ウヰスキーのある風景

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色眼鏡

2020-12-04 | 雑記
冬場の恰好がどう見てもマフィアな具合なので、ついでにサングラスをかけてしまえと思い、先週からつけて歩いている。といっても仕事の行き帰りやらちょっと出かける時ぐらいではある。

別に日差しが眩しいとは感じない。一番日差しが強い時以外は太陽を凝視して、太陽が丸く光っているのを確認したりするぐらいである。夏場の昼間はちとしんどいが。

大本は上記のシャレであり、他はちょっとした悪戯じみた理由である。

それは、コロナ対策。いや、おかしい気がする。

というのも、マスクもしないでうろついていると、存在を見たことはないが警察でもないのに「マスク警察」だとかなんとかいうものにモノ申された、などとネットで見かけたものである。最近はどうかはしらないが、あからさまにマフィアな男がサングラスして歩いていると怖がって何も言ってこないだろうと思ってやっているのだが、そもそもサングラスをしてなくても何も言われたことがなかった。

後はほとんどの人がマスクして歩いている状況を見ていて疲れてきたので、デーヴィッド・アイクが紹介していた映画『They Live』の如く、世の中の本当の姿を見るメガネなのだ、などと考えている。
視線をある種遮断するというのは、同じように(とはいってもサングラスなので少し暗いが)見えていても違う感じがするので、少し気は楽になったかもしれない。周りの人には怪しい人に見えるが、マスクを着けっぱなしの方が怪しい。着けざるを得ない状態の人も世の中にはいるが、そうではない人までもが着けている状況は、見ていてくたびれる。


さて先週のことだった。仕事に行く時に必ず通っている川沿いの公園がある。河川敷といった感じか。

かなり大きな雲が向こう岸の先の空に浮かんでいた。

その大きな塊の周りに小さい雲が見えたので、「雲消し」というのを始めた。

昔にもここで書いたことが何度かあったと記憶しているが、消そうと思った雲を見つめつつ心の中で「雲は消えました」と繰り返し念じると、消えていく。

拙が独自に見つけたわけではなく、何かで読んだだけである。コツとしては緩やかに集中するという感じだろうか。後は大きすぎるのや、曇りの日は向かない。効果が出ているのか分からなかったりする。
見る間に雲の形が変わり始めたと思ったころ、視界の端で、何か光った。

最初はサングラスに何か光りが当たったのかと思ったが、太陽は雲に隠れていた気がする。

すると、雲の塊の右下の方に、何かが点滅していたのである。視界の先には遠くに山はあるし、対岸に民家もあるが、そこは完全に空の上である。
飛行機にしてもおかしい。気づいたときから微動だにしていない。
不審に思いしばらく見つめていると、見られたくなかったのか、数度点滅したかと思うと消えていき、その場所には何も見えなくなった。

きっとUFOなんだろうと考えた。今年、アメリカの国防総省だったかが、UFOは実在するという風なことを発表していたそうである。つまりは今まで隠していたというわけだが、今回はその辺りは突っ込まない。

あそこまで露骨な具合で視界に飛び込んできたのは余りないが、昔見た妙な光の玉も同じようなものだったのかもしれないなと思いつつ先に進むと、今度は遠くの山の上の方に黒い飛行機のような形をしたモノが浮かんでいる。
サングラスに何かくっついたか?と思って慌てて外してみたが、サングラスは関係なかった。

鳥が風に乗っているなら、数十秒見ている間に動くはずだが、その影絵は動かない。

ヘリコプターがホバリングしているような具合で、山の上空に浮かんでいる。もしかしたら本当にヘリコプターだったのかもしれないが、黒い飛行機だか鳥のような形をした黒い点にしか見えなかった。ヘリだとして、そこで何をしていたのか?流石に知りようがないが、山火事の消火でもなかろう。

人にはそれぞれの色眼鏡があるという。これを偏見だとか常識とかいう。

アインシュタインは「常識とは成人するまでに身に着けた偏見の寄せ集めである」という風なこと言っていた。ググってみたら「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」と出てきた。

拙が冬なのにサングラスを着けて歩き始めたのは、「あなたは色眼鏡をかけていないつもりだが、色眼鏡に振り回されているのだよ」という皮肉なのである。

それなら、自分で気に入った色眼鏡を試したりするのがよろしかろうと。

だからといって、サングラスをしろという訳ではないことをお断りしておく。


では、よき終末を。