ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

3313、Going Home

2017年03月25日 | Weblog
今、2つの合唱団で「Going Home」を歌っています。(たまたま)
アントニン・ドヴォルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」の第2楽章の主題として有名です。
今歌っているのは両合唱団とも英語詩です。(編曲は違う)
ドヴォルザークの死(1904年)後、1922年に音楽院の教え子で弟子のフィッシャーによって「Goin' Home」タイトルの英語詞による歌が出版されました。
日本では「家路」、「遠き山に日は落ちて」などの愛唱歌として知られています。
『新世界より』という副題は、アメリカから故郷ボヘミアへ向けてのメッセージ、といった意味があります。
ドヴォルザークは1891年春、ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者・理事長で富豪の婦人ジャネット・サーバーから音楽院院長職への就任依頼を受けました。
当初は辞退の意志を伝えましたがサーバー夫人の熱心な説得により受諾しました。
1892年9月にニューヨークに到着。
1893年1月に着手した交響曲第9番「新世界より」は5月24日に完成。
契約は2年でしたが3年滞在し、弦楽四重奏曲「アメリカ」、チェロ協奏曲なども作曲しています。

ドヴォルザークが「新世界」と感じたのは何か?
1892年9月にニューヨークに到着して翌年5月に完成した、ということは8カ月ほどです。
音楽院院長としての仕事もあり、「950、家路」で書いた風景を見に行く時間はなかったと思います?
ドヴォルザークがニューヨークに到着する前年の1891年には音楽の殿堂「カーネギー・ホール」が完成しています。
ドヴォルザークが「新世界」と感じたのはダイナミックに発展するニューヨークを見て、ヨーロッパとは違うものを感じたのだと思います。(私の想像)
1892年はコロンブスの新大陸発見400周年で盛り上がっていました。
アメリカは1776年の独立から100年ちょっとの新興国でした。
ヨーロッパではアメリカ大陸を「新世界(New World)」と一般に呼んでいたようです。
「新世界より」が完成した直後の1893年6月、アイオワ州のスピルヴィルという小さな町を訪れています。
この町は、チェコのボヘミアからの入植者が住む町で、このときは田園風景を見たと思います。
初演は1893年12月16日、ニューヨークのカーネギー・ホールでした。
アントン・ザイドル指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック協会管弦楽団演奏で、初演は大成功だったと伝えられています。
カーネギー・ホールが完成したのは1891年。
ドヴォルザークがニューヨークに行ったのは1892年。
「新世界より」の初演は1893年。
アメリカの黒人霊歌や原住民の音楽、故郷ボヘミアの音楽が融合されて作られていると言われていますが、本人は否定しています。
今年は「新世界より」の初演から124年目。

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