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咲とその夫

 思いもよらず認知症になった「咲」の介護、その合間にグラウンド・ゴルフを。
 週末にはちょこっと競馬も。
 

種子島入港!

2009-09-26 08:04:04 | 旅行
 昨夜は、ドレスコードがフォーマルの日でした。ディナーではお洒落な方々ばかり、少々緊張しました。


 飛鳥Ⅱに再三乗っている方、世界一周の話など、初めての船旅の私たちは驚く事ばかり。

 平均年齢が、75歳とか、ご一緒の一番のご高齢の方は98歳と聞き、第二の人生を暮すのに良い意味での刺激を貰いました。

 朝、種子島 西之表港に入港し、これからオプショナルツアーで屋久島観光予定。一度見たかった屋久杉を間近で見てきます。

旅の二日目!

2009-09-25 09:46:03 | 旅行
 旅の二日目、天候は晴れ。現在穏やかな海原の中、飛鳥は瀬戸内海をゆっくりと西に向かって航行中。

 ビスタラウンジでコーヒーを飲みながら、時々船長さんによる島々の船内放送から聞こえる案内を聞きながら瀬戸内海の小島を見ています。なんというゆったりと時間なんだろうと体感してます。


 10時00分から、救命胴衣を着けて、避難訓練があり。
 非難用ボートは、エンジン付き。飲料水・非常食・医療薬・信号弾・無線など完備で、150人乗りらしい。クルーが4名乗船とか。ボートは、10隻完備見たい!

 午後から、元NHKアナ、宮川泰夫さんの講演会予定。
 ”のど自慢”の裏話を聞き、出場者の中には色々な訳ありの人もいて、涙の出る感動の裏話に知らず知らず聞き入りました。
 また、裏方の苦労話もあり、毎週、金曜日から日曜日まで全国津々浦々をあるかれた様子を聞きました。

 今回は初めて聞く内容ばかりで、さすがプロのお話は聞く人の心を掴む話上手でした。

ティタイムには、コチラで美味しいイ飲み物とケーキやクッキーを存分にいただくなど贅沢のきわみです。







 夕方から、フォーマルなドレスコードで、緊張します!

神戸港から金沢港まで・・・・

2009-09-24 16:00:00 | 旅行
 本日(9/24)は、私の定年退職を記念した船旅の日です。
 いよいよ、今夜、神戸港を23時00分に出港し、種子島、佐世保、釜山、そして、金沢まで、6泊7日の船旅です。

 この後、客船は、佐渡、小樽、青森、横浜、神戸と日本一周します。
 
 何しろ、生まれて初めてのことなので、期待感一杯と、不安感も少々ありますが、大いに楽しみたいと思います。

 神戸港 中突堤旅客ターミナルで16時00分から16時45分の乗船受付です、あ・・そろそろ受付時間。

 行ってきま~す!!  


 そうそう、前日に横浜港から乗船のみなさんと合流のようです。

またまた北の大地へ(2008年旅行記)「前編」

2009-09-15 21:47:34 | 旅行
 2008年8月21日、早朝7時過ぎにY空港から羽田経由で千歳空港へフライト。結婚25周年目の思い出にと旅した「北海道 北の大地」に魅せられて、今回で5回目の旅行である。
 食べる物、見るもの、どれを取ってもすべてが満足、すっかりハマッテしまった感である。

新千歳空港に10時半過ぎに到着し、早速予約しているレンタカーの受け取りに、多くの見知らぬ観光客のみなさんと送迎用のマイクロバスに乗り込みニッポンレンタカー空港営業所に移動した。

