元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「宮廷画家ゴヤは見た」

2008-11-02 06:47:11 | 映画の感想(か行)

 (原題:GOYA'S GHOSTS )ミロス・フォアマン監督も老けた。フランス革命前後からナポレオンの統治とその衰退まで、宮廷画家のゴヤが見たスペインの国情を通じて、政治と宗教の移ろいをシニカルに描こうという本作だが、パワーが全然足りない。

 何よりの敗因は、すべてが“語るに落ちる”ような展開である点だ。カソリックに支配された暗鬱な中世期から、人権思想なるカルトがナポレオンと共に入り込み、文化大革命時の中国みたいな粛正の嵐が吹き荒れた後、反ナポレオン勢力の台頭で元の木阿弥になってしまう間に、バカを見るのは庶民だけという図式。なるほどシビアな筋書きではあるが、そんなことは歴史を少しでも勉強している観客にとっては“厳然とした事実”でしかない。映画としては、そこから骨太の人間ドラマを抽出してスクリーン上に活写しなければならない。しかし、この映画にはそれが欠けている。

 ハビエル・バルデム扮する神父は“魔女狩り”の急先鋒として活動しながら、教会を追われた後はナポレオン勢力に鞍替えする。この日和見主義の権化とも言えるキャラクターをバルデムは余裕綽々で演じているが、この存在感は彼自身のカリスマ的な演技力によるところが大きく、役柄の設定自体は凡庸極まりない。教会勢力の首魁も、ナポレオン派の面々も、彼と対峙する商人も、すべてがこれ将棋の駒の如きステレオタイプで面白味のない連中ばかりだ。

 実を言えばフォアマン監督の出世作「カッコーの巣の上で」も随分と図式的な話だったのだ。しかし、ジャック・ニコルソンやルイーズ・フレッチャーの神懸かり的な名演と、切迫した作者の危機意識が瞠目させるヴォルテージを生み出していたと言える。しかし、この新作はその力業だけが抜けて、退屈なスローガンばかりが表に出ているのではないか。

 そして、せっかくゴヤ(ステラン・スカルスガルド)を狂言回し的な役柄に置いていながら、彼の異才ぶりを示す絵画の数々と映像とのコラボレーションがまったく見られないのは残念至極だ。これではゴヤが出てくる意味がないではないか。やっとこさラスト・クレジットに列挙されるのも申し訳程度にしか思えない。

 唯一の収穫がヒロイン役ナタリー・ポートマンの捨て身の熱演。ここまで汚れ役に徹するとは、なかなかの女優魂だ。しかし、それが浮いてしまうほどに映画自体が低空飛行では、お疲れ様としか言いようがない。舞台セットや美術は健闘しているが、それだけでは評価できないのは当然だ。
コメント
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