ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

731、ルーズベルト病院

2010年03月11日 | Weblog
725、59丁目・12~10Ave」の続きです。
59丁目と58丁目、10Aveと9Aveの間に、あのルーズベルト病院があります。
1980年12月8日、自宅アパート「ダコタ・ハウス」前で撃たれたジョン・レノンが搬送され、息を引き取った病院です。
78、ジョン・レノン殺害される」を参照

730、スピード違反

2010年03月10日 | Weblog
最近、近所の道を走っていてスピード違反で捕まりました。
制限速度40キロの道で55キロでした。
田舎の道で車も少なく、ちょっとアクセルを踏んだら50キロを超えてしまいました。
日本に来て驚いたのは、高速での運転で、制限速度は80~100キロのところが多いと思いますが、120~150キロくらい出している車を時々見ます。
でも、スピード違反で捕まっているところはあまり見ません。
何よりも驚いたのは車間距離をとらない車が多いことです。
ちょっと車間距離をとって走っていると、すぐ割り込んできます。
日本の高速での運転は緊張の連続です。

アメリカでは日本のようにスピードを出す車は多くなく、道幅も広いので日本に比べ落ち着いて運転できます。(もちろんスピード狂はいますが)
スピード違反は厳しく取り締まっていて覆面パーカーも多くいます。
あるときハイウエイで私の車の後をずーっと走ってくる車がありました。
制限速度ぎりぎりで走っていましたが、4~5マイル(約8キロ)も同じ車が後ろにいるので直感的に覆面パトカーだと思いました。
私の車が制限速度をオーバーしたら捕まえようとしていたようです。
案の定、州境を超えたとたん追い越して行ってしまいました。
アメリカでは州を越えると管轄が違います。
729、30MPH」で高速の制限速度は60マイルのところが多いと書きましたが、これは目的地までの時間を予測するのに便利でした。
60という数字は1時間60分と同じなので、目的地まで40マイルならあと40分、50マイルなら50分と予測できました。
最近の日本ではカーナビが付いている車が多く、目的地までの予想時間も教えてくれます。
私がアメリカにいたころはカーナビはありませんでしたが、最近の車はどうなのかな?

729、30MPH

2010年03月09日 | Weblog
路上駐車の話が続いたので、今度はスピードの話をしてみます。
道路標識にMPHとあるのは、時速のことです。
Mはマイル、Pはパー、Hはアワーのことで、写真の30MPHは「30マイル・パー・1時間」になります。
パーは“per”のことで、~につき、~ごとに、などの意味です。
30MPHを訳すと「1時間につき30マイル」、つまり、時速30マイルになります。
1マイルは1,609メートルです。

アメリカに20年間住んでいましたが、単位は最後までピンときませんでした。
重さはパウンド、長さはインチ、ヤード、マイル、温度は華氏を使います。
とっさのときに頭の中でキログラムやセンチ、摂氏に換算します。
1パウンドは0.4536kgなのでパウンドからキログラムに直すには半分で計算しておおよその重さを割り出します。
例えば、体重が100パウンドといえば50キロ弱だなと計算します。
実際は100×0.4536で約46キロ。
華氏から摂氏に換算するときはもっと複雑。
華氏32度が摂氏0度なので、温度が華氏80度の日は80-32=48
48÷2=24℃よりちょっと上、と計算します。(実際は26.7℃)
これらの計算はあくまでとっさの時の暗算で、実際の単位と多少異なりますが、だいたいの目安になります。
上述の距離も1マイル1.6キロで計算します。
写真の30MPMは30×1.6=48
時速50キロくらいかな、と思いながら運転していました。
アメリカの一般道は30~40MPH、高速は60MPH(上の計算で約96キロ)が多くなっています。

728、複雑

2010年03月08日 | Weblog
728、複雑
726、パーキング・メーター」でニューヨークにはコイン・メーターが設置してある通りが多くある、と書きました。
メーターが無い通りも時間帯や車の種類によって駐車や停車が制限されていて複雑です。
例えばある通りでは「日曜を除いて4pm~7pmは停車禁止、配達の車を除いて月曜から土曜は停車禁止、日曜を除いて7am~7pmは駐車禁止・・・、」などなど細かく制限されていてよく見ないと間違えてしまいます。