 今朝、4時半起床なので少々眠いような気もするが、広大な緑の大地を走ると思うと眠気もどこかに・・・・・・である。

 ところで、6年前に初めて、レンタカーで北海道の一直線の道路を思い切って走っていたらオービスがピカリと・・・・一般道でオービスなの? と苦い思い出がある。「北海道では前に1台車を置いて走るように・・・」と、当時、函館のタクシー運転手に教えてもらった教訓を思い起こしながら、家内と手分けしてレンタカーに荷物を積み込み、初日の目的地である帯広方面に出発進行・・・・・・・・。
取りあえず「旧愛国駅」をカーナビにセット、ところが、今回は、ETC付きの車であることをすっかり忘れていたのである。「あ、ETCカードを忘れて来たわ!!」、「持ってきていないの?」と言いあいながらの出発である。

高速道路を軽快に走り、終点の夕張から一般道へ、暫く走っていると「道の駅」に差しかかり、そこで名物らしい「炭(たん)コロラーメン」を食べながら、その意味は?と思っていると、どうやら「夕張=石炭の町だから、煮豚の固まり=炭(たん)コロ」とのことである。

 折角の夕張、カットメロンが売られていたので、早速求めた、本当においしかった!! さすがである。

 一般道を走り、日勝峠を越えながら、随分と走った頃、帯広まで繋いでいる高速道路にやっと乗り継ぎ、目指す目的地に到着した頃には、既に15時を回っていた。
ツーリング中の若者に「旧愛国駅」の看板の前で家内とのツーショットのシャッターを押してもらい、思い出を残すことができた。

 次の目的地である、「植村直巳記念館」に移動したつもりであるが、いくら探しても「おびひろ動物園」とか「公園墓地」以外は見当たらないので、あきらめて「帯広競馬場にある競馬資料館」を目指した。

広い駐車場には、沢山の車、競馬は開催されていない。どうやら明日のレースの調教風景を見にきているらしい。駐車場の警備員の指示で車を移動し、資料館を目指すと閉館されていた。

「遠くS県から来たのに残念です」と警備員に言ったところ、「ばんえい競馬開催中に開きますので、明日からですわ・・・申し訳ないですね」とのことであった。残念そうにしていると、「今からばんえい競馬の模擬レース(調教)を行うので是非みてほしい。馬場に早く行ってみなさい。」とのことである。
 
 早速、馬場に向かうと、200メートルの直線に大小(1mと1.6mらしい)の台形の砂を入れた二つの障害物があり、とてつもなく迫力のあるばんえい競馬(ばんば)を目の当たりにし、馬の荒い息遣いが間近に聞こえて、ものすごい迫力である。
最後の難関のスロープに来ると鞭を何度も入れられながら、1トンもある鉄そりを引く姿に、家内は思わず「かわいそう」と言っていた。

そうこうしていると、先ほどの警備員の方が、ニコニコしながらやって来て「競馬場の係りの人がいて、これこれで、遠方から来られたので、何とか資料館を開けられないか」と交渉してくださったらしい、「30分程度であれば、館内を見ても良いとのことだから、早く行って見なさい」と、北海道に来て思わず親切な言葉をもらい感激しながら、資料館へ直行した。

「済みません、お金はいくらですか?」そしたら、職員の方が「今日は、お休みだから、貰えないよ。N県の方からいらっしゃったのかね」、「いいえ、S県からです。世界遺産のある県ですよ」と家内が言うと分かったようである。

「ばんば」の歴史、数も少なくなった馬(実は、欧州のベルシュロン種などの混血)、この馬達が、北の大地にいかに貢献したものか、長い「ばんば」の歴史を閉じたくないとの気持ちが通じ合って、今は帯広競馬場のみで「ばんば」が開催されているとのことである。
 
 時間があれば、本当のレースに挑戦し勝負してみたいと思ったが、次々と予定があり、そうもいかない。

 帯広競馬場を後にし、再度「植村直巳記念館」へ向かうが、カーナビの案内で、やはり、「おびひろ動物園」付近に着いた。動物園の係りの人に聞くと、「この中にありますが、4時30分までですから、本日は終了しました」とのことであった。

残念ながら、今夜の宿泊予定の「帯広東急イン」へと移動した。ところが、本日の北海道は、気温18度以下らしく寒い寒い。
 今回の旅行は、某ツーリストから二人の還暦記念旅行として取り扱ってもらったことで、初日の「帯広東急イン」では、「ANAスカイホリディからです。」と十勝ワインを2本も贈呈され、幸先良いスタートとなった。

