ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

103、エッグドロップ・スープ

2008年02月10日 | Weblog
102、チャイナタウンの正月”でも書きましたが、アメリカでは中国系アメリカ人が勢力を拡大し、いろんな分野で活躍しています。
目に付くのはテレビのキャスターで、各局で活躍しています。
特に女性キャスターはアンカー・ウーマン(総合司会・メインキャスター)もいます。
テレビニュース番組の彼女たちはアメリカで生まれアメリカ人として育ったので完璧な英語を話しますが、白人のキャスターに比べ英語が聞き取り易い気がしました。
言葉をはっきり、丁寧に話しているように私は感じました。(同じ東洋人ということで親しみやすいのかもしれません。)

中国系アメリカ人はチャイナタウンを作って一緒に住んでいる人が多くいますが、アメリカ全土に住んでいます。
私が全米を旅行していたとき(1974~85年頃)、とても助かったことがあります。
1週間、2週間と旅をしていると、食事はハンバーガー、ビザ、ホットドッグなどが続いて飽きてきます。
そんな時、どんな小さな町に行っても必ずチャイニーズ・レストランがありました。
テーブルのある綺麗なレストランもありましたが、私が利用したのはテイクアウト専用の小さな店です。
焼きそばやチャーハンなどが2~3ドルで腹いっぱい食べられました。
特に気に入っていたのが、エッグドロップ・スープです。
醤油味のスープに半熟卵を散らしたもので、ハンバーグに飽きたときには本当に美味しく感じました。
時々自分で作ってみますが、なかなかうまくいきません。
卵が固まったりやわらかすぎたりして、あの微妙な触感がでません。

アメリカに中国人が来るようなったのは1784年頃です。
貿易商人やその船員たちで、数年で帰国し永住するひとはいませんでした。
アメリカ移住が本格化するのはアヘン戦争(1839-1842年)など、中国本土の荒廃が進んだ頃からです。
1848年頃から始まる西海岸のゴールドラッシュで金鉱採掘に従事するなどして、主に西海岸に住んでいました。
ゴールドラッシュの終りと共に仕事を失った彼らは、次に危険で過酷な大陸横断鉄道の建設工事に従事します。
安い賃金で過酷な労働に彼らは耐えました。
中国人労働者がいなければ大陸横断鉄道を始めとした、アメリカ大陸の鉄道網は大幅に遅れていたことでしょう。
しかし、その工事も1869年に終了し彼らは再び失業し、ニューヨークやサンフランシスコなどの大都市に流入してチャイナタウンを作ります。
彼らの中には大都市に移住せずアメリカの隅々まで浸透して行く人もいました。
社会の底辺で手洗いの洗濯屋など英語が苦手でもできる仕事が中心でしたが、本国の料理を作って提供するチャイニーズ・レストランを始める人もいました。
これがアメリカ人に受け入れられ、アメリカ全土に広がっていきます。
今では誕生日や記念日などには家族でチャイニーズ・レストランに行くことも多く、アメリカ人に親しまれています。
チャイニーズ・レストランで必ずでるフォーチュン・クッキーも楽しみです。
日本のおみくじの様なものでクッキーを割ると中から出てきます。
フォーチュン(運勢)を占うものですが、深刻なものは無く当たり障りの無いことが書かれています。