元・副会長のCinema Days

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「ある決闘 セントヘレナの掟」

2017-06-24 06:26:00 | 映画の感想(あ行)
 (原題:BY WAY OF HELENA)昨今珍しい西部劇、しかも題材は興味深い。だが、ストーリー展開と演出が低レベルに過ぎるため、まったく盛り上がらず退屈至極である。監督と脚本家の腕が悪いというよりも、この程度のハナシで製作にゴーサインを出したプロデューサー側の責任が大きいのかもしれない。

 1886年、メキシコとの国境を流れるリオ・グランデ川に、数十もの死体が流れ着く。事態を重く見た州知事は、テキサス・レンジャーのデイヴィッドに川の上流にある町マウント・ハーモンに潜入し、事件の真相を突き止めるように命じる。当初は単身で現地に赴く予定だったデイヴィッドだが、自分が留守がちで寂しい思いをさせている妻を見かねて、一緒に連れて行くことにする。



 マウント・ハーモンでは謎の宣教師エイブラハムが、住民たちをカルト宗教の支配下に置いていた。デイヴィッドはいきなりエイブラハムから保安官に任命されて面食らうが、捜査を進めるうちにこの町の“真の姿”が見えてくる。さらにデイヴィッドとエイブラハムとの間にはある過去の因縁があり、2人の対決は避けられないものになっていく。

 当局側からの特命で主人公がカリスマ的な人物が牛耳る人里離れたコミュニティに入り込んでいくという設定は、コッポラの「地獄の黙示録」にも通じるものがあるが、あれには遠く及ばない。確かにマウント・ハーモンは山奥にあるが、一見すると何の変哲もない田舎町だ。もちろん、その裏にゾッとするような正体が隠されているという図式は悪くはないが、映画ではそんな得体のしれない凄味はまったく出せていない。

 エイブラハムは相当なワルだが、その有り様は“単なる悪党”の域を出ず、町全体を圧するようなカリスマ的な存在感は希薄だ。事の真相にしても、こんな残虐なことは当時の西部では珍しくなかったのではと思わせるほど、インパクトに欠ける(昔のマカロニ・ウエスタンの方がよっぽどエゲツなかった)。



 だいたい、デイヴィッドもエイブラハムも相手を始末する機会は何回もありながらそれを実行せず、よくある“荒野の決闘”のパターンに無理やり持ち越してしまうのは噴飯ものだ。また、その決闘シーンも先日観た「ノー・エスケープ 自由への国境」と似たパターンで、段取りが悪くてシラケてしまう。

 デイヴィッド役のリアム・ヘムズワース、エイブラハムに扮するウディ・ハレルソン、共に大したパフォーマンスではない。キーラン・ダーシー=スミスの演出はメリハリが無く、弛緩した時間が流れるだけだ。カメラワーク、音楽、いずれも平凡。現時点で西部劇を作るのならば、今日性の醸成こそが必要だと思うのだが、本作にはそれは見当たらない。観なくてもいい映画である。
コメント
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