 ところで、最初の予定では、今日中に「花畑牧場」へと思っていたが、時間的に行くことが出来なかったので、明日は、田中義剛の「花畑牧場」へ、娘夫婦、息子夫婦との約束である「生キャラメル」を求めて・・・・・・・・。こちらでは、別名「よしたけ牧場」とも呼ぶらしい。
 
 2日目、今日も朝から肌寒い。ホテルの駐車場に行くと警備員の方が、ジャンパー姿で、「寒いですよ、もうこのまま冬に向かうだけですよ」とのことである。
カーナビに「花畑牧場」をセットすると1時間以内に到着らしい。さあ、出発進行、それにしても、「わ」ナンバー車の多いこと、行く先々に「わ」ナンバーである。と言いつつこちらもそうである。途中で、家内が「お尻が痛い!!」と言い出した。いつもの我が家の車と違って、Sクラス車だから・・・・・、周りのすばらしい風景を見ながら、さらに走った。
 
 すると、「花畑牧場」を案内する看板が次々と見えて来てやっと到着した。まだ、10時前なのに沢山の観光客が次々とやって来て、お目当ての買い物や牧場にいる動物などを見て回っている。

 家内も負けじと3種類もある生キャラメルを、これは誰それにと思いながら、かごの中に入れていると店員が「済みません、すべての商品は、お一人さま3個までなのです。申し訳ありません」とのこと、生キャラメルが3種類であるから3個ではなくて、1個とのことであり、ついに私もかごを持って、商品を入れていった。

 結局、生キャラメルは、二人で6個しか買えなかった。その他のお菓子を購入し、それぞれ、別のレジにて発送の手続きを、冷蔵のキャラメル、冷凍の菓子類を家内が、2種類の発送伝票を、私も同じように、したがって、4種類の宅配便が届くこととなり、長い場合2週間程度かかるとのことであった。

 牧場の看板の前で「生キャラメルソフトクリーム」を持って記念写真を1枚と、ロバや南米のヤク?などの動物を見て、敷地内を少し散策し、次の目的地である「浦河・静内・新冠」などの馬の生産地に向かった。一般道で3時間余りのドライブである。

帯広から襟裳岬方面への一般道を、途中から天馬街道と呼ばれる236号線で日高方面へ、日高山脈の南端の峠を越えて、下って行くと途中にパーキングがあり、トイレ休憩、外気は肌寒く感じられた。

 ふと右手前方を見るとペットボトルに水を汲んでいる夫婦連れがいて、「この水は、おいしい水なのですか?」と聞くと老夫婦が、「飲んでみなさい、健康によくおいしいから」とのことで流水を両手で飲んだ、冷たくおいしい水である。
採水しやすいように沢山の水栓が設置してあった。

 後ほど家内もやって来て、この老夫婦と話していたが、ご主人がせっせと3L位の大きなペットボトルに水をいれ、これを沢山軽トラックに積み込んでいる。さらに尋ねると、年に数回ここに来て1年分の水を持ち帰るとのことであった。

 別れを告げて、車に乗り込んでいたら、親切にも呼び止められ、「この水をあげるから、飲み物を買わないで、これを飲みなさい」と満水の小さなペットボトルとあの3L位のペットボトルをいただくなど、ここでも思わず親切な方達に出会った。
 車は、一路、浦河方面にやって来るとここらあたりから、道の両側に広大な牧草地に競走馬が点在する沢山の牧場が見えてきた。時折、車をわき道に停車し写真をパチリパチリ、憧れの牧場である。

 目的地である「ナリタブライアン記念館」「競走馬のふるさと日高案内所」を目指していたら、海の見えるあたりに道の駅があり、漁協の日高昆布直売所が併設されていた。そこで用途別の昆布を買い求めた後、隣のレストランで「えび丼」をおいしくいただいた。値段は、意外と安く満足感一杯である。

