しゃべっていくか書くかそれが問題だ、とはシェークスピアは言ってないが、先日は鯨飲したので、しゃべるのがしんどい。とかいいつつしゃべったりするかもしれないが、書く。
最近は書いてもしゃべっても罵倒ばっかりなので、ついにわしは観音様になってしまったんだなぁとフェアシュティーゲンハイトしてたが、それは馬頭観音である。怒っているところだけ共通。
観音様の方は、衆生のために、怒りでもってお救いなさるそうである。
じゃあ、お前はといわれたら、こういうことにしようか。
「あなたはわたし、わたしはあなた、とかいうんで、結局わしのためである」と。
こーいうことをダラダラ書くから、しゃべったほうが早い、となるのだが、しゃべるともっと長い。夜勤明けなんで、寝かせて欲しい。
ではともかく。
かつて、とある国会議員だったと思うが、あほらしい言葉を世に放って、非難轟々になった。
その発言は、覚えている人もいるだろうが、こうである。
「女性は産む機械」と。
女性蔑視である!といった方面からまず大きな声が上がったようである。女性には頭が上がらないが、亀の頭が上がったりはする。そっちは上げる相手を選びたいところではある。
で、作家の石田衣良だったように記憶しているが、忘れた。街中(といっても都心方面)の駅で置いてある、『R-25』とかいう無料雑誌の巻末コラムで、氏がこんな風なことを言っていた。
「あれは女性蔑視などではない。男性については「働く機械」などと平気で言うだろう」と。
例の巻末コラムは、週代わりでもう一人執筆者がいたので、そっちだったかもしれない。イシダイラ殿、間違えていたらすまない!
その上、もう一人の執筆者の名前は完全に失念している。申し訳ない!
こんな話を持ってきてなんだ?と思われるだろうが、当方も似たような事を経験したので、もうここを読んでいるとは思えないが、「その御仁のために」敢えて書こうと思う。
となると・・・暇何とかか?と、ここ最近のラヂヲやら記事を読んだ人は思い当たるだろう。
ではその御仁とわざと書いているのは?というのは、直接の関係者ではないからである。
然る、迷える子羊が、血迷って谷のおばはん(一時期の暇何とかのメンバーだった、とは以前に)のところにメールを送ったそうだ。
「フルータリアンの旦那さんを探しているんです。どうしたらいいでしょうか?」といった内容の。
偽清のおっさんのHPのオーガズムインポテンスがどーのこーので、youもオーガズムインポテンス超克しちゃいなyo!と、そーいうノリじゃないが、平たく言えばそんなノリがあったので、わしに紹介してきた。
常々言ってきたが、別に「嫁」なんぞいらんのである。ああ!お前の嫁はDドライブに入っているんだな!とかいうネタでもない。
「道徳的」な観点で言えば猥らな関係、とかいう状態が人間には必要である!!という程度なのであった。
だから、谷のおばはんの勘違いも甚だしいが、それはともかく。
そして、わしにメールが直接届き始めた。
メールが来たこと自体はどうでもいい。
違和感が激しかったが、なるべく気にしないようにメールを返していた。
で、ある日を境に、ぱったり来なくなった。
来なくなる直前のわしのメールは確かにおかしかった。
「フルータリアンは夏は塩分とらなくても平気なんですか?」とかいうから、その場で色々調べてリンクをいくつかはって、ワケノワカランメールを返したら来なくなった。
それと同時期にあった、以前のラヂヲの「振られた感じになった云々」を聞いたのかもしれない。
ま、それはともかく。
一回目からのメールだと思うが、こういう風に自己紹介していた。
「子供をフルータリアンで育てたいんで、フルータリアンの旦那を探しているんです」
谷のおばはんからもう聞いたよ、という他に何やら違和感があった、と上述した。
で、さっきのコッケイな国会議員の告解を読み直して欲しい。
文字を置き換えよう。
「男性は子供を作る機械」とやればいいか。
子供をフルータリアンで育てたい、とかいうんなら、精子バンクに行って人工授精して、それを産んで育てればいい。養子を貰うというのもある。
わしである必要、あったか?そもそも、旦那なんぞいるのか?そのために?
手段と目的を履き違えて、人間性とやらをかなぐり捨ててないか?
もう一つ。
その女性は、母御が何やらひっくり返ったので、自分もひっくり返りそうになるのを堪えつつ、色々読んで、今度はひっくり返ったそうだ。
「人間は、体に悪いものを食べてきた!!果物が正しい!」というあれ。
で、フルータリアンになろうと決意したそうだ。
健康は目的だろうか?手段だろうか?
いつものアイクの話を引用しておく。
「健康であることに越したことはないが、健康だからといって気づけるものではない」と。
谷のおばはんがいつぞや、「ガンにならないようにする方法を調べて書いてたら、なにやらわからなくなった」とかブログにやっていた。去年の話である。
その引用した医者の話では、「ガンで死ぬときは、セックスの300倍(当社比)気持ちいい」とかなんとか。実際に死んできて語ってるわけではないことをお断りしておく!
