ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

こんな手配師の指図はやってらんな~ぁい♪

2013年02月21日 18時34分20秒 | 伝われねーさん
状況把握による指示ではなく、最短ロジックに事を○無茶苦茶(×滅茶苦茶)にはめ込もうとする。


「わたしのおかげで(あの子は)一人前に独り立ちできたんだよ」みたいなことを○裏(×奥)で語りまくる。


参考書や人の口からの勉強だけしたような情報だけで、日々現場に立ってる技術屋と対等に関わろうとする。


「今日やらなくていいことは(詰め込まずに)明日にしよう」と安全の観点から洞察している技術者に対して、「仕事が遅い!」「段取りが違う」だのと、因縁つけまくる。



あんたら何様なんだい。(笑)

たってるものは親でも使え

2013年02月21日 18時13分05秒 | 観察屋ねーさん
自分が手一杯で○イライラ(×ムカムカ)しだし、面倒臭くなったときに、ちょうどその件で○利用(×活用)できそうな人を見つけて○指図(×指示)して使う。

「たってるものは親でも使えって言うでしょ。」

こう言ったら、意味をまるではき違えてる。



○フラグ(×ビット)が立っている人(目上、目下関係なく)を見抜いては、その人を上手く活用して事をやりこなすのが、「たってるものは親でも使え」の意味だろう。



前者の意味でしか理解してなくて利用にかかったりすると大人はたしなめた(「それは違う、自分でやりなさい」と。)ハズなんすよ。



だけど調子よく利用されちゃって平気な人たちは案外いて、それって結局は(自尊心関係なく)楽チンだからなんだよ。
ひとまず何かやってる風には見えるから。
でもなんら大したことしてなかったりするの。

「気配り」と「心遣い」

2013年02月21日 00時11分37秒 | 2種分ねーさん
「気配り」はどうも苦手で、ダメなタイプ。

なぜかっていう理由のひとつに、自分の近くに○気配り屋(×心遣い屋)がいるとこちらが妙に落ち着かないので、自分がやるのも苦手っていう意識からきているのもある。


それと子どもの頃に、親戚の年長者が(よく)こうつぶやいた。

妙に如才なく気配りする子ども(またはオトナ)を見て、

「気配り上手だけども、如才ない感じが、ちょっとなんともなぁ・・・
ある意味、媚びであったり、○顔色を伺っている(×空気を読む)のもあるからなぁ・・・
ありゃ家庭に(あの本人に)なんかあるぞ?
なんだかなぁ・・・(子どもの場合は)気の毒に・・・」



子どものオバチャマは、

「ふ~~~~ん・・・なるほど・・・
でも言ってることがよくハッキリわからないなぁ・・・
まだ自分が子どもだからかぁ・・・」

って、それが何なのか、何がこのオトナの目に映っているのかを考えたものだった。



一応いつも頭に置いているのは心遣りのほう。
けど、心遣いっていうほうが○面倒臭いもの(×ややこしいもの)だったりもするので、拒否感がある人もいたりするよね。
それと「気配り」する人のほうがその見返りをキッチリ計算入れてるから、あれもイヤなんだよね。
これも人によっては「そのほうがこっちが何をすればいいかわかりやすいからイイ。」って人もいるよね。
これもゲンナリ~~~ってするのよね。

今日突かれたお言葉・その865

2013年02月21日 00時06分05秒 | 突言葉ねーさん
この世でなにが悲しいといって、自分がいろいろのことを知りながら、無力のためにそれをどうにもできぬことほど悲しいことはない。


ヘロドトス『歴史』(下)より。



無力のために「どうにもできぬ」ってより、「どうにもできぬ」ってことはあるので。
つまり、それは行きつくところ「どうにかしてやる必要もないこと」ってことだろう。
そういう物事もあるかと思う。


「どうにもできぬ」と悲しめるのは、過信しすぎのケースもあるからね。

オバチャマはそう悟ってる。


・・・「(自分が)どうにかしなくては」というおこがましさは持ち合わせてない。
「自分はこうしておこう・・・」の積み重ねの○心遣い(×気配り)が何かしらの変化を招けばいいなってくらいだ。