環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

エコロジー的近代化論の問題点 

2007-03-15 20:56:33 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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エコロジー的近代化論は「環境問題が市場システム社会により構造的に生み出される問題であること」は認めるものの、経済・社会・政治などの制度や技術開発のあり方を根本的に見直すことはせず、経済拡大を前提とした現行制度の改善や技術開発によって「市場システムをより環境に配慮したものにすること」をめざすものです。この考えには、2つの大きな問題があります。

市場経済システムのもとで、生産・消費・余暇などの活動を広げれば、環境を構成している「生態系」に負荷がかかります。1月19日のブログ「環境への人為的負荷」に書きましたようにその負荷が、私たちが生きるために行なう「ある範囲の温度・湿度・気圧・重力のもとで、光を浴び、空気を吸い、水を飲み、食物をとる」、つまり汚染された大気や水・土壌・食品を取り込む行動を介して、「人体への負荷」という形に収斂されるのです。

環境が許容限度ぎりぎりの状態に達しているいま、経済活動がさらに拡大した場合、先進工業国は財政的にも技術的にも環境問題の影響を最小限にとどめることができますが、工業化が遅れている国々は必要以上の影響を受けてしまいます。

これは「現世代内の不公平さ」が生じたことであり、この問題を指摘したのが「世代内公平」という考えです。1987年に提唱されたWCEDの「持続可能な開発」の考え方には、「将来世代の公平」とともに、「現世代内の公平」の考え方が含まれ、重視されていました。

エコロジー的近代化論は「20世紀の経済・産業論よりも企業の生産部門で環境に配慮している」という点ではたしかに大きな前進ですが、「消費活動の環境への配慮」が不十分なため、経済成長が「生態系」や「生態系に及ぼす蓄積的な影響」を、基本的には無視しています。  

この考え方でつくられる経済政策の背景には、さらなる経済成長を正当化するために「環境への配慮を利用する」というイデオロギー的要素が含まれているからです。 


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