環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

エコロジー的近代化論(環境近代化論)

2007-03-14 07:14:22 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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これまでの話から、現在の市場経済システムが「資源・エネルギーの制約」と「廃棄物処理問題」によって、遠くない将来、行き詰まる可能性が高いことを、わかっていただけたと思います。現行経済の拡大方向に将来がないのであれば、新しい経済成長の道を考えなければなりません。

日本が「経済の復興」に死にものぐるいになっていた第2次世界大戦後、ヨーロッパの先進諸国は、戦後の経済再建が完了した時点で、「福祉国家の建設」を政治目標に掲げるようになりました。そして20世紀後半になって環境問題が顕在化してくると、福祉国家(人を大切にする社会)を超えた「持続可能な社会」(人と環境を大切にする社会)の実現を模索しはじめました。
 
国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」が1987年に提唱した「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念は、そうした動きのなかから生み出された代表的な考え方です。経済のグローバル化が進展し、地球上のさまざまな地域が「開発」に対して一様ではない思惑を持つなかで、国連の「持続可能な開発」という概念は地球温暖化に代表される環境問題の表面化とあいまって国際的に議論され、さまざまな解釈を生み出しました。
 
そのなかでも、 「エコロジー的近代化論(環境近代化論:Ecological Modernization)」は、「環境」「経済」の統合(調和、両立などの表現もある)の必要性を模索する国際的な議論のなかで、ドイツのヨゼフ・フーバーによって80年代中頃に提唱され、マルティン・イェニッケらによって広められた考えで、「持続可能な開発」の主流の解釈として、90年代初め頃から日本でも知られるようになりました。その結果、ドイツ詣でが始まり、90年代の「環境白書」にもドイツの環境活動の動きが取り上げられたのです。
 
この考えは、たいした議論も批判もなく日本の社会に受け入れられ、定着してしまったように見えます。 


でも、よく考えてみてください。私の環境論(2月12日のブログ) のように、初めから「環境」と「経済」を一体化して考えていれば、「環境と経済の統合」という考え方はあり得ないはずです。20世紀には「環境」と「経済」は別ものと考えられていたからこそ、20世紀後半になって深刻化した環境問題を前に、両者の統合の必要性が認識されるようになったのではないでしょうか。 








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