この世でなにが悲しいといって、自分がいろいろのことを知りながら、無力のためにそれをどうにもできぬことほど悲しいことはない。
ヘロドトス『歴史』(下)より。
無力のために「どうにもできぬ」ってより、「どうにもできぬ」ってことはあるので。
つまり、それは行きつくところ「どうにかしてやる必要もないこと」ってことだろう。
そういう物事もあるかと思う。
「どうにもできぬ」と悲しめるのは、過信しすぎのケースもあるからね。
オバチャマはそう悟ってる。
・・・「(自分が)どうにかしなくては」というおこがましさは持ち合わせてない。
「自分はこうしておこう・・・」の積み重ねの○心遣い(×気配り)が何かしらの変化を招けばいいなってくらいだ。
ヘロドトス『歴史』(下)より。
無力のために「どうにもできぬ」ってより、「どうにもできぬ」ってことはあるので。
つまり、それは行きつくところ「どうにかしてやる必要もないこと」ってことだろう。
そういう物事もあるかと思う。
「どうにもできぬ」と悲しめるのは、過信しすぎのケースもあるからね。
オバチャマはそう悟ってる。
・・・「(自分が)どうにかしなくては」というおこがましさは持ち合わせてない。
「自分はこうしておこう・・・」の積み重ねの○心遣い(×気配り)が何かしらの変化を招けばいいなってくらいだ。