2日目の宿泊場所である「ANAクルンプラザホテル千歳」に移動した。明日は、競馬があるのでコンビニでいつも買っている「専門紙」を購入すると40円も高く、450円であるのには驚いた。
千歳での夕食は、ホテルの最上階で済ませたが、最後にいただいた「ミルクのシャーベット」が、ものすごくおいしかったので、夫婦で料理人の方に「すごくおいしく、大満足でした」と言ったらとても喜ばれた。
3日目、今日も出勤時間と同じように早朝から、ベッドを這い出て、今朝の朝食は、どうなのかな?と思いながら、1階のレストランにすばやく移動し、「ああ、北海道はいいな!!」と言いながら、おいしそうな物に次々と手が出るのである。
自宅では、冷たい牛乳は飲まないのにこちらに来ると、ついついグラスに満杯に注いだ牛乳をおいしくいただくのである。しかも、和食のバイキングを選んでいるのに・・・・北の大地 北海道を味わいたいのである。

さて、お腹も満腹になったところで、家内が計画している次の目的地の「登別温泉」方面に出発進行である。今朝も一瞬身震いするくらい寒い朝で、気温は17度であった。
昨日、走行して来た高速道路を反対方向に、さらに苫小牧方面に車を走らせて、1時間そこそこで登別温泉に到着し駐車場に車を入れ、ロープウェイで熊牧場へ、風も出てきてかなり寒くなってきたが、すばやくロープウェイに乗り込み、登別温泉街を眼下に山頂にある「熊牧場」に到着した。
十数頭の熊が下方の檻の中にいるが、それぞれに年齢と名前が紹介された看板が入り口にあった。ところで、観光客が投げ与える人参などの餌(売店で売っている)を、「こちらに投げて、この口に入れて」と言っているように、両方の手を合わせているので、その仕草がとてもおかしかった。おかげで傑作な写真を撮ることができた。熊のいる檻は、上の方に遮蔽物がないので、餌を上から簡単に投げ入れられるようになっている。

熊の群れとも別れ、眼下の温泉街に下りてきたところで、家内が入浴の用意をしているので湯に入ることとしたが、源泉の入浴施設の駐車場が満杯でそのまま温泉街を後にすると、「折角、有名な温泉に来ておりながら、入浴しないで移動するのは残念だ、何のためにここまで来たのか」との叱責を受けた。
次の目的地の「登別伊達時代村」を見学した後、もう一度、昼食も兼ねて温泉街に引き返したところ、運よく目当ての駐車場が空いており早速入湯した。

乳白色のすばらしいお湯に家内もすっかりご機嫌である。
昼食は、近くのそば屋に入りとても粘りの強いトロロそばをいただき、満足感一杯で今夜の宿泊地である「小樽」に向かった。
今回の小樽を訪れる目的のひとつは、娘夫妻や息子夫妻に前回訪れた際に手に入れたミニグラスが気に入られ、是非ともプレゼントするとの約束を果たすことである。
高速道路を、千歳・札幌方面に車を走らせながら、覆面パトカーのお世話にならないよう、安全走行である。千歳に近づくあたりの高速道路は、来るたびに思うことであるが、中央分離帯が幅数メートルもあり、そこに広大な樹木が連なっているのである。とてつもない広大な大地ならこそと思いながら車を走らせた。
さらに小樽までと全行程3時間余りの移動で小樽の町にやってきた。早速、求めたいグラスをと、あちらこちらを見て回ったが、目的のカップがなくて、一旦、今夜の宿である「オーセントホテル小樽」にチェックインし、観光客で賑わっている通りの「流氷しばれ館」へ、そこで「銀の鐘」と刻印されたミニグラスを見つけ購入した。
前回来た際、コーヒーを飲み終えて「お持ち帰りグラス」としていただいたものと同じものはなかったが、数年後であることからデザイン一新のグラスである。
観光客でごった返している通りをホテルの方に向かっていると、「夕張カットメロン」「熱々のとうもろこし」「焼きホタテ」などに観光客が群がっている一角があり、私たちも「夕張カットメロン」と「熱々のとうもろこし」を求めて店先でアッチチと言いながら、冷たくておいしいとも言いながら双方を味わった。実にうまい・・・・・・・・。
さらに散策をしながら、とある立派な建築美の建物に吸いこまれ、中でさまざまな硝子細工の品、装飾品を見ていると、家内もお気に入りの1品を手に入れることが出来たようである。
また、ある店では、今までに食べたことのない美味な「割いたスルメ(小樽名物 いか太郎)」を食べ思わず1袋購入したが、田舎に帰ってから「もっと買えばよかった」とは、家内の弁である。
今夜の夕食は、小樽だから寿司かな、てなことで「寿司店」を目指しどこがいいのか分からないので、と思いながら歩いていると、入り口の看板に沢山の芸能人の写真が飾ってある寿司店に入った。
「イカそうめん」「ずわいガニ」「にぎり寿司」などのセットを注文し、ビールを飲みながらいただいたが、イカそうめんが取り分けおいしかった。明日の予定は、「おたる水族館」と「札幌競馬場」である。
4日目、毎日のリズムで起床し、朝のうちに「おたる水族館」に向かった。目的のひとつが、流氷の妖精「クリオネ」とのご対面である。これがなんとも想像以上に小さな生き物で、とてもかわいらしいのである。・・・家内も大感激である。