病気というものは悪いものか?不健康な状態というのは本当に悪いことなのか?死ぬことは恐ろしいだけのものなのか?
それらを悪いだけのものとして、さらに問う。
では、生きているということは良いだけの状態ことなのか?
良いか悪いかで語るなら、わしやあなたが生まれてきたことは良いことなのか?
地球は良いのか?今の自転は正しいか?月が来て公転だか自転が変わった(アイクの相棒の話などにあるアレ)から、今の地球は悪いのか?月を壊せば孫悟空(ドラゴンボールのね)は人の姿に戻るが、元に戻ったとかいう地球は良いものなのか?今の地球が前の地球と同じ状態でないから悪いとするなら、現時点での地球に対する良い行いとやはら正しいのか?
フェアシュテーゲンハイトとは、死から目を背け、逃げ続ける状態、という話を、先日しゃべった。
いわば、不快から目を背け、逃げているだけの状態は、小フェアシュティーゲンハイトというやつである。
野口晴哉が言っていたが、「不快の中に快があり、また快の中に不快がある」と。
ニーチェもいう。快楽は副産物であって、為そうとした行為の目的ではないのだと。
誰にも彼にも不安はある。人間というのは不安があるからこそ人間だとも言える。
死ぬことといい、不快といい、常に人の傍らにある。今、そこに、いつも、ある。
では、逃げたら消えるか?風邪薬で不快症状を抑えることが本当に風邪という不安を越えたことになるのか?
「正しい」食生活をして、病気にならず、若さを保ち続けることが、ただ良いだけのことか?
いずれ死ぬのにか?死ぬときになんというのだ?そいつらは?「死にたくない!」か?
不安もまたあなた自身である。では、自分から逃げてどこへ行く?
果物を食わなくなった人類は、狂人の一種になっていると、『レフト・イン・ザ・ダーク』で、トニー・ライトはある高名な精神科医の分析を引用していたが、その狂人もまた、あなた自身である。
果物食って狂人を脱しつつある!万歳!!ってか?
その態度は、つまり、不安に振り回されているだけである。
不安が問題ではないのである。不安に対するあなたの態度が問題を起こしているのである。
世はまさに、フェアシュティーゲンハイ党のコッケイ議員の時代である。
ニワトリのようにコッケイコッケイとわめくだけで、毎度みなひっくり返る。
ついにはまっすぐ立てなくなるので、酒などなくても酔っ払えるということである。
つまり、脳にチップなど埋め込まなくても問題なく、人類は統制されているのである。
世は真に太平である。
最近は書いてもしゃべっても罵倒ばっかりなので、ついにわしは観音様になってしまったんだなぁとフェアシュティーゲンハイトしてたが、それは馬頭観音である。怒っているところだけ共通。
観音様の方は、衆生のために、怒りでもってお救いなさるそうである。
じゃあ、お前はといわれたら、こういうことにしようか。
「あなたはわたし、わたしはあなた、とかいうんで、結局わしのためである」と。
こーいうことをダラダラ書くから、しゃべったほうが早い、となるのだが、しゃべるともっと長い。夜勤明けなんで、寝かせて欲しい。
ではともかく。
かつて、とある国会議員だったと思うが、あほらしい言葉を世に放って、非難轟々になった。
その発言は、覚えている人もいるだろうが、こうである。
「女性は産む機械」と。
女性蔑視である!といった方面からまず大きな声が上がったようである。女性には頭が上がらないが、亀の頭が上がったりはする。そっちは上げる相手を選びたいところではある。
で、作家の石田衣良だったように記憶しているが、忘れた。街中(といっても都心方面)の駅で置いてある、『R-25』とかいう無料雑誌の巻末コラムで、氏がこんな風なことを言っていた。
「あれは女性蔑視などではない。男性については「働く機械」などと平気で言うだろう」と。
例の巻末コラムは、週代わりでもう一人執筆者がいたので、そっちだったかもしれない。イシダイラ殿、間違えていたらすまない!
その上、もう一人の執筆者の名前は完全に失念している。申し訳ない!
