も~、やめてくんないかね。
ココロが冷えて仕方ない。
うちの父方の祖母(父の母)はよく孫のわたしらにこう言いましたよ。
静岡で苺農家からメロン農家に切り替えて、
(まぁ日本の「農業協同組合」に所属して支えられてますや。そのいくつかに分かれた組合の支部も合併されてひとつに統合されちゃったらしいけどね。バブルが弾けて高いマスクメロンが売れないとかいうことより、原油の値段高騰が温室栽培経営を圧迫し始めたようですよ。
今もまだやれてる農家は「普通じゃ考えられない、信じられないねぇ…、利益出ないに?まるで。
まだやってりゃ足が出るくらいだに?
まぁやれるんだったらやりゃぁいいけーがねぇ。
だけど知らんよう?
うちは持ち出し嫌だし、そうまでして続けるカラクリに手を出すのも嫌だし、一旦やめるだよ。作れんよ、普通。どうやってるだかねぇ。(呑気)」って言ってる。「何かおかしい」ってさ~。)
まぁそうやって毎日せっせかおいしいメロン作りをやってましてね。
当時の祖母は、朝は家族の食事の支度、掃除、洗濯、早朝から温室に出掛けた長男夫婦が出荷するメロンを家に運んでくると、それをお嫁さんと一緒に出荷選別にかかる。
歯ブラシみたいので表面の汚れを落としたり、ラベル貼ったり、Tの形にカミソリで切り落としたり、半紙に包んだりして、箱詰するんだよね。
で、その時、ネット(マスクメロンの表面の模様)のはりぐあいがちょっとでもヘンなやつとか、Tの形がちょっとヘンなやつとか、味にはまるで問題がないんだけど見た目の欠点だけで出荷できないメロンがいくつか出てくるわけ。
そうするとその後がすごい、祖母は。
それをカゴに入れて、朝鮮人の人達のところに売りに行くんだよね。
あるんだね、ホントに。
「やめときなぁ、はぁ、おばあさんはぁ。(呆)まぁ悪いことじゃないし、いいけーがさぁ。」とかツッコミ入れる内孫とかいてさ。
まだ小学生くらいだったオバチャマ(お盆の帰省中)は祖母に付き添って一緒に売りに行ったことがあったんだよね。
父親とかが「お前もおばあさと一緒に行ってこい。社会見学だ。」っていうから。
まぁオバチャマも「おもしろそう、そこにはどんな人達がいるんだろう。行ってくる~~。」ってそんなノリ。
そ~んな朝鮮人がどーのこーの意識もないよね。
いきがてら祖母はこう言うんだよ。
「差別はいかんだよ?
み~~んな同じ人間なんだから。
戦争がこうしただけだに?
こうやって持って行ってあげると味は変わらんのに安く買えるって、みんな喜んでくれるだよぅ。だから行くだに?」
って。
かなり進んだ(寛容な)解釈をする祖母だと思ったよね。
大正初期生まれ、戦争経験者なのに。
で、「チョン」なんて言い方、一度も聞かなかったよね。
今「シナ、チョン」言ってる野蛮な日本人、「お前が実はシナかチョンなんじゃねーの?それも野蛮な!!」ってツッコミたくなるんだけどね。(ドハハハハ…)
何か「怒り」がある場合もおありなんでしょう…と寛容の気持ちでいますけど、「言葉が悪いよなぁ…やだやだ。」と思ってさ。
若いのから老人まで、いるじゃん。その言い方する人達。
国としてのシナじゃなく、人間表現のシナとか、あれやだよね。
あたしゃ22歳頃、日本がバブル景気の頃、ハワイに行って、シャネルの店員(金髪の外国人)が「ジャップ(すごい嫌味が入ってる表情)がみんなねこそぎ買ってくわ、見て、このありさま。ソーリー、あなたにご迷惑かけちゃって。」って、お抱えの上得意様(外国人)に言ってるのを、偶然聞いちゃって、「ジャップって言ってくれちゃっていいですよ、ホントに行儀悪いですよねぇ、こいつら日本人。バーゲン会場かよっ、たく。」って思ったね。
オバチャマ圧倒されて口紅一本と香水一本だけ土産に買ったっけ。
まぁ地がシャネルっていう風貌じゃないから(惜しい…っ、ドハハハハ…)、買わないんだけど。
シャネルが似合うくらいの雰囲気に昇格したいもんですね。