ウヰスキーのある風景

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レトロスペクティブ後顧

2018-04-13 | 雑記
著名な方はよく、回顧録だとか自伝というのを残すものである。例えばチャーチルだったり、去年か一昨年にお隠れになった、デイヴィッド・ロックフェラーとか、後は具合が違うが、アイクの著作も半ば自伝の趣があったりする。

なんだ、外国人ばっかりかとお嘆きになる前に、もう一つ。

かつて公明党の委員長だかをやっていた矢野という人が、辞めた後にも出していた。タイトルも回顧録だったかもしれない。

創価学会に都合が悪かったのだろう、案の定いつもの正義とやらを振りかざして、怪顧録だのとダジャレで罵っておったものである。怪以外の字は忘れた。

そんな環境に育ったので、拙もダジャレばかり言うようになったのである。これが拙の既存の精神状態かと思ったら、カルトに洗脳されていたのである。これは名誉毀損だ!訴訟も辞さぬ!

と、いきなり危なっかしいような古いネタを放り投げてみたが、反応されても困るので、お気になさらぬように。

ついでに言っておくが、どちらも擁護する気は微塵もない。


ところで、陰謀論界隈で、例えば有名人の誰々が死んだが、実は偽者で本物は隠れているんだ!という話がよくある。デイヴィッド違いのデヴィッド・ボウイもそうだ、みたいな話も以前読んだものである。

死んだのは偽者で、本物は隠れているんだ!なんぞと延々書くと長ったらしいので、上に既に書いたが、これからは「お隠れになった」にしたほうがスッキリするだろうという提案である。

亡くなったの婉曲的表現という奴で、読んだままの隠れたならどこかで出くわすかもしれないし、本義通りに亡くなっていた場合も間違いはない。これで安心である。

イナイカモの配下のなんたらがお隠れになった、なんぞとその手のブログで書かれる様になったら、時代は変わったナァと、その時は拙も回顧録を出してみたくなるものである。



というのも、なんの勢いかはさっぱり判らないのだが、「Youも自伝書いちゃいなYo!」というネタ振りをされたからである。

創価の三世としての生い立ちと陰謀論からめた自伝に、わたし(提案者の人)が漫画描いて、アイクばりにデフォルメしたら、殺されますかね?と申しておられた。

有名になったら殺されるなぁ、と言っておこう。といっても、彼らの有名具合もまた、テレビやらマスコミの如くなので、無視しておくのが一番ではある。最近はテレビの影響が減ったのではなく、移行しただけである、という点には留意のほどを。テレビもマスコミュニケーションの一部であるし、マスコミュニケーションは邦訳で大衆伝達である。伝えることが目的であって、手段が理由ではない。新聞社は新聞書いて売るのが存在理由になっているが、上には関係ない。

それに、拙の話なんぞ何のドラマもない。借金苦で一家総自殺しかけたとか、よくある話すらないのである。面白いと思うかね?


後を振り返っていては前に進めぬのだが、実は前を向いているつもりで後ろしか見ていないというのは往々にしてあるので、敢えて後顧を憂いてみるのもよいのかもしれない。

実際に、瞑想の手法として、夜寝る時にそこに到るまでの一日に起きたことを遡って思い出していくというのがある。

そうすると、必ずどこかで記憶の空白があったりするという。そこが自分の弱点だというわけである。

別のところで聞いた話では、振り返っていってただそれを眺めていく。そうやっていくと、過去と別れられるのだという風に聞いた。

ただ、この瞑想法はかなり疲れるので、やる時はご注意を。


というわけで、いつも通り、しばらく前の回顧でもやろう。

今日のタイトルは、カタカナを訳すると回顧の、とかいう意味になる。回顧で後顧で結局前じゃないか?という冗談である。

それと、とある曲名の韻を踏んでいる。そこはまったく関係ないので、忘れたまえ。

やる気になったらここで自伝的な文を綴ってカテゴリとタイトルにしようかとは思わなくもない。が、期待は気体より掴み難いほどにしておくのが吉である。


さてさて。どうにもこうにも流れたとしか思えない、しばらく伏せていた話を公開しておく。


ある日。近所のお店でライブイベントがあり、気が向いたので見に行くことにした。

時折そこで手伝いというかバイトというかをしている人がいて、実はインディーズバンドの人なのだが、その人が出演するという。

本当に歌っているのかな?という意地悪な理由で見に行ったのである。

実際に歌っていたので、事なきを得た。いや、その表現はおかしい。


その凡そ一週間後にもイベントがあり、拙は出席予定で休みを取っておいたのだが・・・。風邪を引いて寝込んでいた。

前日に欠席の電話をし、当日も寝ていたら、何故かその店の店長から電話が来る。

「あ、用があるのは別のやつなんで」と、すぐに交代し、電話口に出たのは、上記のバンドの人であった。その日も手伝いに来ていたそうなのだが、風邪は大丈夫か?という挨拶の後に、こう切り出してきた。

