「日本のために祈っていた。日本を元気づけたいと思って乗っていたし、日本のために勝ちたいと思っていました。僕は日本を愛しています」
歴史的な勝利を収めたドバイワールドカップでのヴィクトワールピサ、日本で調教された馬が、1着・2着を独占したレースの模様は、27日早朝から終日、日本のTVで放映され、インターネット上でも称賛された。
翌28日のスポーツ各紙をはじめ一般紙でも報道される偉業達成である
冒頭の言葉は、その世紀の立役者となったM.デムーロ騎手の嬉しさが込み上がるコメントの一部である。
東北関東大震災で憔悴している日本を元気づけようと、大の親日家であるM.デムーロ騎手は、勝利の瞬間右袖につけた喪章を何度か叩いたとのこと。
日本の競馬関係者が、何度も世界に挑戦した結果、ついにUAEドバイのメイダン競馬場で開催される世界最高賞金のビッグレース・ドバイワールドカップで、日章旗が舞い、国家が斉唱されるとは・・・・・夢のようなビッグニュース。
既に報じられているように、ヴィクトワールピサのスタートが悪く最後方からの追走となったが、馬群を引っ張る日本馬・トランセンド(藤田伸二騎手)がスローに落としているのを感じて、向こう正面から大外を一気に先団に上がって、トランセンドと馬体を合わせるような・・・・・M.デムーロ騎手の好判断と好騎乗。
日本のジョッキーには、ちょっと真似ができないだろう・・・・。
普通であれば、最後まで脚が持たないと思われるような騎乗であるが、2010年有馬記念では最内枠を利して最短距離で、ブエナビスタより前で競馬をしてハナ差退けた好騎乗、2走目の中山記念では、力上位と見て後方からゆったりと追走させての勝利、ヴィクトワールピの力を信じてその場の状況に併せたM.デムーロ騎手の騎乗ぶり・・・・・同馬に2度騎乗し、すっかり手のうちに入れていたからこその芸当である。
短期免許で来日し13年、日本大好きの同騎手のドバイでの熱い思いが実を結び、日本への大きなプレゼントを運んでくれたものである。
くしくも、27日は日本でもG1レースが開催されており、この日が最後の騎乗となるU.リスポリ騎手が、「高松宮記念」でキンシャサノキセキに騎乗し見事に勝利に導いた・・・・・先輩のM.デムーロ騎手に刺激されての勝利。
U.リスポリ騎手は、今年初来日しJRA通算28勝(27日現在)で、G1を含む重賞3勝と随所に好プレーが見られた。
また、今回の大震災では、母国・イタリアの家族から帰国するようにと言われたが最後まで日本にとどまり、右袖に喪章をつけてM.デムーロ騎手同様熱き思いでレースに臨んでいたとのこと・・・・被災地への募金も行っている。
すっかり、日本が好きになり・・・・・来年も短期免許で再来日したいとのこと。
第二次世界大戦では、イタリアと日本は同盟関係にありそのことからも日本びいきのDNAが流れているとの話もある・・・・・イタリアの方々の身体に。
最後の日にG1を勝利したU.リスポリ騎手、「3ヶ月、とても幸せであった。たくさんの場所でたくさんの乗せてもらえた。日本での経験は自信になったし、必ず来年、また日本に戻ってくる」と、熱い思いを語って日本を後にしたとの報道。
この日最後となる7鞍騎乗のリスポリ騎手には、当方も阪神6レースの②エリンコートで大変いい思いをさせてもらった・・・・相手は、岩田康誠騎手騎乗の⑧ピュアブリーゼとのウマタン折り返しの2点勝負がハマった。
最終レースの⑭トーセンレーヴ、「これまでのレーヴと違って、引っ掛かった。もっと後ろから構えたかったが・・・・」と、U.リスポリ騎手のコメント。
初の多頭数のもまれる競馬で、引っ掛かったのだろうか・・・・そのため、得意の末脚も不発に終わり、皐月賞へは出走できないとのこと。賞金面から・・・・。
トーセンレーヴが皐月賞でどのように立ち回るものかと、大きな期待をかけていたが残念な結果に終わってしまった。
しかし、二人の情熱的なイタリアンジョッキーには、この日は興奮させられた・・・・またの来日を楽しみにしたい
追っかけ馬でもあった「キンシャサノキセキ号」が、引退するとのこと。
長い間、お疲れさんでした。機会があったら、会いに行きたいものですね。(夫)
[追 記]
2011年高松宮記念(GI)などGIレースを2勝したキンシャサノキセキ号(牡8歳 美浦・堀 宣行厩舎)が、引退することになりましたのでお知らせいたします。
なお、同馬は今後、社台スタリオンステーションにて種牡馬となる予定です。
(出典:JRA公式HP)
「お疲れさんでした。」(キンシャサノキセキ号)
参考資料:競馬エイト、サンスポ、JRA-VAN NEXT他
