ウヰスキーのある風景

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マイペースという名のユアペース

2014-07-19 | 雑記
さてさて。今日もちょっと噛み付いてみようかと思う。


前回のラヂヲで、「マイペースじゃだめなんですか?」という話に言及しておいた。
ブログのコメント欄にあった話である。


ラヂヲで言ったことをそのまま書いておく。


マイペースじゃダメか?と聞くのは、マイペースとやらで居たいからだろう?
良いか悪いかじゃなくて、居たいか居たくないかではないのか?と。


もう一つ言っておく。


いちいち人にお伺いを立てないと、自分のことも判断できないのか?




と、まあ、コメント欄で返信したことからしたら、実に変心したといわざるを得ないようなことに思い至った。


仮に、わしが神様だったとしても、そんなことを判断するのはわしの役目ではないのである。

なんせこの世界というのは、「あなたが望んだ通りに過ごす」ためにあるそーだ。

何をどう望んでいるかは、実際は忘れがちだそーな。そのあたりは、どこぞのトランなんとかでも読んでくれ。さして時間はトランから。



ところで。


マイペースじゃダメなんですか、という質問は、やはりおかしい。


そのことは以前触れたので、繰言になるが、もう一度考えてみよう。



ダメだ、と答えたとしよう。質問された方は、「そうかダメか」と心を入れ替えて、社会運動とやらに身を投じることになったとしよう。
(質問の元が、社会運動がどうのこうの、というところから来ている。)

そーやって社会運動頑張っているあなたの「ペース」は何ペースなのか?

マイペースじゃないというのか?確かに、ダメだといったが、どうして心を入れ替えて動き始めたのだ?

嫌々やっていたのか?嫌々やっていたのなら、それはマイペースとは呼べそうにないが、無心に働いていたとしたら、それはなんだ?


次に、よい、と答えたとしよう。質問された方は「じゃあマイペースで」となるわけだが、一つ待って欲しい。

マイペースとやらが、どうしてわしの言に左右されるのか?それはマイペースなのか?

マイペースって言葉が大体、非難がましい意味で使われているので、その意味から敢えて言えば、マイペースという言葉を盾に、怠けたいから言っているのではないのか?と。
ただし、別に怠けたいのを否定しているわけではない。



前にも書いたかしゃべったかしたが、マイペースの反対に位置するものは、他人のマイペースでしかない。人なのか、レプティリアン脳とやらを刺激された集団ヒステリーといった、場合によってはひどく危険になり得るものなのかは知らぬ。



人間というのは、実際は他人でしかない意識で認識している状態を、自分自身だと勘違いしている。
マイペースだとかなんとかいうのも、その意識とやらの話でしかないのである。
マイペースだと思っているのも、「他人」のペースだというわけである。

マイペースだとかなんとかいう、しょうもない言葉は、一度かなぐり捨ててみては如何だろうか。

余談だが、「わたしはなるべく本音でいうようにしてきました」とどこかの誰かさんが言っていたが、本音だと思い込んでるだけなんじゃないか?と、今となってはそう思うものである。どこの誰とは敢えて言わんがな。



で、改めて以前にも言った事を。

だからといって社会運動をしろ、という意味ではない。


判らんか?



あなたのしたいことを、したいようにすればよい。自分で判断して、な。



わしは何度も言ったが、社会運動なんぞ無意味だと感じているので、推奨なんぞしたこともない。
あったかもしれんが、少なくとも、今はそんな気持ちは無い。

ただ、質問された方は、何にせよ「社会運動とは必要なのだ」と思っているからこそ、聞いて来たのだとも言える。
そう思う理由は、大体、何かに吹き込まれただけだとは思うが、これ以上は冗長に過ぎるので、やめておく。


もう一度言う。

マイペースだとかなんだとか、邪魔な言葉は一度かなぐり捨てて、何がしたいのかを考えよ。


そうやってから、ようやく本当の意味での「マイペース」が現れてくるんじゃないかと思う。


さて、もう一つ思い出したので、付け加えておく。


マイペースで居たい理由が怠けたいからだったとしよう。ただ、それを否定しているわけではないとも書いた。
これ(マイペースじゃダメなのか)は、己のやることに正当性を与えなければ何も出来ないという、現代人の脆弱性そのものである。

正当性がない、もしくは与えられていないものには罪悪感を感じるというこれは、悪循環をただただ広めるだけであるが、これについては後日改めて書こうと思っている。これでも予定オーバーなのでな。



で、そうやって散々えらそうなことを言っているお前はどうなんだ?と、絶対に思うだろうが、こうとしかいえぬ。


手前にもわかりませぬ



では、また来世。