ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

ラヂヲの時間

2016-09-21 | 雑記
前回のラヂヲを出してから、最近のブログの更新からしたらかなり短い間隔で録音はしておいた。

すると一時間だとかしゃべっている。茶もすすっている。そしていつもどおり一服どころではない。


さて、ラヂヲ内では喋っていない話を一つ。


「陰謀論」という言葉。


これを聞くとどういう感想が出るか。


常識はずれの妄想癖の、とかく変人というイメージを抱くというのが一般的なところだろうか。


アイクも著作で、「陰謀論者と聞いただけで感情的に反応させるように仕組まれた言葉だ」という風に言っているが、少々具体的に聞いたことを。


始まりはアメリカ。きっかけはケネディ大統領暗殺事件。


大統領暗殺についての公式見解に疑義が噴出していたのだが(ウォーレン委員会とかいうのが出した見解)、それを封殺するために、お友達のCIAにプロパガンダをさせた。

その事件について疑義を唱える人間は、頭のおかしな奴だとでっち上げ、それに陰謀論という言葉を結びつけ、「陰謀論を唱える奴は頭のおかしな奴だ」という認識を植え付けるという、大衆コントロールのために作り上げられた言葉だったとのことだ。

植え付けられたこちら側はというと、「陰謀論」だとか「陰謀論者」と聞くと、それらの内容自体を見聞することもなく、論理的にではなく、感情的に排斥する。

つまり、「陰謀論」という言葉自体が陰謀というわけだ。

アメリカの研究者が、政府の機密文書を公開請求して借り受けた資料にあった話だという。

ついでにそれについて書かれた本は出版されている。


さて、ケネディ暗殺を別の言葉に置き換えてみれば、これは世の中全部に当てはまるのである。我々が常識と思っていること自体が、実は政府の隠蔽工作(上記の陰謀論という言葉の発明の如し)のように働いていることを。

というわけで、今回のラヂヲはそれの一端の話である。


とはいうものの、思えば今まで書いて喋ったことは全部そうだった。



【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 ストレート五杯目





では、よき終末を。