元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ルージュの手紙」

2018-01-27 06:31:08 | 映画の感想(ら行)

 (原題:SAGE FEMME)脚本があまり上等ではなく、筋書きの不備が散見される。ただ、キャストの演技と存在感でさほど退屈せずスクリーンに対峙できた。やはり映画において“スター”の占める割合は大きいのだろう。

 パリ郊外のモントレ=ラ=ジョリーの町に暮らす中年女性クレールは、助産婦として働きながら、女手ひとつで息子を育てあげてきた。この仕事に誇りを持っていたが、勤務先の病院が経営不振で閉鎖されることが決まり、自身の今後について悩んでいた。そんなある日、1本の電話が入る。その相手は、30年前に突如姿を消した血の繋がらない母、ベアトリスだった。彼女は父親の後妻で、奔放な生き方を貫いた挙げ句に家を出ていた。クレールの父は、ベアトリスがいなくなった事に耐えられず、自ら命を絶ってしまったのだ。

 かつてのパートナーの死も知らずに気ままな生活を長年送り、ここにきて“かつてのダンナに会いたい”という突然の連絡を義理の娘に入れるベアトリスに、クレールは困惑するばかり。だが、ベアトリスは難病を患っていて、余命幾ばくもない可能性があることが分かってくる。クレールは彼女に同情しつつも、相変わらず無軌道な言動をやめない彼女に手を焼く。そんなクレールの前に気になる男性が現れ、彼女の境遇も変わっていく。

 ベアトリスのキャラクターには納得出来ない。昔は好き勝手に振る舞い、やがて突然家を出る。そして30年も経った後、伴侶に会いたいとクレールに連絡を付けるが、相手が自分のために死んだことも知らない。自身の寿命があと僅かかもしれないという不安はあるが、気侭な生活はそのままだ。

 ならばクレールに感情移入が出来るのかというと、そうでもない。プライドを持って仕事に臨んでいることは分かるが、病院がもうすぐ無くなるにも関わらず、今の医療の有り様に疑問を持っているとのことで、再就職の活動もしない。それでは、自身のスキルが世の中に活かせないではないか。やがて重い腰を上げて求人を行っている職場を訪問してみるが、そこは絵に描いたようなハイテク(?)病院で、彼女は嫌気がさしてしまう。いくら医療テクノロジーが進歩しているとはいえ、熟練したスタッフを蔑ろにしている病院があるとは信じがたい。また、いつ発作を起こすか分からないベアトリスに自動車の運転をさせるシーンも愉快になれない。

 こうした要領を得ない展開の果てに、思わせぶりなラストが待っている。マルタン・プロヴォの演出は平板で、これでは評価出来ない。ただし、ベアトリス役のカトリーヌ・ドヌーヴが放つオーラは大したものだと思う。彼女が出てくるだけでパッと画面が明るくなるようだ。やっぱり“スター”は凄い。

 クレールに分するカトリーヌ・フロも、この年代の女性らしい慎み深さと、内に秘めたしたたかさを感じさせる妙演だ。クレールの交際相手を演じるオリヴィエ・グルメもイイ味を出している。それにしても、この邦題は終盤の小道具に由来しているとはいえ、往年のヒット曲のタイトルに似ていて紛らわしい(笑)。
コメント
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