「実は、この前のライブに来ていたうちのお客さん(バンドとしてのという意味らしい)の一人が、安生さんに一目惚れした」と。

それで、お客さん(この場合はこっち)のことを勝手にしゃべるのもいけないと思ったんで、彼女いるとかいないとか伝えても構わないか?という許諾を貰うための電話だった。

「いてもいいんじゃね?」とか「夢の中におるんじゃね?」とかとぼけておいて、実際にはおらぬことを伝えても構わないとし、電話は終った。

しかし、もっとボケるべきだった。「彼女いるの?」「いらん」とかいうやり取りを。これは後で思い出したが、恐らく通じまい。

覚えている人もいるかもしれないが、この後寝ていたら、背中と腰がひどく痛み出し、次の日の出勤中に電車の座席に座っていたら、動けなくなるんじゃないかと思うほどになったという話は、このことだったのである。


さてそれから何日かして。


せっかくだから、会ってみようとなり、そのお店でセッティングしてもらった。

普段、電話を意識して持ち歩くのは仕事の行き帰りぐらいで、近所(歩いて一時間前後ですら)に行く時は持たないので、その日も持たずに会いに行ったものである。

面会は終わり、帰ってから連絡先なんぞ教えてないことを思い出した。一目惚れしてきたのはあっちだし、その気があるならと、電話番号を伝えてもらうように、店長からバンドメンに伝えてもらうようにお願いしておいた。

バンドメンからその知り合いに、それから例の女性へという流れなので、伝言ゲームになりそうだが、致し方ない。


そして時は流れ・・・。二週間ほど経ったが何もない。


今から十日ほど前に、見知らぬ番号から着信があった。これかな?と思い、仕事の帰りにその店に立ち寄ると、店長がいう。

「バンドの人が安生さんに電話したそうだけど、出ないんだっていってた」と。その電話があったのは夜勤の最中で、電話はロッカーに仕舞っているので出られない。

何ゆえ彼から電話が来るのか?酒を頼んで飲み始めながら店長と雑談すると、経験があるのか、こういった。

「新しい恋を探しましょうや」と。


さてもさてとて、この間の日曜だったか。また昼に例の店に伺い、「バンドの人はいつくるかね?」と聞いてみたら、なんとその日の夜に来るという。

「よし。じゃあまた後で」としこたま飲んだ後、しばらくうろついてから家に帰り、そして寝ていたら、来るといっていた時間丁度に、店長から電話が来た。

「電話、かわるかね」というのだが、少し逡巡してから行くことにして電話を切ったが、予定より四十分ほど寝過ごしてしまった。

店が見えるところに来たところ、出て行く車が一台。店に入ると、「丁度すれ違ったみたいだ」と言われる。何か予定があったそうで、帰らなくてはならなかったそうだ。

そして、未だに連絡はないのである。自棄を起こして留守録に「YesかNoかだけでもメールしてくれ」と入れておいたが、返事はない。

色々忙しい方でもあるので、これ以上追求することはしないが、例の店に言伝出来ないほどのことなのか(その店長も加担している件なのだし)、それとも別の話があるのか。

別の話があるならあるで、彼が答えるべきは一つである。「電話番号を伝えたのかどうか」である。

伝えたなら、その女性がこちらに興味がなくなったとかで、それで電話が来ないのなら別に問題ない。

伝えられなかったというなら、上記の埒内でもあろうし、また別の問題があったせいとしても、そんな話は後でも聞ける。


こういうと言い過ぎになり得るし、またこの手の話かと思われるかもしれないが、もう少し続ける。

そのバンドの人は、何でも、オーラが見えるのだとか。それのせいで余計な気を揉んでいるのだとしたら、申し訳ないが、大きなお世話である。

いきなりこれこれこう気をつけないと、彼女と上手くいきませんよ、などと言い出したら、杯を叩きつけて店を後にしかねないだろう。そんなことは聞いていないからである。

それを語るにしても、上記の質問に答えてからである。だから、おかしい。

色々と手伝ってもらっておいていうのもなんだが、電話番号のこと以外は頼んでいないのだから、もし上記の推測通りに気を揉んでいるなら、それ以外に言葉はない。


というわけで、今も困っている。


さて。ここからは冗談である。


ここしばらく、バンドの人が何を拙に伝えようとしているのかと、店長と冗談を言い合っていたのだが、彼はオーラが見えるだけでなく、お払いの手順だかも知っているらしく、その店を以前、お払いしたのだとか。

それで、拙に除霊の手伝いをさせるのだろうとか、キョンシー退治に借り出すのだろうなどと言っておった。

どっちも経験がないので、もしそうなったら大変だ。準備をしておかねばなるまい。


だから、その準備として、拙は「気」を揉んでいるのである。


では、よき終末を。