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歴史的な勝利を収めたドバイワールドカップでのヴィクトワールピサ、日本で調教された馬が、1着・2着を独占したレースの模様は、27日早朝から終日、日本のTVで放映され、インターネット上でも称賛された。
翌28日のスポーツ各紙をはじめ一般紙でも報道される偉業達成である
冒頭の言葉は、その世紀の立役者となったM.デムーロ騎手の嬉しさが込み上がるコメントの一部である。
東北関東大震災で憔悴している日本を元気づけようと、大の親日家であるM.デムーロ騎手は、勝利の瞬間右袖につけた喪章を何度か叩いたとのこと。
日本の競馬関係者が、何度も世界に挑戦した結果、ついにUAEドバイのメイダン競馬場で開催される世界最高賞金のビッグレース・ドバイワールドカップで、日章旗が舞い、国家が斉唱されるとは・・・・・夢のようなビッグニュース。
既に報じられているように、ヴィクトワールピサのスタートが悪く最後方からの追走となったが、馬群を引っ張る日本馬・トランセンド(藤田伸二騎手)がスローに落としているのを感じて、向こう正面から大外を一気に先団に上がって、トランセンドと馬体を合わせるような・・・・・M.デムーロ騎手の好判断と好騎乗。
日本のジョッキーには、ちょっと真似ができないだろう・・・・。
普通であれば、最後まで脚が持たないと思われるような騎乗であるが、2010年有馬記念では最内枠を利して最短距離で、ブエナビスタより前で競馬をしてハナ差退けた好騎乗、2走目の中山記念では、力上位と見て後方からゆったりと追走させての勝利、ヴィクトワールピの力を信じてその場の状況に併せたM.デムーロ騎手の騎乗ぶり・・・・・同馬に2度騎乗し、すっかり手のうちに入れていたからこその芸当である。
短期免許で来日し13年、日本大好きの同騎手のドバイでの熱い思いが実を結び、日本への大きなプレゼントを運んでくれたものである。
くしくも、27日は日本でもG1レースが開催されており、この日が最後の騎乗となるU.リスポリ騎手が、「高松宮記念」でキンシャサノキセキに騎乗し見事に勝利に導いた・・・・・先輩のM.デムーロ騎手に刺激されての勝利。
U.リスポリ騎手は、今年初来日しJRA通算28勝(27日現在)で、G1を含む重賞3勝と随所に好プレーが見られた。
また、今回の大震災では、母国・イタリアの家族から帰国するようにと言われたが最後まで日本にとどまり、右袖に喪章をつけてM.デムーロ騎手同様熱き思いでレースに臨んでいたとのこと・・・・被災地への募金も行っている。
すっかり、日本が好きになり・・・・・来年も短期免許で再来日したいとのこと。
第二次世界大戦では、イタリアと日本は同盟関係にありそのことからも日本びいきのDNAが流れているとの話もある・・・・・イタリアの方々の身体に。
最後の日にG1を勝利したU.リスポリ騎手、「3ヶ月、とても幸せであった。たくさんの場所でたくさんの乗せてもらえた。日本での経験は自信になったし、必ず来年、また日本に戻ってくる」と、熱い思いを語って日本を後にしたとの報道。
この日最後となる7鞍騎乗のリスポリ騎手には、当方も阪神6レースの②エリンコートで大変いい思いをさせてもらった・・・・相手は、岩田康誠騎手騎乗の⑧ピュアブリーゼとのウマタン折り返しの2点勝負がハマった。
最終レースの⑭トーセンレーヴ、「これまでのレーヴと違って、引っ掛かった。もっと後ろから構えたかったが・・・・」と、U.リスポリ騎手のコメント。
初の多頭数のもまれる競馬で、引っ掛かったのだろうか・・・・そのため、得意の末脚も不発に終わり、皐月賞へは出走できないとのこと。賞金面から・・・・。
トーセンレーヴが皐月賞でどのように立ち回るものかと、大きな期待をかけていたが残念な結果に終わってしまった。
しかし、二人の情熱的なイタリアンジョッキーには、この日は興奮させられた・・・・またの来日を楽しみにしたい
追っかけ馬でもあった「キンシャサノキセキ号」が、引退するとのこと。
長い間、お疲れさんでした。機会があったら、会いに行きたいものですね。(夫)
[追 記]
2011年高松宮記念(GI)などGIレースを2勝したキンシャサノキセキ号(牡8歳 美浦・堀 宣行厩舎)が、引退することになりましたのでお知らせいたします。
なお、同馬は今後、社台スタリオンステーションにて種牡馬となる予定です。
(出典:JRA公式HP)
「お疲れさんでした。」(キンシャサノキセキ号)
参考資料:競馬エイト、サンスポ、JRA-VAN NEXT他
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