 静内に入り、再度カーナビで「ナリタブライアン記念館」をセットしたが、どうしても役場の近くに行ってしまう。思い切って役場に飛び込んで聞いたところ隣の町にあるとのことだった。しかたなく、「競走馬のふるさと日高案内所」をカーナビにセットし、こちらに行くとちょうどこの日は、北海道競馬の競り市が開催されており、競馬関係者や馬主さん、観光客でごった返していた。

 事務所にて「ナリタブライアン記念館」や「ディープインパクトなどとの面会方法」について教えていただいた。ディープインパクトは、早来にある「社台スタリオンステーション」にいるとのことで、最終日に訪れることとなりそうである。

「とにかく、遠くからいらっしゃったのだから、競走馬の競り市を是非見てください」とのことで、隣接する建物の2階に上がり見ることができた。「500万円から、ありませんか、ありませんか」「1,000万円からありませんか、はい、1,050万円、はい、1,100万円、・・・・・はい、1,250万円、○○さんありがとうございました」などと景気の良い声が響いている。さすがにJRA出走馬ではないので億単位の掛け声はなかった。

 電話検索では、「ナリタブライアン記念館」に行き着けないことから、他の方法でセットし新冠にある記念館にやっとたどり着いた。

 入館料を支払ってナリタブライアンの足跡を見ながら、幾多のレースを思い起こした。ディープインパクトは、飛ぶように走るが、ナリタブライアンは、重心を低くし沈むように走った。ところで、ナリタブライアンは、自分の影に驚いてレースに集中できないため、あのホワイトのシャドーロールを着けるようになった。シャドーロールのお陰で集中して走るようになり3冠馬に、そして5冠馬になったのだ。今風で言えば、シャドーロールの王子様かな・・・・。

 そのブライアンも引退後、数年で亡くなってしまったのである。そして、裏庭に関わった方々のメッセージと共に建立されているお墓があるので、「長い間お疲れさん」と手を合わせた。

 



 10年以上前に引退した時の記念の腕時計が、ロビーに飾ってあり眺めていると、「残りわずかですが、?万円で分けることができます」とのこと、意を決して購入、思い出深いものを求めることができ感激である。本日、一番の収穫だった。

 あのナリタブライアンの顔が刻印され、手作りで、純金7ミクロン、22金3ミクロンの10ミクロン厚メッキ・・・ガラスはサファイアとか、本物のクロコダイルのベルト、銀座和光の大阪店(心斎橋筋)で製作されたもので手作りである。後日、B市に帰り時計店で電池交換をしたところ、お店の方から「いい物を見せていただきました」とのことであった。

またまた北の大地へ(2008年旅行記)「後編」

2009-09-15 21:26:36 | 旅行
 2日目の宿泊場所である「ANAクルンプラザホテル千歳」に移動した。明日は、競馬があるのでコンビニでいつも買っている「専門紙」を購入すると40円も高く、450円であるのには驚いた。

 千歳での夕食は、ホテルの最上階で済ませたが、最後にいただいた「ミルクのシャーベット」が、ものすごくおいしかったので、夫婦で料理人の方に「すごくおいしく、大満足でした」と言ったらとても喜ばれた。

 3日目、今日も出勤時間と同じように早朝から、ベッドを這い出て、今朝の朝食は、どうなのかな?と思いながら、1階のレストランにすばやく移動し、「ああ、北海道はいいな!!」と言いながら、おいしそうな物に次々と手が出るのである。
 
 自宅では、冷たい牛乳は飲まないのにこちらに来ると、ついついグラスに満杯に注いだ牛乳をおいしくいただくのである。しかも、和食のバイキングを選んでいるのに・・・・北の大地 北海道を味わいたいのである。

