咲とその夫

 定年退職後、「咲」と共に第二の人生を謳歌しながら、趣味のグラウンド・ゴルフに没頭。
 週末にちょこっと競馬も。
 

久々に・・・御神本訓史騎手

2011-11-20 21:18:10 | スポーツ
 本日の東京競馬場、9レースでは松岡正海騎手負傷の代替で急遽騎乗で、障害レースを除くすべてのレースに騎乗の地方大井の御神本訓史騎手。

 早速、1レースでも単勝300倍近い11番人気馬に騎乗し、直線コース残り200mあたりまで、見せ場たっぷりの騎乗ぶり

 本日のWIN5対象レースの10レース⑪セレスマジェスティ、11レース⑭ナニハトモアレに騎乗、ここは、一発もあるかとWIN5の候補にいれてみた。

 今風(いまふう)でいえば、イケメンと呼ばれてもいい同騎手、南関東の大井競馬に所属する前には、日本一小さな競馬場であった益田競馬場(島根県)でデビュー。

 地方競馬学校時代も優秀な成績で卒業し、当初から南関東などでのデビューの話もあったとか。しかし、生まれ故郷の小さな競馬場で勝鞍を積み重ねていたが、バブル景気などの破綻による日本全体が不景気となり、地方競馬の経営状況も極めて厳しくなっていた。

 日本各地の地方競馬場も閉鎖という厳しい状況に追い込まれ、日本一小さな競馬場も漏れなく閉鎖の憂き目にあったとのこと・・・2002年8月。現在は地方・南関東などの場外馬券売り場。

 そのころ、JRAも武豊騎手に次ぐスター性のある若手騎手として、騎乗技術にも優れている御神本訓史騎手に白羽の矢を当てようかと考えたこともあったらしいが、地方競馬と中央競馬とのルールの違いなど高い壁があって、早々簡単に地方から中央へ移籍はできない。

 なお、翌年の2003年に中央で20勝を2度達成したら1次試験免除との特例ができて、中央移籍第1号には安藤勝己騎手が・・・地方・笠松競馬場から。

 このように御神本訓史騎手については、その素晴らしい騎乗技術から中央でも目に留まった逸材であったが、2002年10月から大井競馬にて騎乗するも2003年に落馬負傷。

 この不慮の事故で騎手生命を左右するほどのものであったが、不屈の闘志で懸命なリハビリに努め、2005年から完全復活。そして、1000勝を達成した2009年9月、不祥事により謹慎処分が続いた。

 その後、高知競馬場で期間限定騎乗により騎乗を再開できるようになり、2010年5月末から大井競馬場にて本格的に騎乗できることとなったらしい。

 優秀な成績で競馬学校を卒業し、将来を嘱望される騎手であったがこれまで様々な事情もあり相当の苦悩と苦労をしながら今日に至っている同騎手。多くのファンが彼を支えているとのこと。

 本日、本当に久しぶりに中央競馬にて騎乗するその姿を見ながら、しっかりと応援してみよう・・・頑張れ、騎手・御神本訓史

 9R、10R、11Rの連続2着はすごいですね。当方、1着固定で応援していました。これからも時々中央競馬に顔を出してもらいたいものです。(夫)


(御神本訓史騎手・大井競馬三坂盛雄厩舎所属)

 参考資料:競馬エイト、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他

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