こんな話を持ってきてなんだ?と思われるだろうが、当方も似たような事を経験したので、もうここを読んでいるとは思えないが、「その御仁のために」敢えて書こうと思う。
となると・・・暇何とかか?と、ここ最近のラヂヲやら記事を読んだ人は思い当たるだろう。
ではその御仁とわざと書いているのは?というのは、直接の関係者ではないからである。
然る、迷える子羊が、血迷って谷のおばはん(一時期の暇何とかのメンバーだった、とは以前に)のところにメールを送ったそうだ。
「フルータリアンの旦那さんを探しているんです。どうしたらいいでしょうか?」といった内容の。
偽清のおっさんのHPのオーガズムインポテンスがどーのこーので、youもオーガズムインポテンス超克しちゃいなyo!と、そーいうノリじゃないが、平たく言えばそんなノリがあったので、わしに紹介してきた。
常々言ってきたが、別に「嫁」なんぞいらんのである。ああ!お前の嫁はDドライブに入っているんだな!とかいうネタでもない。
「道徳的」な観点で言えば猥らな関係、とかいう状態が人間には必要である!!という程度なのであった。
だから、谷のおばはんの勘違いも甚だしいが、それはともかく。
そして、わしにメールが直接届き始めた。
メールが来たこと自体はどうでもいい。
違和感が激しかったが、なるべく気にしないようにメールを返していた。
で、ある日を境に、ぱったり来なくなった。
来なくなる直前のわしのメールは確かにおかしかった。
「フルータリアンは夏は塩分とらなくても平気なんですか?」とかいうから、その場で色々調べてリンクをいくつかはって、ワケノワカランメールを返したら来なくなった。
それと同時期にあった、以前のラヂヲの「振られた感じになった云々」を聞いたのかもしれない。
ま、それはともかく。
一回目からのメールだと思うが、こういう風に自己紹介していた。
「子供をフルータリアンで育てたいんで、フルータリアンの旦那を探しているんです」
谷のおばはんからもう聞いたよ、という他に何やら違和感があった、と上述した。
で、さっきのコッケイな国会議員の告解を読み直して欲しい。
文字を置き換えよう。
「男性は子供を作る機械」とやればいいか。
子供をフルータリアンで育てたい、とかいうんなら、精子バンクに行って人工授精して、それを産んで育てればいい。養子を貰うというのもある。
わしである必要、あったか?そもそも、旦那なんぞいるのか?そのために?
手段と目的を履き違えて、人間性とやらをかなぐり捨ててないか?
もう一つ。
その女性は、母御が何やらひっくり返ったので、自分もひっくり返りそうになるのを堪えつつ、色々読んで、今度はひっくり返ったそうだ。
「人間は、体に悪いものを食べてきた!!果物が正しい!」というあれ。
で、フルータリアンになろうと決意したそうだ。
健康は目的だろうか?手段だろうか?
いつものアイクの話を引用しておく。
「健康であることに越したことはないが、健康だからといって気づけるものではない」と。
谷のおばはんがいつぞや、「ガンにならないようにする方法を調べて書いてたら、なにやらわからなくなった」とかブログにやっていた。去年の話である。
その引用した医者の話では、「ガンで死ぬときは、セックスの300倍(当社比)気持ちいい」とかなんとか。実際に死んできて語ってるわけではないことをお断りしておく!
病気というものは悪いものか?不健康な状態というのは本当に悪いことなのか?死ぬことは恐ろしいだけのものなのか?
それらを悪いだけのものとして、さらに問う。
では、生きているということは良いだけの状態ことなのか?
良いか悪いかで語るなら、わしやあなたが生まれてきたことは良いことなのか?
地球は良いのか?今の自転は正しいか?月が来て公転だか自転が変わった(アイクの相棒の話などにあるアレ)から、今の地球は悪いのか?月を壊せば孫悟空(ドラゴンボールのね)は人の姿に戻るが、元に戻ったとかいう地球は良いものなのか?今の地球が前の地球と同じ状態でないから悪いとするなら、現時点での地球に対する良い行いとやはら正しいのか?
フェアシュテーゲンハイトとは、死から目を背け、逃げ続ける状態、という話を、先日しゃべった。
いわば、不快から目を背け、逃げているだけの状態は、小フェアシュティーゲンハイトというやつである。
野口晴哉が言っていたが、「不快の中に快があり、また快の中に不快がある」と。
ニーチェもいう。快楽は副産物であって、為そうとした行為の目的ではないのだと。
誰にも彼にも不安はある。人間というのは不安があるからこそ人間だとも言える。
死ぬことといい、不快といい、常に人の傍らにある。今、そこに、いつも、ある。
では、逃げたら消えるか?風邪薬で不快症状を抑えることが本当に風邪という不安を越えたことになるのか?
「正しい」食生活をして、病気にならず、若さを保ち続けることが、ただ良いだけのことか?
いずれ死ぬのにか?死ぬときになんというのだ?そいつらは?「死にたくない!」か?
不安もまたあなた自身である。では、自分から逃げてどこへ行く?
果物を食わなくなった人類は、狂人の一種になっていると、『レフト・イン・ザ・ダーク』で、トニー・ライトはある高名な精神科医の分析を引用していたが、その狂人もまた、あなた自身である。
果物食って狂人を脱しつつある!万歳!!ってか?
その態度は、つまり、不安に振り回されているだけである。
不安が問題ではないのである。不安に対するあなたの態度が問題を起こしているのである。
世はまさに、フェアシュティーゲンハイ党のコッケイ議員の時代である。
ニワトリのようにコッケイコッケイとわめくだけで、毎度みなひっくり返る。
ついにはまっすぐ立てなくなるので、酒などなくても酔っ払えるということである。
つまり、脳にチップなど埋め込まなくても問題なく、人類は統制されているのである。
世は真に太平である。