 さて、お腹も満腹になったところで、家内が計画している次の目的地の「登別温泉」方面に出発進行である。今朝も一瞬身震いするくらい寒い朝で、気温は17度であった。

 昨日、走行して来た高速道路を反対方向に、さらに苫小牧方面に車を走らせて、1時間そこそこで登別温泉に到着し駐車場に車を入れ、ロープウェイで熊牧場へ、風も出てきてかなり寒くなってきたが、すばやくロープウェイに乗り込み、登別温泉街を眼下に山頂にある「熊牧場」に到着した。

 十数頭の熊が下方の檻の中にいるが、それぞれに年齢と名前が紹介された看板が入り口にあった。ところで、観光客が投げ与える人参などの餌(売店で売っている)を、「こちらに投げて、この口に入れて」と言っているように、両方の手を合わせているので、その仕草がとてもおかしかった。おかげで傑作な写真を撮ることができた。熊のいる檻は、上の方に遮蔽物がないので、餌を上から簡単に投げ入れられるようになっている。

 熊の群れとも別れ、眼下の温泉街に下りてきたところで、家内が入浴の用意をしているので湯に入ることとしたが、源泉の入浴施設の駐車場が満杯でそのまま温泉街を後にすると、「折角、有名な温泉に来ておりながら、入浴しないで移動するのは残念だ、何のためにここまで来たのか」との叱責を受けた。

 次の目的地の「登別伊達時代村」を見学した後、もう一度、昼食も兼ねて温泉街に引き返したところ、運よく目当ての駐車場が空いており早速入湯した。
乳白色のすばらしいお湯に家内もすっかりご機嫌である。

 昼食は、近くのそば屋に入りとても粘りの強いトロロそばをいただき、満足感一杯で今夜の宿泊地である「小樽」に向かった。

 今回の小樽を訪れる目的のひとつは、娘夫妻や息子夫妻に前回訪れた際に手に入れたミニグラスが気に入られ、是非ともプレゼントするとの約束を果たすことである。

 高速道路を、千歳・札幌方面に車を走らせながら、覆面パトカーのお世話にならないよう、安全走行である。千歳に近づくあたりの高速道路は、来るたびに思うことであるが、中央分離帯が幅数メートルもあり、そこに広大な樹木が連なっているのである。とてつもない広大な大地ならこそと思いながら車を走らせた。

 さらに小樽までと全行程3時間余りの移動で小樽の町にやってきた。早速、求めたいグラスをと、あちらこちらを見て回ったが、目的のカップがなくて、一旦、今夜の宿である「オーセントホテル小樽」にチェックインし、観光客で賑わっている通りの「流氷しばれ館」へ、そこで「銀の鐘」と刻印されたミニグラスを見つけ購入した。

 前回来た際、コーヒーを飲み終えて「お持ち帰りグラス」としていただいたものと同じものはなかったが、数年後であることからデザイン一新のグラスである。

 観光客でごった返している通りをホテルの方に向かっていると、「夕張カットメロン」「熱々のとうもろこし」「焼きホタテ」などに観光客が群がっている一角があり、私たちも「夕張カットメロン」と「熱々のとうもろこし」を求めて店先でアッチチと言いながら、冷たくておいしいとも言いながら双方を味わった。実にうまい・・・・・・・・。

 さらに散策をしながら、とある立派な建築美の建物に吸いこまれ、中でさまざまな硝子細工の品、装飾品を見ていると、家内もお気に入りの1品を手に入れることが出来たようである。

 また、ある店では、今までに食べたことのない美味な「割いたスルメ(小樽名物 いか太郎)」を食べ思わず1袋購入したが、田舎に帰ってから「もっと買えばよかった」とは、家内の弁である。

 今夜の夕食は、小樽だから寿司かな、てなことで「寿司店」を目指しどこがいいのか分からないので、と思いながら歩いていると、入り口の看板に沢山の芸能人の写真が飾ってある寿司店に入った。

「イカそうめん」「ずわいガニ」「にぎり寿司」などのセットを注文し、ビールを飲みながらいただいたが、イカそうめんが取り分けおいしかった。明日の予定は、「おたる水族館」と「札幌競馬場」である。