727、機長引退

2010年03月07日 | Weblog
昨年1月、離陸直後に航行不能となった旅客機がハドソン川に緊急着水し、155人全員が無事救出され、「ハドソン川の奇跡」と称えられ、一躍全米の英雄となったチェスレイ・サレンバーガー機長(59)が3日、最後のフライトを終え、USエアウェイズ社を引退しました。
サレンバーガー氏は1980年からUSエアウェイズ社に勤め30年にわたって飛び続けたベテラン機長でした。
引退後は、執筆活動のほか、パイロットの待遇改善など航空機の安全運航に向けた活動に従事するそうです。
航空業界は厳しい経営が続き、「給与水準も下がり、経験豊富なパイロットを雇うことが難しくなっている」と航空業界の現状に触れ、「経験に優る安全策はない」と、記者会見で指摘しています。
写真はマンハッタンをハドソン川の対岸ニュージャージーから撮ったもので、USエアウェイズ機は左(北)から進入し42Street付近の川面に着水しました。
305、ハドソン川の奇跡」を参照

726、パーキング・メーター

2010年03月06日 | Weblog
725、59丁目・12~10Ave」でニューヨークは駐車違反の取締りが厳しく、絶えず見回っている、と書きました。
5番街や42 Streetなどの大通りは基本的に路上駐車は禁止ですが、商店街などにはパーキング・メーターが設置してあるところが多くあります。
25セント・コインで15分だったと思います。(20年前)
1時間駐車するには4個必要で、コインを入れると1時間のところを針が指し徐々に減っていき、1時間経つと0になります。
オーブン・トースターで時間を設定し、最後にチーンと言って0になるのと同じ感じです。(パーキング・メーターでは音はしませんが。)
ここにも見回りの人がいて絶えずチェックしているので、0になるとすぐチケットを張られてしまいます。

725、59丁目・12~10Ave

2010年03月05日 | Weblog
59丁目の12Aveから東を見た風景です。(724、59丁目西端の逆向き)
この辺りは空き地やパーキング場、倉庫などが多く、人はあまり歩いていません。
2001年にトレードセンターが崩壊した後、この辺りに超高層ビルを建てる話もありましたが最近は聞きません。
この辺りには広い空き地があって、駐車違反の車がレッカー車で運ばれてきます。
ニューヨークは駐車違反の取締りが厳しく、絶えず見回っています。
特にマンハッタンでは、車を2~3分とめて戻ると切符を張られることがあり、どんなに注意していても年に2~3回はチケットをもらいます。
罰金は40ドルくらいで、レッカー車で運ばれると200ドルくらい取られました。(20年前)
ウエストエンドのこの辺に車をとりに行ったことが2~3回あります。

723、59丁目・Westside Highway

2010年03月03日 | Weblog
オリンピックの期間中は感動の日々が続き、話題もオリンピックに関するものが多くなりました。
マンハッタンに戻ります。
678、57nd Street」から「717、57丁目略図」にかけて57丁目について書きました。
今度は59丁目について書いてみます。
マンハッタンの西の端、ハドソン川沿いにウエストサイド・ハイウエイが走っています。
写真は57丁目(青丸)からウエストサイド・ハイウエイに乗って2ブロック北に走った地点(黄丸)で高架になり、下に59丁目があります。
ウエストサイド・ハイウエイを北に走ると右にマンハッタンのビル群、左にハドソン川と対岸のニュージャージーがパノラマのように広がっています。(南に走ると逆)
559、ビル群
560、Pier(埠頭)群」を参照

722、44年ぶりの快挙

2010年03月02日 | Weblog
ゴルフの米女子ツアーで宮里藍選手が開幕2連勝の快挙を達成しました。
今年60年目を迎えた米女子ツアーで、過去に開幕2連勝を記録したのはわずかに4人しかいません。
最後に達成されたのは1966年で44年も前のことです。
それ以前はツアー草創期で選手層も薄い時代でした。
近年、国際化が進み世界中から強豪が集まる米女子ツアーで、1つ勝つだけでもたいへんなことで、開幕2連勝は快挙です。
彼女自身日本で圧倒的な強さを誇ってアメリカに渡り、すぐにでも優勝するのではないかと言われていましたが、なかなか勝てませんでした。
2006年から主戦場をアメリカに移して戦っていますが4年近く勝てず、一時は深刻なスランプにも陥りましたが、この4年間の苦労が土台になって精神的にも技術的のも強くなりました。
2009年7月のエビアン・マスターズ(フランス)でLPGAツアー初優勝を果たし、感激の涙を流したのは記憶に新しいところです。
この勝利で飛躍のきっかけを作り、今年の活躍に繋がりました。
2010年は開幕戦のホンダLPGA(タイ)で、最終日(21日)6打差をひっくり返して逆転優勝。
そして28日、HSBC女子チャンピオンズ(シンガポール)で、最終日に69をマークしLPGAシーズン開幕2連勝を飾りました。
1987年の岡本綾子以来となる日本人賞金女王、自ら目標に掲げるプレーヤー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)へ期待が高まります。
彼女を見ていて感心するのはインタビューで、英語で堂々と話すことです。
最近はメジャーリーグでも多くの選手が活躍していますが、ほとんど通訳付です。