オタリアとイルカショーは、なんとも愉快でとても楽しいひと時であった。高台にある水族館は、風当たりも強く少々寒かったが、駐車場に降りていよいよ札幌競馬場である。
小樽・札幌道路に乗り、いい調子で走っていると暫く走った頃のインターから白いクラウンが目に入ってきた。なんとなくいやな予感がして警戒していたが、どうやら覆面パトカーである。次々と追い越しをかけた車が、白いクラウンと並ぶと慌てたようにその後に即座に入るのである。
そうこうしていると、札幌の市街に到着しカーナビの案内で札幌競馬場へ、これで二度目の訪問である。駐車場も満杯のようであるが、何とか入ることができた。
家内と急ぎ足で入場し指定席が空いているか問うと、「札幌記念GⅡ」が組まれているため、大入りでやはり売り切れていた。仕方なく、一般席で立って観戦となった。
そろそろお腹も空いたので1階で立ち食いそばを食べ、屋台では、つぶ貝、大蛸の足などがおいしそうに焼かれており、外のベンチに座って「うまい、うまい」といただいた。
お腹も満腹になり、2階の一般席に移動し柱の陰にいると、運よくご夫婦が帰るのでと座席を提供してくれた。やっとゆっくりと腰掛けて、ガラス越しに外を見ると寒そうな風が舞う中、コンクリート製のベンチで、2台のテレビカメラのクルーが何やら数人のグループを撮っており、音声さんやディレクター風のスタッフもいる。

目を凝らして見るとなんとグリーンチャンネルの「クラシックパーク」のロケ隊であった。家内もロケ隊に気づき、後ろ姿の「あれは誰で、これは誰」と家内に説明したところ、「折角だからKTさんのサインをいただいたら」との一言で、ロケの合間の休憩時間を見計らって外に出てKTさんに会い、「KTさん主宰の会の会員で、家内の自叙伝も読んでいただいたKです」と言ったら分かっていただき、早速サインをお願いし短い休憩の合間に記念となる物をいただいた。・・・・・思いがけず、ご本人に会い最高の思い出となった。
平場のレースは、何度か当たったが、肝心要のメインレースは、逆目であった。「タスカータソルテ」は狙っていたが、まさか頭とは、参りました。「マツリダゴッホ」が2着であった。
札幌競馬場を後にして、白い恋人パークに立ち寄ったが、これが何とも異国情緒豊かな欧州のお城のような建造物であった。家内は、バラの花々が満開の庭園に大満足である。なお、工場見学なども可能ということであったが、時間の関係で見学を断念した。


その後、旅の最後の宿である「ホテルニューオータニ札幌」に移動した。今夜の食事は、以前もやって来た「サッポロビール園」である。小雨の降る中、タクシーで移動し、おいしいビールにおいしいお肉、ウインナーなどに舌鼓である。
最後に注文したガーリックのシーフードの炒めご飯がとてもさっぱりとおいしかった、いろいろと食べつくし満足、満足である。
5日目、本日は、待ちに待った「ディープインパクト」とのご対面である。朝食も早めに済ませ、早来の「社台スタリオンステーション」のインフォメーション電話にて、どんな馬が見られるのか、流れるメッセージを聞いた。「本日は、ディープインパクト、トウカイテイオー、クロフネ、アグネスタキオン、ダイワメジャー、キングカメハメハ、アドマイヤドンの7頭が、9:30から14:00まで牧場にでています・・・・・」である。
早速、高速道路を利用して移動すること、1時間余り、高速道路で抜きつ、抜かれつしながら、またまた、抜かれた「わ」ナンバーの大型車の後から、高速道路を降りると同じような方向に進んでいるのである。
田舎道に差し掛かった頃、前の車の後席からこちらを見て笑っているようである。抜きつ、抜かれつした双方の車が同じ方向に行くのであるから、おかしかったのであろう。