 4日目、毎日のリズムで起床し、朝のうちに「おたる水族館」に向かった。目的のひとつが、流氷の妖精「クリオネ」とのご対面である。これがなんとも想像以上に小さな生き物で、とてもかわいらしいのである。・・・家内も大感激である。

 オタリアとイルカショーは、なんとも愉快でとても楽しいひと時であった。高台にある水族館は、風当たりも強く少々寒かったが、駐車場に降りていよいよ札幌競馬場である。

 小樽・札幌道路に乗り、いい調子で走っていると暫く走った頃のインターから白いクラウンが目に入ってきた。なんとなくいやな予感がして警戒していたが、どうやら覆面パトカーである。次々と追い越しをかけた車が、白いクラウンと並ぶと慌てたようにその後に即座に入るのである。

 そうこうしていると、札幌の市街に到着しカーナビの案内で札幌競馬場へ、これで二度目の訪問である。駐車場も満杯のようであるが、何とか入ることができた。

 家内と急ぎ足で入場し指定席が空いているか問うと、「札幌記念GⅡ」が組まれているため、大入りでやはり売り切れていた。仕方なく、一般席で立って観戦となった。

 そろそろお腹も空いたので1階で立ち食いそばを食べ、屋台では、つぶ貝、大蛸の足などがおいしそうに焼かれており、外のベンチに座って「うまい、うまい」といただいた。

 お腹も満腹になり、2階の一般席に移動し柱の陰にいると、運よくご夫婦が帰るのでと座席を提供してくれた。やっとゆっくりと腰掛けて、ガラス越しに外を見ると寒そうな風が舞う中、コンクリート製のベンチで、2台のテレビカメラのクルーが何やら数人のグループを撮っており、音声さんやディレクター風のスタッフもいる。

 目を凝らして見るとなんとグリーンチャンネルの「クラシックパーク」のロケ隊であった。家内もロケ隊に気づき、後ろ姿の「あれは誰で、これは誰」と家内に説明したところ、「折角だからKTさんのサインをいただいたら」との一言で、ロケの合間の休憩時間を見計らって外に出てKTさんに会い、「KTさん主宰の会の会員で、家内の自叙伝も読んでいただいたKです」と言ったら分かっていただき、早速サインをお願いし短い休憩の合間に記念となる物をいただいた。・・・・・思いがけず、ご本人に会い最高の思い出となった。

 平場のレースは、何度か当たったが、肝心要のメインレースは、逆目であった。「タスカータソルテ」は狙っていたが、まさか頭とは、参りました。「マツリダゴッホ」が2着であった。

 札幌競馬場を後にして、白い恋人パークに立ち寄ったが、これが何とも異国情緒豊かな欧州のお城のような建造物であった。家内は、バラの花々が満開の庭園に大満足である。なお、工場見学なども可能ということであったが、時間の関係で見学を断念した。

 その後、旅の最後の宿である「ホテルニューオータニ札幌」に移動した。今夜の食事は、以前もやって来た「サッポロビール園」である。小雨の降る中、タクシーで移動し、おいしいビールにおいしいお肉、ウインナーなどに舌鼓である。

 最後に注文したガーリックのシーフードの炒めご飯がとてもさっぱりとおいしかった、いろいろと食べつくし満足、満足である。

 5日目、本日は、待ちに待った「ディープインパクト」とのご対面である。朝食も早めに済ませ、早来の「社台スタリオンステーション」のインフォメーション電話にて、どんな馬が見られるのか、流れるメッセージを聞いた。「本日は、ディープインパクト、トウカイテイオー、クロフネ、アグネスタキオン、ダイワメジャー、キングカメハメハ、アドマイヤドンの7頭が、9:30から14:00まで牧場にでています・・・・・」である。

 早速、高速道路を利用して移動すること、1時間余り、高速道路で抜きつ、抜かれつしながら、またまた、抜かれた「わ」ナンバーの大型車の後から、高速道路を降りると同じような方向に進んでいるのである。

