ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

61、キンシャシャの奇跡(モハメッド・アリ)

2007年10月30日 | Weblog
1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式、病気のため震える手で聖火台に点火するモハメッド・アリの姿に世界中の人が感動しました。
そのときまで点火者は秘密にされていました。
聖火を運んできたジャネット・エバンス(女子水泳選手:オリンピックで4つの金メダルを獲得している)から聖火を受け取ったその手はパーキンソン病で震えていました。
何とか火を点け、聖火が燃え上がるとアリに向けて満場の観衆から割れんばかりの拍手が送られました。
(日本のテレビは「感動で手が震えている」と間違ってアナウンしていましたが、この演出を知らなかったので無理もありません。)
モハメド・アリはケンタッキー州ルイビル出身、身長188cm、リーチ203cmで本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニアですが、後にイスラム教へ改宗し「モハメド・アリ」と改名しました。
1960年のローマ・オリンピックでライト・ヘビー級の金メダリストを獲得し、プロに転向するや無敗でヘビー級世界チャンピオンになっています。
その後は様々な困難を乗り越えて、3度タイトル奪取に成功し、通算19度の防衛を果たしました。
ボクシング史上屈指の偉大なチャンピオンの一人で、その歴史は伝説となっています。

アリは3度奇跡を起こしています。
1度目はソニー・リストンに挑戦して、初めて世界チャンピョンになったとき(1964年2月25日)
リストンは最強のチャンピョンと言われ、リストンの圧倒的有利とみられていました。
アリはプロ転向後、無敗でリストンに挑戦しましたが、まだリストンには敵わないだろう、と見られていました。
身体も細く、ローマ・オリンピックで金メダルを取ったときもヘビー級ではなく1階級軽いライト・ヘビー級でした。
しかし、大方の予想に反してリストンを7ラウンドTKOで倒し、世界ヘビー級タイトルを獲得しました。
世界チャンピオンになってからのアリは破竹の勢いでタイトルを防衛していきます。
その頃のアリはまさに無敵でした。

ヘビー級のボクサーは丸太のような腕で重いパンチを叩き込むのが普通でしたが、アリのパンチはスピードと切れがありました。
それ以上に人々を驚かせたのはヘビー級の常識を破る軽快なフットワークでした。

しかし、1967年に兵役拒否のため、世界ヘビー級タイトルを剥奪され、ボクサーライセンスも失い、その後3年間試合を禁止されます。
絶頂期でタイトルを剥奪され、3年間のブランクはボクサーにとって致命的で再起は不可能だと思われました。
しかし、1970年10月26日に世界ヘビー級1位のジェリー・クォーリーと3年ぶりの試合を行い、3ラウンドTKO勝ちして再起を果たしますが、その身体は太くなり以前の「蝶のように舞い、蜂のように刺す(Float like a butterfly, sting like a bee)」と形容された華麗なフットワークは影を潜めてしまいました。
1971年3月8日にジョー・フレージャーのもつ世界ヘビー級タイトルに挑戦しますが、15ラウンドに左フックでダウンを奪われるなど、判定負けし初めての敗北を喫しています。
終生のライバルとなった、ジョー・フレージャーとは3度対戦し、2勝1敗でした。
特に、"Thriller in Manila"と命名された3度目のフィリピンでの対戦は、両者死力を尽くし、形勢が何度も逆転した名試合で、ボクシング史上最高の試合の一つと言われています。

2度目の奇跡はいわゆる「キンシャサの奇跡」と呼ばれる伝説の試合です。
1974年10月30日、アフリカのザイールでジョージ・フォアマンを8ラウンドKOで倒し、1967年に剥奪された世界ヘビー級タイトルを7年振りに獲得しました。
ジョージ・フォアマンは史上最強のハードパンチャーといわれていました。
このときもフォアマン有利とみられ、アリは倒されるだろうと見られていました。
全盛を過ぎたと見られていたアリが史上最強のハードパンチャー、フォアマンを破ったため、「キンシャサの奇跡」と呼ばれています。
この試合でアリはたくみに相手のパンチをかわし、空振りさせることでフォアマンの体力と精神を消耗させる一方、ロープを利用して自らの体力は温存するという作戦をとり、見事な勝利をおさめました。
相手に打たせるだけ打たせて疲れを待ち、一瞬の隙を突いて倒しました。
アリはこの戦法を"rope a dope"と名づけていました。
以降の試合でもこの戦法を多用する一方、相手のパンチを被弾することも多くなり、後年のパーキンソン病の遠因ではないかと言われています。

39、エルビス・プレスリー”で書きましたが、アメリカに行ったらぜひ見たいと思っていたことの1つがモハメッド・アリの試合でした。
1977年頃だったと思いますが、ニューヨークのマディソンスクェアー・ガーデンでの試合を見ることができました。
対戦相手は覚えていませんが、この試合でもアリは"rope a dope"を多用し、かつての「蝶のように舞い、蜂のように刺す」フットワークは見られませんでした。
判定で勝利しましたが、パンチの数は相手が圧倒していたので、私の印象では“?”という感じでした。

3度目の奇跡はレオン・スピンクスに判定勝ち(1978年9月15日)し、WBAタイトルを奪回し3度目の返り咲きを果たしました。(同じ年の2月にタイトルを失っていた)
全盛期を過ぎたアリの執念の世界タイトル獲得で、その後タイトル返上しています。
アリは史上初めて、3度ヘビー級の世界タイトルを獲得したチャンピョンです。
1981年引退。

そして今、自らの病との闘いに4度目の奇跡を起こそうとしています。