これが有名な「社台スタリオンステーション」なのか、すばらしい、「いたいた、トウカイテイオー、あちらがディープインパクト会い来たよ!!」「あの向こうの栗毛が、アグネスタキオン、あの向こうの芦毛が、クロフネだよ」そしたら、家内が「真っ白で綺麗だね」と言いながら、馬が良く見える展望台に上がって、パチリパチリである。
双眼鏡の人、望遠の一眼レフの人たちの多いこと、関西弁の数人の女性も望遠付一眼レフでカシャ、カシャと撮っている。
「あの柵のそばにいる人たちは、馬主さん達です」と警備員の方が言っている。そして、「ディープインパクトは、人が好きで沢山やって来るととても喜びます」また、厩舎では「ツーンとしていますよ」とのことであった。
名馬中の名馬を一遍に7頭も見ることが出来て、今回の旅行は、家内には悪かったが、最高でした。この5日間、どの場面を切り取っても、最高であった。
名残を惜しみながら、最後の観光地である、ノーザンホースパークに移動した。こちらも、先ほどの社台スタリオンなど、その創始者は吉田義哉氏。現在は、その長男の照哉氏をはじめ息子さん方が社台グループの経営者である。

ノーザンホースパークは、3回目の来場なので、時間をつぶす方法もいくつか心得ている。お昼は、楽しみのひとつである「ジンギスカン」をはじめとした焼肉である。その会場に移動すると、レストラン風になっており、以前とは格段の設備となっていたので、係員に「すごく素敵に変わりましたね」と言ったら、「昨年、このように綺麗な建物に変わり、好評を得ています」とのことであった。
「ランドカー」「パークゴルフ」「レーザーシューティング」「バルーンアーチェリー」などで楽しんだ後、いよいよ、北海道とも別れる時間がやってきた。本日が最終日ということもあり、お昼の焼肉でビールを飲んだことから運転は家内に交代した。
ノーザンホースパークから、ニッポンレンタカー空港営業所まではそう遠くない一般道であるが、オービス設置区間であり安全運転で営業所に到着、返還手続きも無事終了し送迎車両に乗り込み空港へ移動した。
空港では時間もあることから、例の生キャラメルを求めてみやげ物売り場に、「花畑牧場の生キャラメル入荷しました」の声が聞こえたらあっという間に完売であり、マスコミの力をまざまざと見せつけられた。
ところで、Y空港には、羽田20時05分発であるが、千歳発17時30分の飛行機が羽田からの到着が遅れるとのアナウンス・・・・。その遅れが、10分、15分と延びてきた。そのうち、18時05分発とのアナウンスである。T空港への最終便への乗り継ぎはできなくなったらしい、搭乗者の何人かがどうしたものかと心配顔である。
家内が、「Y便への乗り継ぎはどうですか」と地上係官に聞いたところ、ぎりぎりいけそうであるとのこと。
いよいよ、千歳空港から機上の人となったものの、さらに10分程度遅れている。羽田に着いたとき、乗継まで10数分であり、地上係官の指示で「Y便7名」「沖縄便5名」が、特別通路からバスで搭乗口まで送られ、Y便に最後の客として乗り込んだ。
最後になって、大慌ての旅の締めくくりである。ところで、夕食は、千歳空港で急遽購入した弁当であるが、自宅に到着した、22時頃となったのである。
旅の疲れもそこそこに、明日から仕事頑張らなくては、・・・・・・と気持ちを切り替え就寝。

今回も多くの思い出を与えてくれた、夏の短い北の大地 北海道の旅であった。満足!!
来年は、船旅の予定である。

幼少時代から、そして結婚後も苦労の連続であった家内は、「後半の人生がやっと落ち着いた暮らしができるようになった。」との述懐である。