見れば違和感を覚える。また、ドイツ映画の“定番”であるナチスに関するネタの取り入れ方も、サマになっているとは思えない。

 文学者で哲学教授のステファンと妻エリザベスは、自宅でのディナーパーティーの準備に余念がなかった。エリザベスの弟トーマスとその恋人、そして音楽家のレネがやってくる予定である。真っ先に到着したのはトーマスで、恋人との間に子供が出来るのだという。ところが、トーマスは赤ん坊の名前を“アドルフ”にすると公言。



 あのヒトラーと同じ名前にするのはけしからんと、そこに訪ねてきたルネも巻き込んで、騒動が起きる。だが、そんな話は発端にすぎなかった。この一家はいろいろと秘密を抱えており、この“アドルフ”の一件をきっかけに、次々とそれらが暴かれることになる。欧州でヒットしたという舞台「名前」の映画化だ。

 そもそも、子供の名前ぐらいで大のオトナが掴み合いを演じること自体、観ていて“引いて”しまう。あの独裁者の名前はアドルフだったが、劇中でも言及されたように、アディダスの創業者のファーストネームだってアドルフだ。いかに今もドイツ社会はナチスの影に神経質になっているかが分かり、苦笑するしかない。

 しかも、このドタバタ劇は舞台上で観れば映えるのだろうが、スクリーンの中では無理筋に見える。アドルフ騒ぎが一段落して家族それぞれの問題を描き出す中盤以降も、空間の大きさが舞台のままであり、映画とは相容れない。結果として、ストレスの溜まる作劇になっている。演者のセリフ回しも然りで、声を張り上げての新劇調が目立ち、映画作品としては何か違うのではという印象が拭えない。

 ゼーンケ・ヴォルトマンの演出は、演劇をそのままスクリーンに持ってきたという意味では達者なのかもしれないが、映画ならではの工夫が見受けられない。もっと思い切った脚色が必要だった。フロリアン・ダーヴィト・フィッツにクリストフ=マリア・ヘルプスト、カロリーネ・ペータース、ユストゥス・フォン・ドーナニーといった顔ぶれは馴染みがないが、おそらく演劇畑の人材を起用していると思われ、皆演技は申し分ない。しかしながら、次は映画向けのパフォーマンスを見てみたいと思った。

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