 田舎道に差し掛かった頃、前の車の後席からこちらを見て笑っているようである。抜きつ、抜かれつした双方の車が同じ方向に行くのであるから、おかしかったのであろう。

 これが有名な「社台スタリオンステーション」なのか、すばらしい、「いたいた、トウカイテイオー、あちらがディープインパクト会い来たよ!!」「あの向こうの栗毛が、アグネスタキオン、あの向こうの芦毛が、クロフネだよ」そしたら、家内が「真っ白で綺麗だね」と言いながら、馬が良く見える展望台に上がって、パチリパチリである。

 双眼鏡の人、望遠の一眼レフの人たちの多いこと、関西弁の数人の女性も望遠付一眼レフでカシャ、カシャと撮っている。

 「あの柵のそばにいる人たちは、馬主さん達です」と警備員の方が言っている。そして、「ディープインパクトは、人が好きで沢山やって来るととても喜びます」また、厩舎では「ツーンとしていますよ」とのことであった。

 名馬中の名馬を一遍に7頭も見ることが出来て、今回の旅行は、家内には悪かったが、最高でした。この5日間、どの場面を切り取っても、最高であった。
 
 名残を惜しみながら、最後の観光地である、ノーザンホースパークに移動した。こちらも、先ほどの社台スタリオンなど、その創始者は吉田義哉氏。現在は、その長男の照哉氏をはじめ息子さん方が社台グループの経営者である。

 ノーザンホースパークは、3回目の来場なので、時間をつぶす方法もいくつか心得ている。お昼は、楽しみのひとつである「ジンギスカン」をはじめとした焼肉である。その会場に移動すると、レストラン風になっており、以前とは格段の設備となっていたので、係員に「すごく素敵に変わりましたね」と言ったら、「昨年、このように綺麗な建物に変わり、好評を得ています」とのことであった。

 


「ランドカー」「パークゴルフ」「レーザーシューティング」「バルーンアーチェリー」などで楽しんだ後、いよいよ、北海道とも別れる時間がやってきた。本日が最終日ということもあり、お昼の焼肉でビールを飲んだことから運転は家内に交代した。

 ノーザンホースパークから、ニッポンレンタカー空港営業所まではそう遠くない一般道であるが、オービス設置区間であり安全運転で営業所に到着、返還手続きも無事終了し送迎車両に乗り込み空港へ移動した。

 空港では時間もあることから、例の生キャラメルを求めてみやげ物売り場に、「花畑牧場の生キャラメル入荷しました」の声が聞こえたらあっという間に完売であり、マスコミの力をまざまざと見せつけられた。

 ところで、Y空港には、羽田20時05分発であるが、千歳発17時30分の飛行機が羽田からの到着が遅れるとのアナウンス・・・・。その遅れが、10分、15分と延びてきた。そのうち、18時05分発とのアナウンスである。T空港への最終便への乗り継ぎはできなくなったらしい、搭乗者の何人かがどうしたものかと心配顔である。
家内が、「Y便への乗り継ぎはどうですか」と地上係官に聞いたところ、ぎりぎりいけそうであるとのこと。

 いよいよ、千歳空港から機上の人となったものの、さらに10分程度遅れている。羽田に着いたとき、乗継まで10数分であり、地上係官の指示で「Y便7名」「沖縄便5名」が、特別通路からバスで搭乗口まで送られ、Y便に最後の客として乗り込んだ。

 最後になって、大慌ての旅の締めくくりである。ところで、夕食は、千歳空港で急遽購入した弁当であるが、自宅に到着した、22時頃となったのである。
旅の疲れもそこそこに、明日から仕事頑張らなくては、・・・・・・と気持ちを切り替え就寝。

 今回も多くの思い出を与えてくれた、夏の短い北の大地 北海道の旅であった。満足!!
 
 来年は、船旅の予定である。
 
 幼少時代から、そして結婚後も苦労の連続であった家内は、「後半の人生がやっと落ち着いた暮らしができるようになった。」との述懐である。